18.経験のない恐怖
「はぁはぁ、なんてバケモンだ……」
王国副騎士団長バルザックとミノタウロスの殴り合い。最初こそ互角の打ち合いを見せていたが、徐々にバルザックが劣勢に。体格の差がその勝敗に現れ始めて来た。
「バルザック、様……」
部下たちが床に仰向けに倒れたバルザックを見て弱々しい声を出す。
シュガルツ王国が誇る騎士団。その副団長を務め、無敗の【不動王】の二つ名を持つバルザックが無残に敗れた。顔は腫れ上がり、手足が有り得ない方向に曲がってしまっている。
殴り合ったミノタウロスももちろん無事ではない。片腕はぶらりと下がり、潰れた片眼からは流血が酷い。それでもまだ気迫十分。倒れたバルザックにとどめを刺そうと歩みを進める。
「はああああああ!!!!」
そんな牛の魔物に向かって、燃え上る剣を振り上げ紫髪の少女が斬りかかる。仰向けのままのバルザックが言う。
「キャシー様。お止め、ください……」
掠れた声。視界には流れ出た血が混じる。
勝てない。ミノタウロスは強敵ではあるが、ここまでの強さを持つ個体は稀。バルザックは長いこと感じたことのなかった恐怖心を必死に抑えながら、最早どうやってここから皆を退却させるかを考え始めていた。
ザアアアアン!!!
キャシー渾身の一撃。朱色の粉が宙に輝き、ミノタウロスの皮膚を切り裂く。
「邪魔をするな!!!!」
だが相手はゴリラの獣人の攻撃を耐え抜いた豪傑。炎属性を纏ったフレイムソードでも、非力なキャシーではその表面を焦がすのが限界であった。
(まずい!!!)
キャシーは振り上げられたミノタウロスの腕を見て、一瞬死が頭によぎった。それほどまでの気迫。中途半端な意思など木っ端微塵に砕く圧。思わず目を閉じる。
「うおおおおおおおおおお!!!!!」
ガン!!!!
キャシーは驚いた。目を開くと、そこには短剣と青き剣を持った少女ココロが、その牛の魔物の強烈な一撃を受け止めている。
「うぐぐぐっ……、キャシー! 下がって!!」
自分と同じぐらいの小さな体。その彼女がバルザックを上回る巨躯の一撃に耐えている。
「コ、ココロ!? 分かったわ!!」
ぴょんと後方に跳躍するキャシー。バルザックを含め、皆が小さな勇者へ視線が注がれる。
(高速移動っ!!)
ココロは高速でミノタウロスの背後に回ると、青く光る勇者の剣で五月雨突きを放つ。
「うおおおおおお!!!!」
ザザザザザザン!!!!
「ココロ、すごい……」
大したダメージにはならない。だがミノタウロスが反撃する前に移動を繰り返すココロを見て、キャシーはもしかしてと心のどこかで思った。
「はあはあ、なんて高い塔なんだよ……」
俺は登り始めてから一向に追いつけないココロを思って思わず弱音を吐いた。高い塔。それは分かっていたが、それ以上に自分の持久力のなさに腹が立つ。
「あの、エリート様。お水です……」
対照的に俺に抱かれながらここまで来たサヤカは元気そのものだ。俺がこんなに疲労困憊なのになぜか彼女は嬉しそうな顔をしている。俺は黙って差し出された水を飲み、上を見上げる。
「魔物はあまりいませんね……」
「ああ、そうだな……」
予想以上に魔物姿がない。この時俺はこの塔には魔物が居ないと思っていたのだが、後に昨日入ったココロとキャシー、そしてバルザック一行によってほぼ壊滅させられたことを知る。
「サヤカ」
「あ、はい!」
俺の呼びかけに、サヤカはまた少し恥ずかしそうな表情をしながら中腰になってこちらを見つめる。
「いや、まだ違う。もうちょっと休ませてくれ」
「あ、ごめんなさい! 私、恥ずかしい……」
なぜ恥ずかしいのかよく分からないが、俺はサヤカの魔銃を見てから言う。
「上にやや強い魔物の気配がする。多分交戦もあるだろう。しっかり準備しておけ」
「はい!! かしこまりました」
敬礼するサヤカを見てから、俺は移動の為ゆっくりと立ち上がった。
「ココロ、ココロもう無理だよ!! これ以上は死んじゃうよ!!」
キャシーはミノタウロスの攻撃を幾度も受けながらも、それでも立ち上がるココロを見て叫んだ。高速移動を駆使し戦っていたココロ。だが昨日からの疲労に加え、身体能力に優れるミノタウロスを前に徐々にその強力な拳が当たり始める。
「だ、大丈夫。それよりみんな早く逃げて……」
ココロは戦いながらバルザックらに退却するよう伝えていた。とても勝てない。時間稼ぎはできたとしてもあまりにも強すぎる相手。鋼鉄のような皮膚。勝つことなどできない。
「す、すまない。少女よ……」
傷だらけの部下らに支えられながら移動するバルザック。激しい激痛。体に力は入らない。部下たちが引きずるように運んでいるので時間もかかってしまう。
(あれ? なんだか、ふわふわしてきた……)
勇者の剣を構えながらココロが体の異変に気付く。極度の疲労、痛み、重圧。まだ完全に治りきっていない毒。小さな少女ひとりではとても背負いきれるものではなかった。
「しつこい子供だ。だがこれで終わりにする!!」
ミノタウロスがゆっくりココロに近付く。視界が定まらない。足が揺れる。自分は勇者。そう思ってここまで来たが、その気持ちが折れそうになる。
「ココローーーーーーーっ!!!!」
ドオオオオオオオオオオオン!!!
