26話 神様から贈られた山丹花《さんたんか》(後編)
「手の震えはいつからですか、父上」
翌日、緑が煎じた薬を届けたノアは、父親に問いかけた。
「母上に聞いたところ、ここ数日の話と言っていましたが」
「……三日、いや、四日前からだな。力を入れようとすると震えることが多い」
ピクリと、ノアの顔が動いた。が、彼の平静は崩れない。
「わかりました。薬師に伝えておきます」
「今日は、彼女を連れて来なかったのか」
「……ええ。彼女にも仕事がありますので」
「そうか、残念だ」
国王は酷くあっさりとしていた。対照的にノアは抑えきれないどす黒い感情を肥大化させる。
――その程度の軽さで、俺の女に手を出してくるな、この色狂い。
「食事は、しばらく第一王宮で作るものを提供します。水差しも定期的に確認しに参ります。他に、何か口にしているものがあれば、確認しますので仰ってください」
「……ああ、わかった。任せるよ」
わずかに、違和感がある回答だった。
***
翌日からは彼女が来た。
毎日僕の執務室にやってきて、体調を診てくれる。会話が返ってくることはなく、触れ合うのも手だけの短い時間だけれど、とても楽しかった。彼女は近寄る度、甘い香りがしてくらくらした。
毎日、去っていくその黒髪を見送りながら考える。
――絹のようなその長い黒髪は、シーツの上でどんな絵を描くんだろうか。
「実は、言っていなかったんだけれど」
一週間がたった頃、検診中に、囁いた。
「こっそり、秘密で呑んでいる薬があるんだ」
はっと、彼女が息を呑んだ。
「診てもらっても、いいだろうか。寝室に、あるのだけれど」
真剣な顔で頷く彼女に、思わず笑みがこぼれる。
――ああ、楽しみだ。
もう何も言わなくなった騎士を連れて、寝室に移動する。彼女は素直に入室してきた。
「薬はどこですの?」
色気のある、とても艶やかな声だった。
「ああ、あとで見せるよ」
「後では困ります」
割り込んできたのは、ノアの声。
振り返ると、二番目の息子は堂々と寝室に入ってきていた。僕と彼女の間に、体を割り込ませてくる。
「私たちは薬を確認しに来たんです。早く出してください、父上」
鋭い目だった。
――なんだ、嵌められたのは、僕のほうか。
落胆で、体の力が抜ける。深いため息が出た。
――久しぶりに、燃え上がるような恋だったのに。けどまあ、僕を嵌めたことは、評価しないとだめか。
「まあ、いい機会か。見ていなさい、ノア」
そう言って、国王だけに代々伝わる隠し扉を開いてみせた。国璽が収められる戸棚の中に、それも仕舞ってある。
「ほら、持っていきなさい」
取りだしたそれを、放り投げた。ノアが慌てて腕を伸ばす。無事、空中で彼が掴み取ったそれは丸薬が入った革袋だ。
「半年ほど前にヘレンがくれた薬だ。寿命が延びる薬、だそうだよ」
「……そんな怪しげな薬を、呑んだのですか」
「そうだよ? それを拒絶したって、どうせ次のものがくるからね」
絶句するノアに、僕は笑った。
――その理解ができないという顔は、もう飽きるほど見てきたよ。
「王座が欲しいか? ノア」
「もちろんです」
即答だった。
――ああ、可哀想に。
「そうか。ではそれを使って、彼女を説き伏せるといい。出来るなら、だけれど」
――僕はチャレンジすることすら諦めたことを。
「残念ながら、この国の王はただの飾りだ。権力もなにもない。決めているのは、全て彼女だ」
ノアは大きなショックを受けた顔になった。かわいそうに、玉座の夢が、砕けていくところだろう。
「僕は、誰が次の王になるかなんてどうでもいいんだ。命があるうちに今を楽しむ。それだけだよ」
***
第二王宮に戻ったノアは自室から従者を締めだした。
父親から奪った丸薬を一粒、緑に渡す。
緑が飲むと、唇の間に赤い花が咲いた。それはまるで、紅い四つ葉だった。
「やはり、毒だな」
「そうですわね。まるで金丹です」
そう言って、緑は丸薬を崩して何かを調べていた。それで何がわかるのか、ノアにはわからない。
「……故郷の薬か」
「はい。遥か昔、不老不死の妙薬として王たちに捧げられましたが、実際はただの毒薬。多くの王が中毒になって死んだと言われています」
「……こちらの経典にもある。神の領域に近づこうとする者は、強すぎる光に耐えられずに焼かれ死ぬ、と」
――まるで、今の俺だ。
父親の暴露に、彼はとても大きなダメージを受けていた。
目指していたものが形だけの虚像だった現実に、心底打ちのめされている。
父親が毒薬だと知っていて薬を飲み続けていたこともショックだった。どうせ次のものが来る。その境地に至るのに、どれだけの苦しみがあるのか。
毒の可能性があるものを口に入れるだけでも苦しかったノアには、確実に毒なものを呑むのがどれだけの恐怖か考えることもできない。
――滑稽すぎる。あまりにも。
自分自身が酷く小さく思えて、ノアはもう一歩も動けなくなっていた。
目を開けると、霧の庭園にいた。濃霧の中、一歩も動けずに思考にふけっていると緑が迎えに来た。
「どうしましたの、旦那様?」
心配そうに緑が顔を覗き込んでくる。
「……俺は、どうするべきだと思う」
気づけば、弱音が出ていた。
「どうする、とは?」
「玉座を、取りに行くべきか、否か。玉座さえ手に入れられれば、全てがうまく行くと思っていた。だがこの国の王は傀儡でしかないと知った今、玉座に価値はあるのか?」
「……よく、わかりませんけれど」
緑は頬に手を当てて考える。その緑の指は、とても美しい色に見えた。
「そうしないと、ご家族が困るのでしょう?」
――父が死に、俺が王座から逃げたら、母と妹はどうなるか。待っているのは、政治の駒としての望まぬ婚姻だろう。
「……そうだな。困ることになる」
「なら、がんばらないと」
緑が微笑む。いつもの、柔らかな顔で。
「私がついておりますわ」
「そうだな」
ノアは、手を伸ばして緑を抱き寄せた。縋るように、緑を抱きしめる。
「お前がいれば、怖いものなどない」
残り3話は金土投稿になります。
明日はついに彼女が動きます。
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