郵便屋と怨念(9)
3月3日 修正しました。
『でも、郵便屋さん、何で私が刺したってわかったの?』
薫さんの問いかけは、あくまで無邪気だった。
僕は左手で怨念を霧散しながら答える。
「最初から妙だと思っていたんです。
怨念をぶつけた主は、ほとんどの場合ぶつけた相手のそばに居るんです。
でも、今回は僕が見ただけで怨念をぶつけた10人中1人。そして、その霊もすぐに居なくなってしまった」
理由は簡単。自分を刺した相手が現れたから。
薫さんは何も言わずに僕の話を聞いていた。
「つまり彼女たちは薫さんが犯人であることを知っていて、自分を刺した人間が現れたことで裕二さんにも近寄れなくなってしまった。
自分に危害を加えたものに近寄りたいと思う物好きは少ない。それは、霊になったって変わりません。むしろ、思いの塊だけになった今、危害を加えたものに対する拒絶の気持ちは強くなっている可能性もあります。
中条さんが平然としていたのは、自分を殺した相手を知らなかったから。
そして、新聞に書いてあった犯人像が「若い女」であったので、もしかしてと思ったら大当たりでしたね」
『そう……』
僕の言葉を聞き終えた彼女は、『でもまあ、犯人死亡でこの事件は終わっちゃったけどね』と笑った。
楽しそうに笑っていた薫さんだが、しばらく笑った後で、でも、と話を続ける。
『郵便屋さんがそれだけのことでわかっちゃうほど優秀なら、もっと早くストーカー女どうにかできるんじゃないの?
幽霊は見えるだけでも、怨念は見えるだけじゃなくて消すこともできるみたいだし。
いくらストーカー女の居場所を掴むためだって言ったって、もう少しお兄ちゃんを怨念から開放してあげられなかったの?
お兄ちゃん、あんなに苦しんでかわいそうだったじゃない』
僕は思わず頭の痛みでよろけそうになった。歯を食いしばってその場にとどまる。
彼女の容赦ない「想い」が僕にぶつかって、額の汗は顎を伝った。
『ま、別にいいよ。
もうお兄ちゃんはストーカー女の怨念で苦しんだりはしてないもん。
お兄ちゃんは、私が救ってあげる』
そのようすを見た彼女は、ふっと視線を自分の兄のほうへ向ける。
完全に衰弱しきった裕二さんは、もう呼吸すら怪しいのではないだろうか。顔色が青を通り過ぎて白くなっている。
『このまま私の想いでお兄ちゃんが死んでくれたらな……』
そうしたら、私はずっと、お兄ちゃんと一緒に居られる。
彼女はそう言って笑った。
『……るな』
そのとき、「怨念」に塗れたこの部屋に、小さな声が響いた。
『……何か言った?』
薫さんは、一変して冷たい表情をその声の主に向ける。
『ふざけるな、って言ったんだよ』
中条さんは、もうその表情に怖気づくことなく彼女を睨み返した。
『さっきから聞いてりゃ、裕二のため裕二のためって……結局全部自分のためだろうが!
ストーカー女たち刺して、俺も刺して、挙句の果てには自分のために裕二も死ね?!
戯言もいい加減にしろ!』
その怒鳴り声に、薫さんは静かに反論した。
『戯言……?ふざけているのはそっちでしょう?
私はお兄ちゃんのためにストーカー女を』
『裕二のために、人を殺したって言うのか?!あいつがいつ、そんなことを望んだんだよ!』
中条さんは、今までの緩みきったふざけた顔からは想像も付かないほど厳しい顔をしている。
思わず、彼女が怯んでしまうぐらい。
『結局、お前が裕二と2人っきりになるのにストーカー女は目障り以外の何者でもなかった。
そしてその原因となった俺も邪魔だった。全部自分のためだろう?!
結局自分も死んでしまって、裕二に認識してもらえなくなったから裕二も死ねばいい?!
人の命なんだと思ってんだよ!』
彼は薫さんに詰め寄った。
薫さんが反射的にか、一歩分後ろに下がる。
『俺はまだ、やりたいことがあった。死にたくなんてなかった!
お前が裕二と2人っきりになりたいっていう願望と同じように、俺にも、裕二にも、怨念女にも、叶えたい願望があったんだよ!
それをお前はつぶして、今まさに裕二の分をつぶそうとしているんだ!それをわかって言ってんのかよ!』
それは、中条さんの心の叫びだった。
理不尽に殺されてしまった人間の、心からの叫びだった。
『……』
それを聞いた薫さんが、黙り込む。うつむいて、肩を震わせて、
『言いたいことは、それだけ?』
彼女は笑っていた。
『ほんっと、なに言ってんのか全然わかんないよ?』
けらけらと笑うたびに、怨念の量が増えていく。
『ストーカー女の願いなんて、知ったことじゃないし、あなたは疫病神なんだから、居なくなって当然。
それに、お兄ちゃんの願いなんて私は全部把握してるもん。
お兄ちゃんはいつでも私のことを考えてくれてて、いつでも私と一緒に居たいって言ってくれてたし、私が死んじゃったときすっごく泣いてくれたし、いつもいつも優しくて……』
僕には、薫さんの言葉が呪詛にしか聞こえなかった。
ストーカー女の言葉と、彼女の言葉が重なって聞こえる。
『つまり、お兄ちゃんは私と居る時間が一番幸せなんだよ?』
中条さんは、目を見開いて、詰め寄っていた分後退した。
『あーあ、霊にはこの「想いの力」通じないんだ。つまらないの。
郵便屋さんにはこの後あのストーカー女退治してもらわなきゃいけないんだし、倒れてもらっても困るんだけどな……』
彼女の視線が、脂汗を額に浮かべ続ける僕に向いた。
『ねえ、郵便屋さん、早く苦しみから脱したいよね?
だったらさ、もう、ストーカー女の身元調べとかいいからさ、あの女たちの怨念だけ消してくれない?
私の想いと混ざって、すごく鬱陶しいの。ねえ、郵便屋さん?』
ああ、そうだ。
こんなつらい思いをするのはもうたくさんだ。
僕は薫さんの言葉を聞きながらそう思った。
そして、その思いを口に出した。
「……確かに、こんな思いをするのはもうこりごりです」
その言葉に彼女が無邪気に笑う。
『でしょ?だったら』
「でも、」
僕は彼女の言葉をさえぎって続ける。
「貴女だけがいい思いをするのは、どうも自分の信念と食い違う気がするんです」
この部屋から早く出て行こうとすることは、「逃げるな」という師匠の教えに背いている。
この部屋の怨念はそのうち外にも影響を及ぼし始めるから、結局僕自身にも被害が及ぶ。
そして、自分以外の人間に一人勝ちさせることは、僕の信念と食い違っている。
「だから、その提案には乗りません」
僕は、久しぶりに人前でフードを脱いだ。




