30話 毒を呑んで魔女は笑う(後編)(8/10 追加)
「世迷言を」
ヘレンは嘲笑う。その一方、ノアの手がきつく握り返された。見れば緑はいつものようにゆったりとした笑みを浮かべていた。
戻ってきたことを確認したノアは、交渉の椅子に戻る。一歩も引かないヘレンに、ノアは懐からもう一つ品を出す。
青い繊細なガラス細工の装飾がついた小瓶。
「これの話も、しなければいけないようですね?」
「……なんのことかしら?」
「国内で出回っている、化粧品を詠った毒物です。貴女の元に出入りしている行商人だけが取り扱う品で、貴女が排除したい貴族に配ったものだ。知らないはずはない」
「……たしかに容器は見たことがありますが。入れ物が同じだけ。中身は違うかもしれないでしょう?」
「いいえ。同じですわ」
ノアの後ろから、緑が会話に割り込んだ。緑はゆったりと首を傾げて第二王妃に向かって微笑む。
「同じです」
「……何を根拠に」
「だって、私薬師ですもの」
一度、緑は目を伏せた。一呼吸置いてから、黒い瞳でヘレンを見つめなおす。強い意志の籠った瞳だった。
「わかりますわ」
「……第二王宮に出入りする全ての行商人を調べました。一店だけ、どうしても行方が判らなかった者がいます。申請は、既に死んだ人間の名義で出されていた」
静かに追い詰められて、ヘレンはもう表情を取り繕うことが出来なくなっていた。
初めて見るその顔にノアは内心ほくそ笑みながらも、静かに包囲網を狭めていく。
「貴女からの贈り物という体で品が家に届けられたことを証言する者もいます。先月の変死事件についても証言者がいる。これらを晒して民の前で争うより、今、私と手を組んだほうが上手くいくと思いませんか」
優しくノアは語り掛けた。これまで受けた屈辱を思えば、いっそ全てを民衆に晒してやりたいと思う気持ちを、理性で押し止める。
――首をとるまではしない。だが、確実に力は削ぐ。俺の玉座を傀儡にしないために。
「私が戴冠できるなら、私は貴女を告発しない。ただし、以後、第二王宮に出入りする行商人は、厳重に検査させていただきます。面会人も、制限させていただく。陛下の許可は得ています」
ヘレンの扇を持つ手に、一瞬強く力がこもる。実質、彼女の手足を捥ぐ宣告だった。
ノアと第二王妃が睨み合う。
長い我慢比べだった。たっぷり沈黙が続き、次の鐘が鳴った頃。
「……好きに、すればいいわ」
ヘレンはそれ以上言葉を発さなかった。
ノアは控えめに笑う。
「協力しましょう。この国のために」
そうして、ノアと第二王妃の会合は終わった。
***
霧の中から金剛鈴の音が聞こえてくる。
案山子の歌を聞きながら、私たちは芝生の上に寝転がっていた。旦那様が私を優しく抱きしめてくださっている。
また片手の動かない毎日になってしまったけれど、そこまで苦労はしていなかった。またそのうち元に戻るだろうと、悲観もしていない。
「ドレスを、また仕立てなければいけないな」
「? なぜ?」
旦那様の話についていけなくて聞き返したら、旦那様は笑った。
「貴女を、公式な場で連れ歩く準備をしなければならない」
「そう、なのですか? よくわかりません」
「……貴女を妃にするなら、必要なことなんだ」
妃。
――なんの、話だっただろうか。どこかで、旦那様とそんな会話をしたような気がするのに。
思い出せない。
「私、今のままでも満足してますわ?」
「貴女はそうかもしれないが。俺が、そうしたいんだ」
旦那様の耳は赤かった。可愛らしい。けど、どこで照れているのかよくわからない。
綺麗なお顔をじっと見つめていると、旦那様がキスをしてきた。長く、深く絡み合っていく。
旦那様と毎夜愛を交わす。誰にも知られない場所で、誰の邪魔も入らない場所で。
今夜も、旦那様は私という毒に堕ちていく。
旦那様のために、私は全てを捧げる。
魔女の私が王子様の隣に立てるなんて、なんて嬉しいことなんでしょう。
この喜びがあるなら、例えこの身が炎に焼かれても構わない。
――もう、『何もできない私』に戻ることは、きっとない。
旦那様が、私に覆いかぶさってくる。唇を解放された替わりに、首筋に旦那様の頭が埋められる。
くすぐったさに横を向くと、旦那様の手首に巻かれている紅手縄が目に入った。
私が編んでいるものだ。
だけど。
――私、いつ旦那様にこれを渡したのかしら。
思い出せない。大事な旦那様との記憶なのに。
――嗚呼。旦那様との思い出まで、消え始めるのですか。
すっと、体が冷えた。
いつか、旦那様の顔も名前もわからなくなる日がくるのだろうか。
そうなっても、旦那様は私を愛してくれるのだろうか。傍に置いてくれるだろうか。
捨てられる、なんてことになったら。
それは。
――それハ、ダメでスね?
私は旦那様の手を引き寄せると綺麗なその指に噛みついた。力を入れすぎたようで、旦那様が低く悲鳴を上げる。
「なんだ、いきなり」
旦那様が不機嫌そうに見下ろしてくる。久しぶりに見る、苛ついたお顔。
「……食べたく、なってしまいました」
正直に言うと、旦那様はきつく眉を寄せた。しばらく無言で考える。
「俺が死んだ後なら、食べていいぞ」
止めろと言われると思っていたのに、許可が出た。
「いいのですか?」
「ああ。俺が死んだ時には、欠片も残さず食べてくれ」
呆れたような顔で旦那様が笑う。私は、片手で旦那様の首に抱き付いた。
「必ず。必ず食べつくしてみせますわ」
一つ、楽しみができてしまった。
旦那様の体はどんな味がするのだろう。
人を食べたことはなかったけれど、その日が来たら絶対に絶対に美味しく食べようと心に誓う。
骨一つ残さない。魂さえも、飲み込んでみせる。
――こんなに旦那様に愛されている私は、なんて幸せなんでしょう。
旦那様の金色の瞳に、真っ黒な私が映る。
いつかどこかで読んだ童話集も、最後はこう終わっていた。
――王子様とお姫様は、幸せに暮らしました。
私と旦那様も、永遠に一緒ですわ。
毒を喰らわば、みどりまで 完結です。
ホラーゴシック✕ロマンスの挑戦、お付き合いくださりありがとうございました!




