第3話:王国の危機と、最高級の霜降り肉
魔境でのソロキャンプ生活が始まってから、数週間が経過した。
「うん、導線は完璧」
私は自作のウッドチェアに深く腰掛け、満足げに頷いた。
最初は簡素なテント一つだった私のキャンプ地は、今や劇的な進化を遂げていた。
『防護結界』の範囲を広げ、土魔法(生活魔法の『整地』の応用)で竈や調理台を完備。さらに、近くの湧き水から『水の浄化』を利用して引き込んだ、源泉掛け流しならぬ「魔力掛け流しの露天風呂」まである。
もはや過酷なサバイバルではなく、森の中にポツンと佇む高級コテージのような快適さだ。
『ワフッ』
足元では、すっかり定位置となったモフモフの巨大絨毯――もとい、大森林狼のムラが、尻尾を揺らして私を見上げている。今日も毛並みが艶々だ。
「アイラ嬢、補給任務に赴いた」
背後の茂みがガサリと揺れ、すっかり見慣れた顔ぶれが現れた。
王国最強の『霧切り隊』隊長、ガルド・アッシュフォード様である。その後ろには、副隊長のセイン様と、十数名の隊員たちがゾロゾロと続いている。
「お待ちしていました。今日は『魔境キノコとホロホロ鳥の炊き込みご飯』ですよ」
「「「おおおおっ!!」」」
隊員たちが歓声を上げ、手慣れた様子で焚き火の周りに陣取っていく。
ガルド様も無言で私の隣の切り株に座り、スッと自分用のマイどんぶりを差し出してきた。最近、彼が来る頻度が「三日に一度」から「ほぼ毎日」になっている気がするが、気のせいだろうか。
「それにしても隊長。いくらなんでも『魔境の生態調査』という名目で毎日ここに来るのは、そろそろ本部への言い訳が苦しくないですか?」
セイン副隊長が、炊き込みご飯を頬張りながらジト目でガルド様を見た。
「……任務だ。この周辺の魔力濃度は異常に安定している。監視は不可欠だ」
ガルド様は一切表情を崩さず、凄まじいスピードで二杯目を平らげている。
「まあ、王都に帰るよりこっちの方が断然落ち着きますけどね」と、セイン副隊長がため息をついた。
「今、王都は大変らしいですよ。アイラ様が追放されてから、なぜか王都を覆っていた結界の出力が激減して、周辺に魔物が増え始めているとか。おまけに、薬草の供給源だった北の森が瘴気で枯れて、ポーションが深刻な品不足だそうです。レイン王太子殿下は『なぜ誰も対処できないんだ!』と毎日ヒステリーを起こしているらしくて」
「へえ、それは大変ですねぇ」
私は温かいお茶を啜りながら、他人事のように相槌を打った。
(王宮の結界維持システムって、私が流していた余剰魔力で動いてたんですよね。薬草の栽培地も、私が定期的に『浄化』をかけて土壌改良してあげていたし……まあ、私を追放した彼らなら、自力でなんとかするでしょう)
そんなふうにのんびり考えていた、その時だった。
ズズンッ……!!
突如、地面が大きく揺れ、森の奥から鼓膜を破るような咆哮が轟いた。
周囲の木々が薙ぎ倒され、土煙を上げて姿を現したのは、山のように巨大な四つ足の魔物だった。
全身を硬い岩の鎧で覆い、赤く濁った目を血走らせている。
「なっ……暴君猪の変異種だと!?」
セイン副隊長が血相を変えて立ち上がった。
隊員たちも一斉に武器を構え、空気が一瞬にして張り詰める。
「総員、抜刀! アイラ嬢を護れ!!」
ガルド様がどんぶりを置き、鋭い声で号令をかけた。いつもの無表情な顔に、かつてないほどの剣呑な覇気が宿っている。王国最強の騎士としての、圧倒的な威圧感。
だが。
「…………っ!」
私の目は、暴君猪の極太の太ももと、分厚い胸肉に釘付けになっていた。
(あれは……魔境の奥地にしか生息しない、最高級の霜降り肉……!!)
通常の魔猪とは比べ物にならないほど、脂が乗っていて旨味が強いと文献で読んだことがある。しかもあの巨体、燻製にすれば隊員全員で一ヶ月は食べられる量だ。
「ガルド様、下がっていてください」
「アイラ嬢!? 危険だ、離れて――」
私はテントの前に進み出ると、両手を暴君猪に向けた。
「『生活魔法:解体』」
それは、私が魔境での下処理の時短のために編み出した、生活魔法の複合技。
『対象の洗浄』『適切な温度での瞬間血抜き』そして『風の刃による部位ごとの切り分け』をコンマ一秒で同時に行う、究極の調理魔法である。
スパパパパパッ!!
一瞬の閃光。
次の瞬間、暴君猪だった巨大な塊は、綺麗に部位ごとに切り分けられ、血一滴こぼすことなく、私の前に美しく積み上げられていた。鮮度を保つために薄く氷のコーティングまで施してある。
「……ふう。今日のメインディッシュが向こうから歩いてきてくれて、助かりました」
私が満足げに手をパンパンと払うと、その場に不自然な沈黙が落ちた。
「…………」
「…………え?」
ガルド様が、抜いた剣を空中でピタリと止めたまま、石像のように固まっている。
隊員たちは全員、口をポカンと開けて積み上げられた最高級の肉塊を見つめていた。
『ワオォォン!!』(大歓喜)
ムラだけが、ヨダレを撒き散らしながらマイどんぶりを咥えて私の足元に駆け寄ってきた。
『……一瞬で、災害級の魔物が解体された』
『護衛、全く必要なかったのではないか?』
『……いや、そんなことより。あの見事な霜降り肉……あれを炭火でサッと炙って、アイラ嬢の特製ダレで食べたら、どれほど美味いだろうか……』
「よし。ガルド様、今日は特別に『特上暴君猪の厚切り焼肉』にしましょう! すぐに炭火の準備をしますね!」
「……っ!」
ガルド様は、無言のまま天を仰ぎ、そっと剣を鞘に収めた。
そして、これまでにないほど力強く、しかし耳まで真っ赤にして頷いた。
「……一生、補給を頼みたい」
「えっ? 一生ですか? ふふっ、大げさですね」
私が笑って炭火の準備に向かう背後で、セイン副隊長が呆れたように呟くのが聞こえた。
「隊長、それほとんどプロポーズと同義ですよ。しかもアイラ様には全く刺さってないし……」
王国の崩壊が静かに進む中、私たちの魔境リゾートは、今日も極上の肉の焼ける匂いに包まれていた。




