24話 泥水に沈んだ金の蓮《はす》
第二王妃の最大派閥に組しない貴族もこの国には相当数いる。
思想に反する者、機嫌を損ねた者、敵視されている者。そんな貴族達を、隣国から嫁いできた第一王妃は旨く取り入れて、自分の支援体制を築いた。
「ロータス、大丈夫かお前」
執務室で咳き込む男にノアは声を掛けた。彼は第二王妃から嫌われている貴族で、ノアの執務を補佐する政務官だ。
「……申し訳ございません。最近、一度咳き込むと止まらなくなるもので」
「大丈夫そうではないな。早く医者に診てもらえ」
「そうでございますね」
ノアは体調の悪そうな政務官から仕事を取り上げ、帰宅を促した。彼がしばらく休暇を取っても大丈夫なように、他の政務官に引き継ぎをさせる。
「ゆっくり休めよ」
「寛大なお心遣い、感謝いたしますノア王子」
深々と頭を下げて彼は退室していく。
しかし数日後、ノアの元に届いたのはロータスの訃報だった。
王都郊外の小さな礼拝堂に黒の服を着た人が集まっている。妙齢の女性が、棺の横で泣いていた。
「朝、起きて来なかったんですって」
「前から体調が悪そうだったとか」
「寝たまま起きなくなるなんて、怖いわね……」
参列する人達が密かに言葉を交わす。そんな静かな礼拝堂は、突然ざわめいた。
入口に現れた金髪の男に、全員が息を呑む。
「第二王子だ」
ざわつく礼拝堂の中を、ノアは無表情で進んだ。棺までまっすぐ進んで、持っていた百合を手向ける。
血色が消え、萎んだロータスの顔を見て、ノアは目を細めた。
――お前が消えたのは正直痛い。が、こちらはなんとかする。お前はゆっくり休め。
心の中で死者に念を送って、ノアは立ち上がった。
「リュー、頼む」
背後についていた緑に呼びかけると、彼女は棺の横に座り込んだ。
***
女神像が祀られた礼拝堂はなんだか不愉快な場所だった。肌に合わない感覚を覚えながら、私は旦那様の指示通り、レースのベール越しに死体を見る。
痩せた男の体には死人の冷気がたっぷりと絡みついている。軽く吸うと、胸に感じたのは驚愕、混乱、恐怖。
そして、男の口元から、ほのかに毒の気配を感じた。
***
「随分、戸惑いながら亡くなられたみたいですわ。怖かったんでしょうね」
「……報告では、寝室で眠るように死んでいた、と聞いたが」
ノアの金色の目が鋭くなる。
棺の横に座り込んでいた女が、険しい顔でノアと緑を見ていた。
緑は手を伸ばして、男の口元を、黒い手袋の指で拭った。
「少し気になる匂いがします。毒見、してもよろしいですか?」
毒見、という言葉に、ノアと棺の横の女が反応した。
「派手にはするな」
ノアの了承を受けた緑が死体に触れた人差し指を口に含む。
咲いたのは、小さな白い蓮の花。
ベールの下起きたその現象を正しく認識できたのはノアだけだった。
「うーん、初めてみる花ですわ。匂い的には、ヒ素、なんですけれど。無味無臭で、水に溶けやすい劇薬です」
緑は手の上で小さな蓮を転がしながら首を傾げる。その姿を横目に、ノアは棺の横で訝し気に顔を歪ませている喪服の女を見た。
「貴方がロータスの妻だな。悪いが、家を捜索させてもらう」
「……は?!」
突然の宣告に喪服の女が声を荒げるが、ノアは緑と数名の騎士を連れて礼拝堂を後にした。
「お待ちください! うちに何があるというのです!」
「思い当たるものがあるのであれば、早めに出すことだ」
「うちにはなにもございません!」
甲高い声で夫人が訴える。第二王子の横暴の噂に、近隣住民たちも家の外に集まっていた。
ロータスの家は、王都郊外にぽつんと立っていた。従者が一人しかいないその屋敷で、数名の騎士が家探しをしている。ノアは屋敷の入口に腕を組んでもたれかかっていた。廊下の奥で、若い侍従が動けなくなっているのが妙に目についた。
「夫はずっと貴方に仕えていたというのに、最後になんて酷いことをなさるのですか!」
「あら、酷い事をしたのは、貴女でしょう?」
緑の間延びした声が、二人の間に入り込む。見れば、階段の上で楽しそうに緑が笑っていた。
「見つけましたわ、旦那様」
緑は顔の横で小さな小瓶を振る。それは華奢なガラス細工で飾られた美しい小瓶だった。
それを見た婦人が、息を呑む。一気に顔色が悪くなった。
「早かったな」
「ええ。教えてくださいましたので」
妙な返事だったが、ノアは受け止めることなく流した。優雅に階段を下りて来る緑に歩み寄る。
