29話 毒を呑んで魔女は笑う(前編)(8/10 改稿)
その日、ノアは堂々と第二王宮を訪れた。
内通者の情報から、第二王妃に予定が入っていない日を狙った。追い返されることも想定していたが、意外にも面会希望は通った。
応接室にやってきた第二王妃は、冷たい目で頭を下げるノアを見下ろした。
「突然押しかけてくるなんて。第二王子様がそんな不躾な方だとは思いませんでした」
「申し訳ありません。どうしても、お話しなければならないことがありまして」
ノアは嫌味にも丁寧に対応する。ノアの後ろに緑、第二王妃の後ろに護衛騎士が立った。四人だけの応接室には冷たい空気が流れていた。
「用とはなんです? 手短にお願いします」
「では、回りくどいのはなしにしましょうか」
そうして笑顔のノアが懐から取り出したのは、一つの革袋。それを見た途端、第二王妃の目元が痙攣した。
「なんなのか、わかりますよね。貴女が陛下に献上したものです」
第二王妃は答えなかった。紫色の目を伏せて、ノアの顔を見ようともしない。
「私は、貴女が陛下への献上物を、中身を確認もせずに渡す方ではないと思っています」
静かに、けれど着実に、ノアは外堀を埋めていく。
「ならばこれはなんのか。詳しくは尋ねませんよ。『今は』」
「……なにが、望みです」
低く問いかけてきた第二王妃に、ノアは笑った。
「私の戴冠を認め、これ以上手を出さないでいただきたい。兄上が死んだ今、長子になった私が、王位を継ぐのが自然というものでしょう」
第二王妃が視線を上げる。紫の瞳が冷徹にノアを睨んでいた。それを正面から受け止めて、ノアは笑う。
「私の御世は、第二王宮の地位も守るとお約束しますよ。この国は貴女なしでは回らない。私だって子供ではない。そのぐらい、理解しております。ただ、次の玉座には私が座る。それだけです」
ヘレンはじっとノアを見て、そして、緑を見た。
「満足? 貴女の行動で、今、国が動こうとしている」
「あら、そうなのですか? 不思議ですわ……私、ただの薬師ですのに」
のんびりと返す緑にヘレンの額に青筋が立つ。整っていた顔が決壊した。
「まだとぼけるの? その行動が、どれだけこの国に影響を与えている? 国のために生きるべき平民が、国のために生きてきた王族を脅かし、国を揺るがすなんて! お前は――」
「第二王妃、私の従者です。暴言を吐くのは止めてください」
ノアが止めに入ってもヘレンは止まらない。憎悪を隠さない表情でノアを睨み付ける。
「これまで国のためにどれだけ苦労してきたか。どれだけのものを捨ててきたか。出来上がったものだけ奪い取っていくお前にはわからないでしょうね」
「……落ち着いてください。貴女が国の要だということは私もよく分かっています。貴女の立場を奪うつもりはない。ただ、少し私の居場所をいただきたいだけです」
***
二人が言い争う言葉が、なぜか遠く聞こえる。
すぐそばにいるはずの旦那様が、とても遠い。
国のため。国ノタメ。
国。
祖国。
人民。
保家衛国。為人民服務。
把一切献给祖国。
――全てを祖国に捧げよ。
そう言って、何人の兵士が敵陣に突撃していっただろう。
何人が散弾に撃たれて動かなくなったか。
――嗚呼、また、銃声が耳に蘇る。うめき声が聞こえる。
小さくなって戦闘が終わるのを待つしかできない。上官の命令が来ないことを祈ることしか。
なにも、私はできない。
ああ、また。また私は、大勢いるうちの一人になってしまう。
嫌なのに。そんなのはもう嫌なのに。
嗚呼、私は。
私は。
――ダれ?
***
突然、ノアの後ろに立っていた緑が崩れ落ちた。その場にへたり込んだ彼女にノアは素早く駆け寄る。
そんな彼に、ヘレンは嘲笑して言葉を投げた。
「玉座に座れば、その女を娶ることも難しくなりますよ」
降りかかってきたヘレンの言葉にノアは動きを止める。
「元平民の女が嫁ぐのがどれだけ大変か、貴方は知っているでしょう?」
ノアの脳裏にオリバーの姿が浮かぶ。早死にした元平民の第三王妃。王族として生きることを強要しながらも、蔑み、嘲い、落ちぶれていく様を見物していた貴族たち。残された子供たちも、同じように行く末を見物するだけで誰も助けようとはしない。
――それでも。
座り込んでいる緑の手を取ると、驚く程冷えていた。
「リュー」
呼びかけるとゆっくり顔を上げたが、心ここにあらずといった状態だった。遠くを見ているその目にノアは覚えがある。
ノアは緑の手をきつく握りしめる。生き残った代償に動かなくなった手を。冷たく、緑色に染まった魔女の指を。
顔だけを、第二王妃に向けた。緑の手を放さないまま。紫の視線を正面から受け止めて、ノアは言い放つ。
「それでも、俺が選ぶのは彼女です。玉座も、惚れた女も、俺は手放しはしない」
――どちらも、俺は守ってみせる。父親とは違って。
***
痛いくらいに握られた指先から、体温が戻っていく。
――リュー……今は、そんな名前でしたわ。
薬屋の娘だったのも、従軍看護婦だったのも遠い昔。もう、なにもできない私はいない。
今の私は、旦那様を守る毒見の魔女。
旦那様のための、魔女。
白かった視界に、色が戻る。
旦那様の横顔は今日も綺麗で、見惚れてしまう。
――嗚呼。愛しい旦那様。惚れた女だなんて。恥ずかしいですわ。
8/10 改稿。文章量が増えたので、後編を分割しました。




