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郵便屋と怨念(8)

『……なんだ、あれ』

「……」

 2人で慌ててマンションに向かい、5階あたりを見上げた瞬間中条さんがそう呟いて絶句した。

『あれが、怨念か……?』

「はい」

 裕二さんの部屋の窓から、真っ黒い、と言うよりどす黒い霧が、次から次へとあふれ出ている。

 あまりの「怨念」に、普段は知覚できないはずの中条さんにも、その光景が見えたらしく、彼は呆然と霧を見上げていた。

『……これ、薫ちゃんが』

「はい」

 彼の言葉には未だ疑いの念が見え隠れしていたが、僕は何のためらいもなく断言する。

 中条さんは僕のほうを見て、悲しさと悔しさの入り混じった声で尋ねてきた。

『……俺を刺したのは、本当に薫ちゃんなのか?』

 その言葉は、きっと僕の「否」という答えを待っていたのだろう。

「……断言はできません。が、そうであれば辻褄は合います」

 けれど、僕は自分の思っていることを正直に答えた。

『女子高生に、殺しなんてできるのか?』

「わかりません。が、できないと断言はできません」

 女の子の腕っ節なんて、運動でもしていない限り高が知れている。

 だが、決して前例がないわけではない。

「……考えている余裕はありません。

 裕二さんが、どれだけ衰弱しているかわかりませんし、薫さんが何をしてくるかもわかりません。

 怨念持ちの霊は、普通の霊とは違います」

『ああ、わかった』

 中条さんがうなずいたのと同時に、僕は鍵を解いた。

 そして、アパートのほうへ歩き出す。

 近寄るだけで汗がにじみ始めるような酷い怨念の中で、僕はフードを深くかぶりなおした。



「……」

『……』

 思わず絶句してしまうような黒い霧は、部屋の中から次から次へとあふれ出ている。

 僕は、深呼吸した後、問答無用でその霧を霧散させ始めた。

 怨念に触れる。

 消える。

 現れる。

 近寄る。

 消える。

 また現れる。

 その繰り返しで、ずんずんと部屋の奥へ進んでいく。

 進むにつれて僕の額に汗がにじみ始め、前髪が額に張り付いた。

 随分と霧散を進め、ようやく目の前が見え始めたとき、

『どうして来ちゃったの?』

 という、薫さんの無邪気な声が聞こえた。

 中条さんが僕の後ろではっと息を呑んだのがわかる。

 目の前にいた薫さんは、確かに微笑んでいたが、それは、どこか歪で。

 僕は瞬間的に感じた頭痛に少しうめき声をもらしながら、裕二さんの姿を探した。

『折角、お兄ちゃんと2人きりになれると思ったのに……』

 そんな僕らを尻目に、彼女は唇を尖らせて『怨念の女を退治してくれるんじゃなかったの?』と問いかけてくる。

 僕らは何も答えず(中条さんは、答えられずの方が近いかもしれない)、ただ黒い霧に覆われた部屋を見渡した。

 そして、ベッドに横たわり、完全に意識を失っているらしい裕二さんの姿を見つけ、

『裕二!』

 慌てて近づこうとした中条さんに、

『お兄ちゃんに近寄らないで』

 冷たい声が降りかかり、彼は反射的に足を止めた。

『この疫病神。あんたのせいでお兄ちゃんがストーカーの被害にあったんでしょ』

『な……』

 昨日まで見ていたあの暖かな声とは大違いの、冷たくて鋭い声に、中条さんが再び絶句する。

「……だから、中条さんを刺したんですか?他のストーカーの女と同じように」

 僕は、額の汗をぬぐいながら、何の感情も混ざらない声でそう聞いた。

『ええ』

 彼女は、動けなくなっている中条さんから視線をはずし、僕の方を見ながらうなずく。

『お兄ちゃんは、誰にでも優しくて顔も良くて、だから、ストーカーの被害にも良くあってた。

 お兄ちゃんに触れる資格なんてないくせに、訳のわからない手紙が郵便受けに入っていたり、気持ちの悪い女がお兄ちゃんのことつけまわしたり』

「……」

 彼女の瞳は憎悪に燃えていた。

『お兄ちゃんにそんな思いをさせるなんて、許せない。

 そして、お兄ちゃんのストーカー女は、皆そこの疫病神と繋がってるやつらだった。

 同じ職場の課だったり、学生時代の同級生だったり……。

 そこの疫病神とお兄ちゃんが一緒に居るところを見て、お兄ちゃんのこと知ったに違いないの。

 だから、刺した。それだけ。

 あいつらとそこの疫病神がいなくなれば、お兄ちゃんはまた私に笑いかけてくれるし、いっぱい頭をなでて、私だけを見てくれる。

 そのために、刺しただけだよ』

『……』

 中条さんは何も言わなかった。

 目の前に自分を殺した相手がいて、でも、何もできなくて。

 彼の瞳に、いろいろな感情が浮かび上がっては消えていく。

 まだ生きていたかった。自分が殺されたことに対する理不尽。だけど、ストーカー女を生み出した原因は自分らしい。裕二さんを苦しめたのは自分だったのかもしれない。だけど……。

 僕はそんな中条さんを見て、それから薫さんに視線を戻した。彼の葛藤は知ったことではない。僕は自分の疑問を解消するだけだ。

「僕を巻き込んだのは、怨念の女を退治させるためですか?怨念の女を消してしまえば、ここにほかの怨念持ちが来る可能性は大幅に下がる。

 そして、完全に裕二さんと2人っきりになるために」

『そうだよ。

 皆死ねばストーカーが居なくなって、お兄ちゃんと2人っきりになれると思ったのに、お兄ちゃんはそれから訳のわからない体調不良になってしまって。

 それで、この人刺した後で私も車に轢かれて死んじゃったけど、それで他の霊ってやつが見えるようになってよくわかった。

 ストーカー女どもは、死んでも懲りていないって。

 だけど、今の私じゃストーカー女はどうにもできない。

 そのときに、怨念と幽霊が見える郵便屋さんの話を聞いたの』

 彼女はゆるりと微笑んで『怨念が消せるなんてびっくりだったけど、それにも限界があるみたいだね』と言った。

 私のこの思いは、怨念なんかじゃないから消せないでしょ?とも。

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