17話 貴方だけを愛する蛇の寝茣蓙《へびのねござ》
侍女の手でナイトシャツに着替えさせても、緑は起きなかった。
寝台の中で静かに眠る緑をノアはベッド脇からじっと見つめる。
――リューの口から出た黄色い花。あれは、媚薬を呑んだ時に咲くと言っていた花だった。
第二王宮で媚薬を使うような人物に、ノアが思い当たるのは一人だけ。
――あのガキ。まだ人の物を欲しがるか。
第四王子アーサーの悪癖は今に始まったことではなかった。彼は昔から人のものを欲しがり、そしてそれを権力で奪っていく。
ノアは母の権力もあって、あまり被害を受けていなかったが、アーサーと数か月の差で兄となった第三王子オリバーは、よくその被害を受けていた。本、馬、侍女、果ては近衛騎士まで。オリバーがアーサーに取り上げられたものは数知れない。
――リューを狙って返り討ちにあったなら、いい気味だが。リューの力をあれに知られるのはあまり良いことではない。
なにがあったのか詳細に聞きたいと焦る気持ちと、疲れている緑を休ませたいという気持ちがせめぎ合う。
顔をしかめて考えていたノアは、おもむろにベッドから離れた。窓際の文机から椅子を引き出し、ベッド横に移動させる。
――あちらなら、話ができるかもしれない。
椅子に座ったノアは腕を組んで目を閉じた。
***
聞こえて来た鈴の音に目を開けると、いつもの庭園にいた。
ただし、視界に広がるのはいつも以上に濃い霧。足元は大量のシダに覆われていた。力を使ったことが、見て取れた。
「リュー! いるか!」
濃霧の中叫ぶが、反応はない。冷や汗が額を伝う頃、その人影は現れた。
振り返った先にいたのは、首のない庭師。これまで遠巻きに見ていたそれが、ノアに近づいてきたのは初めてだった。真っ黒な首の断面が、こちらを見つめる目のように思えた。
「な、んだ」
ノアが戸惑っていると、庭師は彼の腕を掴んだ。そのまま庭園の中を歩いていく。
庭園の中は、前回と違って意外と片付いていた。剥がされたシダがところどころで山になっている。
「おい、どこへ連れていく!」
叫んでも、庭師はどんどん進む。腕を掴む力は、驚く程強かった。抗えない恐怖が全身を回った頃、庭師はぴたっと止まった。腕を放される。ノアとそれは、丘の上まで移動していた。
「どうした」
問いかけると、庭師は霧に包まれた丘の一部を指さす。その指の先に緑が横たわっていた。
「リュー!!」
ノアが駆け寄る。体を起こすと、ゆっくりと緑は目を開けた。
「あら……」
緑は目を開けてノアを見ると、眉を寄せた。まるで、誰だかわからないとでもいうように。
ノアの背筋がすっと冷える。
ゆっくりと、緑の紅い唇が開く。
「……だん、なさま?」
いつものゆったりした口調だった。安堵でノアの体から力がどっと抜ける。
緑の声を確認すると首のない庭師は去っていった。
「どうして……ああ、そうですわね。力を使ったんですもの。こうなりますわね」
「大丈夫か。第二王宮で何があったんだ。一体」
ノアが問いかけると緑はふう、とため息をつく。
「お茶会は完璧に過ごしておりましたのよ? でも途中で王宮内に呼ばれて。入った部屋は香が焚きこめた部屋だったのです」
「香?」
「恐らく、麝香です。鹿の分泌器官から作られた香で、媚薬の効果をもつもの……あんなに濃いものを嗅いだのは初めてでした」
再びため息をつきながら、緑は自分の腕をさする。
「今まで香で花が咲いたことはなかったのですが、あまりに濃すぎて体が毒と感知したようです。焦りましたわ。咲いた花は必死に隠しましたけれど」
緑は自分を支えるノアを見上げた。黒い目は不安げに少し揺れている。
「扉の鍵を壊すために、力を強めに使いました。証拠は出来るだけ消してはきましたけれど、怒りますか? 旦那様」
手を出してきたアーサーに対する怒りに支配されていたノアは、一瞬、緑が何を怖がっているかわからなかった。
「怒るはずないだろう。一人でよく切り抜けてきたと褒めるところだ」
「……よかった」
緑は小さく零すとノアに体を寄せた。
「旦那様に迷惑がかからないか、それだけが心配でしたの」
いじらしい緑に、ノアの庇護欲が掻き立てられる。同時に、アーサーへの怒りが底知れないものになる。
――人のものに手を出したらどうなるか、そろそろ本気でわからせたほうがいいか。
あふれる怒りを拳に込めていると、腕の中で緑が片手を見つめていた。それは手首から先が力なく垂れている。
「……どうした? 痛むか?」
「痛みは全く。というか、感覚がないのです。やはり、壊せる程、銅を溶かすのは、やりすぎたようです。しばらく、このままかもしれませんわ」
「銅を溶かす?」
ノアは足元に蔓延る植物を見た。二人が言葉を交わしている間にも首のない庭師がせっせと作業をしているため、庭園内のそれはだいぶ少なくなっていた。
「これはヘビノネゴザというシダですわ。鉱山地帯に自生する、銅を溶かすことができる植物なのです」
体の下に生えているシダを、動くほうの手で取って緑はノアに見せる。
「根から酸を出せるので、その特性を無理矢理強めてドアノブを溶かしました。賭けでしたが、うまく行ってよかった」
手が動かなくなるほどの代償を払って力を使ってきた緑に、庇護欲がさらに増した。その力の異様さには、ノアの目は向かなかった。
緑の力を目撃したアーサーに対して心配はあったが、証拠は消してきたという言葉をノアは信じることにした。証拠さえなければ、いくらでもとぼけることができる。
ノアは緑の手を心配して見る。が、視線はその手前の胸に吸い寄せられた。触れた体温の暖かさと、豊満な胸から目が外せなくなる。指が肌に埋まる感覚を、脳が勝手に呼び起こしていく。
「っ……庭師を、手伝ってくる。リューはここにいろ」
色欲を振り払ってノアは立ち上がった。名残惜しさを踏みつけて、除草作業をしている首のない庭師に向かって歩いていく。
残された緑は笑っていた。
「はい。ありがとうございます、旦那様」
***
きらびやかな部屋で金髪の女が笑っていた。宝石のような紫の目は、その部屋では蛇のように細い。
「あの子は失敗したのね。この私が手を貸したというのに、本当にダメな子」
苦労してやっとやっと授かった息子の出来の悪さは彼女の頭痛の種だった。
お気に入りの香の香りの中、第二王妃ヘレンは月夜を見ながら紅茶を楽しむ。
「女一人口説けないなんて、情けない。まあいいわ。こちらは、成就するでしょうから」
満月の下、紅い唇が三日月の形をしていた。




