11話 お姫様になりたい狼茄子《おおかみなすび》(前編)
第一王子の喪が明けた直後、城では待ちかねたように国王の生誕パーティーが開かれた。会場には成人済みの王族全員が勢ぞろいしている。
壇上の玉座に座るのは国王ジェームズ、その隣に座る第一王妃メアリーと第二王妃ヘレン。今日は第四王妃のマルガリータもいた。
節操のない父に時折冷たい視線を送りながら、ノアは参加者へ挨拶をしていく。
城の大広間は招待客で入り乱れていた。近くに緑とクレスもいるはずだったが、ノアの視界にその姿はない。
昨夜の甘い交わりを思い出す。もう、今日何度目の反芻か、ノアは覚えてない。
緑は至って平然としていた。食堂でも執務室でも、これまでと変わらず役目を努め、終われば静かにノアに付き従っている。
意識しているのはノアだけだった。口づけの熱さも、触ってしまった胸の柔らかさも忘れられない。それが、異様に悔しい。
「お久しぶりです、ノア兄上」
人混みの中から、そう声を掛けられた。来たか、と思いながら、ノアは声の主を見る。
二つ年下の異母弟、アーサーが立っていた。彼が第二王妃の長男になる。金髪と、不遜さがにじみ出た紫の目は母親の血を濃く受け継いでいるのが見て取れる。
「久しぶりだな、アーサー」
「はい。ローレンス兄上の葬式以来です。お一人ですか? 婚約者殿は?」
ノアの婚約破棄と、元婚約者の修道院送りは最近の社交界一番の話題だった。
わざわざ人前で聞いてくる弟に、母が母なら子も子か、とノアは額に青筋を浮かべながら微笑みを返す。
「今、私に婚約者はいない」
「あ、そうだったのですね。すみません。僕、こういった話題に疎くて」
アーサーは笑う。だが、ノアは知っていた。
――こいつは、いつもこうやって無知のふりをして人の傷を抉る。不愉快なガキだ。
「ノア兄上は――」
「お話中大変失礼いたします、兄上」
割り込んでくる声があった。アーサーが瞬時に苛立ちを露わにして反応する。
背後にいたのは、ノアと同じ金髪金目の少年。アーサーと同い年の異母弟、オリバーだった。
「お前、今俺が兄上と話しているんだぞ!」
「すみません。外相大臣が兄上をお探ししていたので、早くお伝えしたほうがいいかと思いまして」
オリバーは抗議するアーサーを平然といなして、ノアをその場から連れ出した。ホールを移動したところで、周囲を見渡す。
「あれ、すいません。さっきまでこちらにいらっしゃったのですが……」
その行動はとても自然な演技だった。
「悪いなオリバー。手間をかけさせた」
「……いえ、これぐらいは別に。兄上のお役に立てたならよかったです」
微笑むノアにオリバーも笑い返す。
オリバーは、ずいぶん前に亡くなった第三王妃の息子だ。平民出身の母親で後ろ盾がない彼は、かなり苦労しながら妹とこの王宮で生きている。時折、第一王妃から衣類の援助をしているぐらいだ。
「第一王妃にはいつも助けていただいていますから」
空気を読み、演技のできる優秀な異母弟をノアは高く評価していた。相手を騙せる度胸も、それを笑う狡猾さもある。母親が平民でなければ、脅威の存在になっていたに違いなかった。もったいない、とノアは彼の生まれを嘆く。
「困った時は頼れ。お前には期待しているんだ」
「ありがとうございます。学園卒業後は兄上の下でがんばりたいです」
そう言ってオリバーは人混みに消えていった。頼もしい異母弟の背中を見送って、ノアは笑う。
――オリバーはこのままこちらに引き入れていいだろう。あれは使える。
***
着飾った人間が、まるで家畜のようにひしめき合っている。
それらを私は壁際に立ちながら見ていた。隣には旦那様の騎士が今日のパートナーとして立っている。
様々な者がいた。花に埋もれている者、幽灵を引きずる者、取り込まれそうになっている者。綺麗な人間はほとんどいない。
建物には化粧と香水の匂いがむせ返っていて吐き気がするほどだった。それらに交じって、毒の匂いもあちこちからする。
その匂いを纏う女たちは、皆旦那様を見ている。糸を引くような視線で。
――こんな日にお傍にいてはだめだなんて。旦那様ったらひどい人。
こういう場で婚約前の人間を連れて歩くのは外聞が悪いそうだ。不服だったけれど、旦那様に迷惑を掛けたくなかったからおとなしく指示を聞いた。
――昨日は、たくさん愛をくださいましたし。
熱さが残る唇を、舌でなぞる。
融けてしまうぐらい、熱い交わりだった。
***
「の、ノア様!」
オリバーの起用の算段に策を巡らせていた彼は突然の呼び声に慌てて表情を取り繕った。一人の令嬢が、目を潤ませてノアを見上げていた。まだ学生とみられる年ごろだった。
「わ、わたくし、ベラ・アトロパと申します!」
潤んだ瞳、ほてった顔。少女は随分興奮した様子だった。
「わたくし、わたくしノア様とお話がしたくて!」
肩で息をしながら彼女はノアに詰め寄る。少女は顔だけではなく、首も手も赤いように見えた。
「ずっと、ずっとお慕いしていたのです!」
「……少し、落ち着きなさい。家の方はどちらに?」
異様に興奮した少女に、ノアは恐怖を覚えた。彼女の茶色い瞳は彼を見ているようで、見ていない。虚ろに見開いた瞳にノアだけが映っている。
「わたくし、わたく、し……っ!」
少女が令嬢でいたのは、その言葉が最後だった。
「ああ! だめです! こんなところで!」
突然、脈絡もなく彼女は叫びだした。
「嫌ではありません! でも! 順番が!」
ぐるぐると、ノアの前を歩き周り始める。その奇行にノアはもちろん、周りの人間も、動きを止めて注目しだした頃。糸が切れたように少女が倒れた。
床に転がった彼女の体は、ビクビクと痙攣を始める。
周囲から悲鳴が上がった。
ノアは、なにか起こったかわからない。
「っ! 医者だ! 医者を呼べ! 令嬢が倒れた!」
慌ててノアは声を上げるが、周囲の人々は遠巻きにノア達を見ていた。手を貸そうと出てくる者はいない。
――なんなんだ、この茶番は!
ノアは令嬢に触れてはいない。だが、周囲から見れば、一緒にいたノアか何かをしたと考えるのが自然だった。
無数の冷ややかな目がノアに向けられている。
――はめられた!
音がするほど、ノアは拳を握りしめた。
続きは明日。
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