22.焼き菓子職人エリック・ゴットラングウェイ
「じゃあ、ラーニャ。行ってくる」
その昔、ブルック村で焼き菓子職人として名を馳せた若き男、エリック・ゴットラングウェイは愛する妻の為に決断した。
「……行か、ないで」
ベッドには見たこともない呪いの毒で臥せる最愛の妻ラーニャ。黒髪の美しい女性で、自分の作る焼き菓子がきっかけで結ばれた伴侶。エリックがラーニャの手を握り優しい声で言う。
「心配ない。きっと塔の上にあると言う秘薬を取って来るから。約束だ」
ラーニャは混濁とした意識の中で、不甲斐ない自分を責め続けていた。魔神である身分を隠して一緒になった相手。その彼を自分のために危険な目に遭わせる。なぜか知らないが、魔神の力が使えない今の状況を恨めしく思った。
「すぐに戻るから!!」
エリックは元気に出て行った。
結ばれたばかりの頃、彼には内緒で魔神の加護を付与しておいた。大抵のことでは死なない。ただ絶対ではない。ラーニャはベッドの中でエリックの無事を祈り続けた。
「……ラーニャ。戻ったよ」
何日経ったのか知らない。時々眠ってしまっていたラーニャは、その最愛の人の声で目が覚めた。
「うっ、うう……」
だが呪いの毒の進行によりまともに会話もできない。ただただ彼が煎じてくれた薬を苦しみながらも飲み込んだ。
(あっ……)
意識がはっきりとした。体に力が湧いてくる。究極薬草。彼が取って来てくれた薬は、この世界の最高の薬だった。
「エリック、ありがとう!! 私、もう元気に……」
体を起こして喜びを告げるラーニャ。ただその表情が一瞬で変わる。
「エリック? エリック!!!!」
薬を届け飲ませたエリックは、もうそれ以上の力は残っていなかった。ラーニャのベッドの上で伏せたまま息を引き取ったエリック。ラーニャは彼を偲び一晩中涙を流した。
「おぎゃあ、おぎゃあ!!!」
その数日後、産気づいたラーニャは無事に男の子を出産した。村の老婆がラーニャに尋ねる。
「名前はどうするね?」
(名前……)
ラーニャは涙と共に、エリックの言葉を思い出す。
『僕とラーニャの子だ。絶対すごい人間になるぞ。だから、そうだな。もし男の子だったらエリートって名前にしよう!!』
その時は笑って聞いた話。だが今は思い出すだけで涙が止まらない。
「エリート。この子はきっとすごい子になります。だからエリートって名前にします」
その後、ラーニャは幼子を連れて村から姿を消す。
(愛するエリック。この村は大好きだけど、あなたとの思い出がありすぎて耐えられないわ。魔神界に帰ります。エリートのことは心配しないで……)
彼女が持って行った荷物。それはエリートが丹精込めて作った村の名物、後にブルックと呼ばれる焼き菓子だけであった。
「数百年前にここに来た人族の男、彼の名はエリック・ゴットラングウェイと言いました」
俺はその名前を聞いて鳥肌が立った。それは俺の人族の父親の名前。では、あの村に伝わる伝承は父親だったと言うのか!?
「爺さん。その彼が持って帰って、薬草を与えた女性の名前は……、知ってるか?」
緑の襤褸を着た老人が頷いて答える。
「もちろん覚えていますよ。エリックが何度も口にしていたので。ラーニャと言っていました。黒髪の美しい女性だったとも」
(やっぱり母さんじゃねえか……)
俺はその名を聞いて崩れるように跪く。
「エ、エリート様? どうされて……」
心配したサヤカが声を掛ける。だが俺の目から溢れる涙を見て、サヤカとキャシーが無言となる。
(父親なんてクソだと思っていた。きっと優しい母さんを騙して……)
そしてどこかに消えたと思っていた。生まれてから一度も父親の話などしてくれなかった。だから悪い奴だと決めつけていた。だけど……
――命懸けで母さんを救ってくれたんじゃねえか
人族がひとりここに登ってくるなどそれは想像を絶すること。伝承では薬を届けて亡くなったとあったが、本当に命を懸けて母さんを守ったことになる。
「焼き菓子……」
俺は母さんがよく焼いてくれた焼き菓子を思い出す。あれは、まさか父が作ってくれていたブルック村の焼き菓子。老人が俺の言葉に気付いて言う。
「焼き菓子がお望みで? あちらにございますよ」
そう指さす先にある白のテーブル。その上の皿に置かれた見慣れた焼き菓子。俺は走ってテーブルに向かい無我夢中で口に入れた。
「これだ……、まさにこれじゃねえか……」
母さんが焼いてくれた菓子。全く同じもの。母さんと父さんを結び付けた大切な焼き菓子。俺は幼い頃から知らず知らずのうちにそれを食べていたんだ。老人が言う。
「深くはお尋ねしません。わしもブルック村の焼き菓子が大好きで、時々お忍びで買いに行ってるんですよ」
そう言って老人は笑みを浮かべて転移装置を指さす。飛び回っていた妖精たちもそれに合わせるように言う。
「焼き菓子大好き。焼き菓子大好き。エリック、大好き~!!」
「爺さん、もうひとつ聞く」
俺は涙を拭き、老人の方へ歩きながら尋ねる。
「下で飼っていた雑草。あれはあんたが育てたんか?」
老人は禿げた頭に手をやりながら答える。
「う~ん、ちょっと違います。元々あそこに棲みついていたデスプラントですよ。ただ、究極薬草の噂が広がって塔を荒らす者が増えたので、ちょっとだけ強化しました」
塔の入口に結界を張り、デスプラントを門番にする。なるほど、正神の考えそうなことだ。
「くだらねえことすんじゃねえ」
「申し訳ございません」
老人が頭を下げる。それを見ていたキャシーがサヤカに尋ねる。
「ね、ねえ。エリートって『俺様キャラ』ってのは分かるけど、何で初対面のお爺さんにあんなに偉そうにしているの? お爺さん、絶対偉い人でしょ!?」
サヤカが笑って答える。
「詮索は不要です。エリート様はエリート様なのですから」
「??」
首を傾げるキャシー。俺が続ける。
「あと、ここにピンク髪の少女が来なかったか?」
「来ましたよ。元気のよい子で、まるで台風のようでした」
老人が笑いながら言う。
「もう村へ行ったのか?」
「はい。そこの毒消しを持って帰りました」
魔神の力が戻っていると言うことはココロはもうここに居ない。俺は念の為、ココロが持って行ったと言う毒消しについて尋ねる。
「それはどんな薬草だ? 呪いの毒にも効くのか?」
老人はやや驚いた顔でそれに答える。
「いえいえ。あれはただの毒消し。呪いの毒を消す究極薬草は、さっきあの子に使ってしまいましたよ。もうここにはありません」
究極薬草は本当に貴重な薬草だ。数百年に一度生えるか生えないかと言う品物。最後のひとつをココロに使ってしまった訳か。俺が老人に言う。
「分かった。俺はもう行く。あまり馬鹿なことはするなよ」
「かしこまりました。お気をつけて。どうぞ、転移装置をお使いください」
「うむ」
俺はサヤカとキャシーに帰る旨を告げ、転移装置へと歩く。老人が頭を下げて言う。
「またのお越しをお待ちしております」
「もう来ねえよ。あ、そうだ。下でゴリラとその部下がくたばっている。暇だったら見て来てやってくれ」
「仰せのままに」
頭を下げる老人。それにキャシーが手を振って応える。俺たちは一瞬で、ブルック村へと戻った。




