21話 ランプの貴婦人はもう夢も見ない(前編)
それは公務の帰り道。昼間の郊外。馬車での移動中に起こった。
突然、轟音が響いた。馬車が横転し、中に居たノアと緑は馬車の中で転がる。とっさに、ノアは緑を抱き寄せていた。
随行していた騎士たちの悲鳴が聞こえた。
「なんだ。なにが起こった」
ノアは痛む体を起こす。空を映す割れた窓からは黒煙が見えた。その光景に、ノアは事態の深刻さを悟る。
「大丈夫か、リュー」
腕の中の彼女に呼びかけるが、答えはない。
「リュー?」
見ると、彼女は腕の中で小さく震えていた。顔を真っ青にして、一点を見つめている。
「リュー。どうした」
ノアが頬に触れると、彼女はやっと彼を見た。
黒い瞳が恐怖に染まっていた。赤い唇は震えるばかりで言葉を紡げない。初めて見る彼女の姿にノアは言葉をなくした。
「御無事ですか殿下!」
頭上から声がして、ひしゃげた扉がこじ開けられた。馬車内を覗き込む顔は、クレスではなかった。
「……問題ない。何があった!」
「火薬爆弾です! 先ほど渡った橋が壊れされました!」
「被害は!?」
「直撃を受けた数名が負傷しております!」
騎士の言葉に、緑がピクリと反応した。
「安全を確認できるまで、殿下はこちらに隠れていてください!」
――ただの盗賊か。王族を狙った何者かの罠か。
ノアが返事をしようとした時、緑が動いた。ノアの腕の中からでて、騎士に向き直る。
「怪我人を看ます。どこにいますか」
その言葉は抑揚がなく、どこか空虚で、感情が感じられなかった。
「どうした。危ないからここにいろ」
「我拒绝」
異国の言葉が返ってきた。伸ばされたノアの手から逃げて、緑は視点の定まらない目を彼に向けて答える。
「怪我人を看るのが、私の仕事です」
馬車の外に出た緑は機敏に動いた。黒煙が立ち上り、腐卵臭が立ち込める中を颯爽と歩きまわって怪我人を一人ずつ見ていく。
小さな橋は爆破により粉々に砕けていた。下の川に、動かなくなった馬が一頭沈んでいる。
馬車の外に出たノアに、動ける騎士が二人ついた。一人が、強盗の類ではないようです、と報告した。
橋の麓には、一人の男が横たえられていた。
「クレス!?」
ノアは、横たわる自分の近衛騎士を見つけて思わず叫んだ。
彼は半身を炎に焼かれていた。衣服が焼けて露わになった腕にはいくつも水ぶくれができている。片足は、途中で異様な方向に曲がっていた。
「爆破の時、橋の上に居たのです。他の者の怪我は軽いのですが、彼だけが重傷で。ひとまず川から引き揚げたのですが、医者が来るまで、どうすればよいのか」
打ったのか、肩を押さえた騎士がノアに説明した。既に無事だった騎士が救援を呼びに行ったらしい。
姿が見えなかった緑が、川から上がってきた。手に布の塊と一本の棒を持っている彼女は、ドレスの丈が膝が出るほど短くなっていた。
とんでもない姿にノアも騎士も目を剥く。
「ど、うした、その恰好」
「? 裂きました。布が必要でしたので」
緑は淡々と答えると、持っていた元ドレスと思われる布をクレスの焼けた肌に掛けた。それは川の水をたっぷり吸っていて、彼の熱を持った肌を冷やしていく。
そして彼女は方向がおかしくなった足に向き直る。まさか、とノアが思う間もなく、緑は躊躇なくそれを掴んで、正しい位置に戻した。
横たわるクレスが悲鳴を上げる。だが、彼女は動じることなく、折れた足を添え木で固定した。
それが恐らく医療行為だということがノアにも周りで見る騎士にもわかった。だが、半身が焼け、悲鳴を上げる男の処置を顔色変えず行う緑の姿は、とても恐ろしく見えた。
そうこうしているうちに、城から応援部隊が来た。クレスは担架で運ばれ、ノアと緑には新しい馬車が用意される。
緑は大人しくノアと馬車に乗り込んだ。
***
まだ、心臓が早鐘を打ち続けている。
爆発からずっと止まらない鼓動で、耳がよく聞こえない。まるで、心臓が頭に移動したよう。
――軽症者は複数いましたが、重傷者は一人だけ。すぐ横に川があったから、火傷を冷やせたのは大きかった。このまま基地に戻れば、彼は助かるでしょう。多少、傷跡は残るでしょうけれど。
そこまで考えて、はたと気づく。
――基地って、なんのことだったかしら。
「リュー」
顔を上げると、金髪金目の外人が私を訝しげに見ていた。
――違う。これは、旦那様。今は、私が外の人間。
「リュー」
もう一度、呼ばれた。
――そう。それが今の私の名前。私は……
なんだか、夢から覚めた気分だった。
――旦那様の毒見役。それが今の私。もう、なにもできない、なんの役にも立てない私ではない。
ふわりと、私は微笑む。
「なんでございますか、旦那様?」
***
やっといつもの調子に戻った緑に、ノアは深いため息をついた。
爆発が起こってから、緑の様子は明らかにおかしかった。
「すみません、私、少し変だったでしょうか?」
「だいぶな」
「失礼しました。少し、爆発で昔を思い出してしまったみたいです」
「……昔、か」
緑の言葉に、ノアは窓の外の流れる風景を見た。出来るだけ、何気ない振りをして尋ねる。
「故郷に居た頃は、騎士団付きの修道院にでもいたのか?」
「? 修道院?」
緑は質問の意図がわからないようだった。首を傾げて頬に手を当てる彼女に、ノアは窓の外から視線を戻した。
慎重に、その金色の目で緑の様子を観察する。
「看護に、慣れているようだった」
緑の黒い瞳が、見開かれた。
「そう、ですわね……遠い昔。看護師を、していましたわ」
緑は首を回して、窓の外を見つめる。その横顔に、いつものゆったりとした笑みはない。
「……私、薬屋の娘だったのです」
長い沈黙の後。観念したように、緑は語りだす。
「でも、戦争が起きて。私は薬屋の娘として、医療支援に従事しました。本当は、行きたくなかったのですけれど。そんなこと、口が裂けても言えなかった」
初めて語る緑の過去だった。想像よりもずっと重いそれをノアは黙って聞く。
「戦地を転々として、大きな爆発に巻き込まれました。その後は、どうなったか私にもわかりません。気づいたら、この国にいましたの」
「そうか」
短くノアは相槌を打った。深堀りする必要はない気がした。
――今更、過去の話など、どうでもいいんだ。
けれど、緑はそこで終わらなかった。ノアが考えるよりずっと、彼女は不安定になっているようだった。
「昔の名前は、忘れました。私、旦那様にリューと呼ばれるのが、好きです。でも」
静かに、彼女は尋ねた。声が少し震えている。
「どこから来たかわからない女は、怖いでしょうか?」
緑の黒い瞳が不安げに揺れながらノアを見ていた。
二人を乗せた馬車は、既に王都に入っていた。整備された道に入り、揺れも少ない。車輪の音と、馬の蹄の音だけが聞こえた。
「……今更だ」
ノアは端的に答えた。
「出会った頃のほうが、よほど恐ろしかった。今は、なにも感じない。もう、今更だ」
少し、呆れが混じった言葉だった。繰り返される「今更」の言葉に緑は目に涙を浮かべた。
「ありがとうございます、旦那様」




