20話 恋に焦り惑う莢蒾《がまずみ》
それは、突然第一王宮に届けられた。
受け取った侍女は困惑した。ちょうど食事の時間だったので、食堂にそれを持ち込んだ。
「魔女殿にアーサー殿下から贈り物が届きました」
緑以外の全員が、固まった。
「私に?」
緑だけが、のんびりとしている。
緑の元に荷物を運ぼうとした侍女を、ノアが止めた。その場で開けるように指示を出す。
美しい装飾の箱を開くと入っていたのは、ブローチと指輪。アメジスト一粒石を使ったブローチは一目で高価なものとわかる。
「まあ」
石の美しさに緑は声を漏らした。けれど、王族たちが注目していたのはそちらではなかった。
ノアの顔が、取り繕えない程険しくなっていた。
「随分なものを、贈りつけてきましたね」
母のメアリーがため息をついた。二人の妹たちは、口を両手で覆って目を輝かせている。
「フェデリング、ですよね、姉さま」
「ええ。初めて見ました」
色めく少女たちを見て首を傾げる緑に、ヘレンが説明した。
「これは、フェデリングといって、昔、婚約が成立した時に贈りあったと言われる指輪です。まれに求婚時に贈られることもあるそうですが」
「突然贈りつけるようなものではない」
怒りに染まったノアの声が低く聞こえた。息子の取り乱し様にメアリーが小さくため息をつく。
「今すぐ送り返せ」
「まあ、それがいいでしょう。ここで受け取れば、婚約を受けたと取られかねませんから」
耐えられなくなったノアが椅子から立ち上がった。緑を連れて去ろうとした彼に、プレゼントを運んできた侍女が駆け寄る。
「あの、お手紙も入っていたのですが」
差し出されたそれを、ノアはむしりとった。震えるほど力をこめて、くしゃくしゃに握りつぶして、侍女に投げつける。
「一緒に送り返せ」
自室に緑を連れて帰ると、彼女は早速日課の毒見を始めた。ノアが横目で見てもその顔は普段通りで、特に変化はない。
荒ぶっているのは、ノアだけだった。
――あのくそガキ。なにを考えてフェデリングを贈りつけてきた。
第四王子アーサーには正式な婚約者がいる。母親である第二王妃ヘレンの親戚で国内公爵家の令嬢。そして、彼女以外の令嬢にも手を出していることをノアは知っている。
媚薬の香を焚きこめた部屋に緑を閉じ込めた恨みをノアはまだ忘れていない。なにをしようとしていたのかなんて、考えないほうが難しかった。緑は自力で脱出できる規格外の強い女だったから難を逃れたが、普通の令嬢であれば既成事実を武器に散々脅されていただろう。
緑に指輪を贈りつけて来たのは嫌がらせ目的だと想像できた。わかっているのにノアは腹の底が煮えたぎるのを止められない。
落ち着け、とノアは目を閉じて深く深呼吸をする。ここで怒りを抱え続けて異母弟の手の平で転がされるのは不本意過ぎた。
「毒見、終わりましたわ」
ゆったりした声が聞こえた。ソファーに座って待つノアの元に緑がやってくる。アーサーに閉じ込められた時に動かなくなった手はもう完全に回復したらしい。普段と全く変わりのない彼女に、ノアの心は再びいらつきを覚えた。
「……あんな熱烈な求婚を受けたのに、冷静だな」
気づけば嫌味が口から出ていた。緑は理解できないという顔で首を傾げる。
「私にとっては意味のわからないものを贈りつけられただけですし……私には旦那様がいますもの。思うところなんて、なにもありませんわ」
緑の言葉は苛立ったノアの心を優しく包む。
「それより旦那様があんなに怒ってくださったのが、私は嬉しかったです。愛を感じてしまいました」
改めて言及されると、途端に気恥ずかしさが沸いてきた。緑から顔を背けて、表情を隠す。
けれど無言のそれは、緑には怒り故の行動に見えた。困った緑は、少し乱暴な手段に出る。
緑はソファーに座るノアの横に立つと、その頭を無言で抱きしめた。ノアの金髪の頭が、緑の胸の間に沈む。ノアの視界は半分以上が潰れた。頬全体に布越しでもわかる柔らかい感触が当たっている。
――は?
突然のことにノアは抵抗が出来なかった。
「あまり怒らないでくださいな」
緑がノアの髪を撫でる。
――なん、なんだ、これは。
普段遠くから見ているだけだったそれが、目の前にあった。柔らかい感覚が思考を全て奪っていく。鼻と口がふさがれそうになっていて、息がしずらい。
体に密着している耳には、緑の鼓動が聞こえていた。心拍があることに石ころレベルまで小さくなった理性がほっと息を吐く。
緑の穏やかな鼓動に比べ、ノアは心臓が爆発しそうなほど高鳴っていた。
やめろと言いたいのに、口は動かない。
「私は旦那様一筋です。信じてくださいませ」
顔で感じる胸の柔らかさ、体温の温もり、情欲も沸いたが、それ以上に安心感が募った。体からだんだんと力が抜けて、怒っていたことがどうでもよくなっていく。
――こんな行為は、初めて聞く。
「……ずいぶん、手慣れているな」
素直に彼女の愛を受け取ることが出来なくて、ノアはひねくれた。
「男性は、こうするのがお好きな方が多いと聞いたのです」
「……俺は、そんな話聞いた事もない」
「あら、そうでしたか? それは失礼しました」
緑の拘束が解けた。顔から柔らかさが離れていく。
下がって距離をとろうとした緑をノアは掴んで止めた。顔が、真っ赤だった。
「……やめろとは、言ってない」
緑は笑って、もう一度ノアの頭を抱えた。ノアは今度は正面からその胸に溺れた。位置と角度を間違えば、口と鼻が塞がって呼吸ができなくなる。その一歩間違えれば命の危険さえある危うさが他にはないほどに刺激的だった。
――こんなものを味わえるのは、きっと俺だけだ。
囚われている自覚はあった。最初はあんなに警戒していた魔女に、今は誰より心を許してしまっている。
頭のどこかでまずいと思いながらも、もう、足掻く気力は溶けきっていて。
目を閉じて、彼は魔女の柔らかさを堪能した。
20.5話にあたる短編を書きました。
やってることは一緒なのですが、ノアがより溺れております。
毒見役ですが、旦那様の私への中毒は防げなかったようです
〜魔女の私が王子様と愛し合ってはいけませんか?〜
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次回は7月17日(金)21時更新。緑の過去に繋がる話です。
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