「中身は、間違いないか」
「ええ、同じものですわ」
小瓶を受け取る。良く見覚えがあるガラス細工だった。
「夫人、これはなんだ」
「い、今貴族女性の間ではやっている、美容薬です」
「そのいったものは、全て提出するように言ったはずだが。俺の部下であるロータスが見逃すはずはない」
「購入したのが、最近で」
「今は、流通も禁止している。売る店などないはずだ」
止まらないノアの追及に、婦人はどんどん顔色を失くしていく。
「夫人、これを、どこで手に入れた」
もう逃げ場はなかった。
「素直に口を割るなら、多少の温情をくれてやる」
その一言に、婦人は即座に膝を折った。
「第二王妃様からっ、いただきました!」
婦人はノアに向かって両手を組んだ。まるで、神に祈るように。
「他国で流行っている最新の美容水だと。でも、飲むと緩やかに死ぬ薬だから、気をつけるように、言われました!」
「それを、ロータスに飲ませたんだな。よく稼ぐ良い男だったはずだが? なんの恨みだ。それも、第二王妃の指示か」
「ち、違いますっ」
「ではなぜ?」
その問いに、返答はなかった。口を噤んだ婦人をノアは冷たく睨む。
「……男でしょう」
それまで傍観していた緑が口を開いた。彼女は、廊下の奥にいる侍従を冷めた目で見ている。
「あの方、貴女と同じ香水の匂いがします。ずいぶん仲がよろしいんですね?」
女は答えなかった。
「夫婦は苦楽を共にするものなのに、それを裏切り、命まで奪うなんて」
「お前に何がわかるのよ!」
見下す緑に婦人が叫んだ。
「私はっ、あんな男と結婚なんてしたくなかったのよ! それなのに、無理やりっ」
女はそこで言葉を切った。大粒の涙が流れ始める。
だが、緑は平然としていた。
「あら、望まない結婚なんて、当たり前でしょう? 親が決めた相手と家庭を築くのが娘の務め。恋愛など求めるものではありません」
緑の酷く古典的な結婚観に、婦人だけではなく、ノアも驚いて言葉をなくした。
「恋をするのは自由ですわ。情夫を作るのも、お好きにどうぞ? でも、それで夫を殺すのは許されることではありません」
緑は軽蔑を込めた目で夫人を見ていた。
「そんな女は、最後は心臓を抉りだされて死ぬと決まっていますわ」
吐き捨てるような言葉に、女は絶望する。そして、笑った。
「……いいわよ。どうせ、私は殺されるもの」
「? 誰にだ」
ノアが問い掛けると、女は絞り出すように答えた。
「……第二、王妃様に、です。王妃様から薬をもらって、夫に薬を取り上げられた者は皆、死んでいます。きっと私も、殺される。貴方に温情を受けたって、どうせ、すぐに」
女の中で何かが壊れた。乾いた笑い声が、不意に引きつった悲鳴のようなものに変わる。
「貴方のせいよ! 貴方がうちに来たから! 貴方のせいで!」
発狂した女は、もうノアしか見ていなかった。飛びつきそうだった女を、騎士が捕らえる。
抑え込まれても彼女はノアだけを見て言った。
「私を殺すのは、貴方よ」
***
ノアは庭園の庭で寝そべっていた。頭を緑の太ももに任せて、完全に脱力している。疲れた体に緑の手の感触が心地よく沁みた。
疲労を隠すことなくさらけ出していると、ぽつりと緑の声が聞こえた。
「あの女、あの場で殺しておけばよかったですね」
物騒な言葉に、ノアは慌てて閉じていた目を開いた。体を起こして緑を見る。
「どうした、突然」
「だって、お疲れなのはあの女が原因でしょう? 悪いのは自分で、殺しに来るのは王妃だというのに、全部旦那様に責任転嫁して。無礼にもほどがありますわ」
緑の声は冷たい。この魔女なら本気でやりかねないと、ノアは思う。
「やめておけ。あれを殺しても、得るものなんて何もないだろう。無駄に手を汚すな」
「旦那様が言うなら、そうしますが……私、旦那様の命令なら、どんな人間も始末してきますわ。妻ですもの」
微笑む緑の黒い瞳は本気だった。倫理の欠落した頭のおかしい魔女の思考。それなのに、ノアは笑って受け入れた。
感じるのは、優越感だけ。
「指示は俺が出す。それまでは動くなよ」
「はい、旦那様」
どちらともなく、唇を重ねる。
最初はあんなに感じていた甘さが、今もうわからなくなっていた。
次回は水曜日投稿です。
ちょっとノアを可哀想な男にしてしまいました……お楽しみに。
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