突如、一帯に響く爆音。ミノタウロスの体が爆発と共に燃え上がった。
「サ、サヤ姉……」
ふらふらだったココロに笑みが戻る。頼りになる姉貴分。辛い時はいつも助けてくれるかけがえのない人。サヤカが魔銃を両手にココロに叫ぶ。
「大丈夫!? 酷い怪我!! あなたは下がって!!」
ココロは深い安堵と共に、キャシーの元まで後退する。
「ココロ、大丈夫!? 早く薬草を!!」
キャシーが鞄の中から薬草を取り出しココロに手渡す。
「ありがとう。助かる……」
「うん。いいけど、あの人たち、ココロの知り合い?」
キャシーはいきなり現れた赤髪の女性と、ゼイゼイ肩で息をしている黒髪のマント男を見て尋ねた。ココロはようやくサヤカの後ろで息が上がっているその男に気付き答える。
「女の人はサヤ姉って言って私の大切な人だけど、後ろ男は魔族よ! サヤ姉、騙されているの!!」
「え? 魔族!? 騙されている!!??」
キャシーはその黒髪の男を見て驚く。色々起こりすぎてもう何が何だか分からない。ココロが叫ぶ。
「サヤ姉!! そいつは魔族なんでしょ!! サヤ姉は騙されているんだよ!!」
魔銃を構えながらサヤカが驚き、そして答える。
「ち、違うわよ、ココロ!! エリート様は魔族なんかじゃないの!! ココロを守りに来たのよ!!」
「そんなの嘘に決まってるでしょ!! サヤ姉はどうして分かってくれないの!!」
(そりゃ確かにそうだよね……)
キャシーがサヤカの後ろで仰向きに倒れてゼイゼイ息をしている男を見て思う。守りに来たと言うならば彼は一体何をやっているのか。身なりも怪しい。どう見てもサヤカと言う女性が騙されている可能性の方が高そうだ。
「キャシー、動ける? 今のうちに上に行こう!!」
「え? あっ、うん!!」
キャシーは鞄を持ち、走り出したココロに続いて上へ続く階段へと向かう。
「あっ、ちょっと、ココロ!! 待ちなさい!!」
サヤカが叫ぶも、激昂したミノタウロスに阻まれ追いかけられない。
「ウゴオオオオオオオオオオ!!! お前ら、許さねえぞ!!!!!」
ミノタウロスの雄叫び。何発もフレイムボムを食らい、その怒りは絶頂に達していた。
「あー、ココロは無事か。良かった。おい、サヤカ。水をくれ」
「あ、はい!」
俺はようやく呼吸が落ち着き、そしてココロが無事だったことに安堵する。またしても誤解を解く機会は得られなかったが、まあいい。ここまで来たらすぐに追いつくだろう。
広間の片隅に避難していたバルザック一行が、俺とサヤカを見て顔色を変えて叫ぶ。
「お、おい……、お前ら、早く逃げろ。死ぬぞ……!!」
俺は立ち上がり鞄から水を出してくれるサヤカに向き合いつつ、こちらに突進するミノタウロスに向けて右手を差し出す。
「邪魔だ」
ゴオオオオオオオオオオ!!!
「グガァアアアアアアアアアア!!!!!」
突如ミノタウロスを襲う深淵の業火。どんな攻撃にも屈することのなかった牛の魔物が、絶叫と共に燃え上がり灰となって消えていく。サヤカが口を開けたまま呆然とそれを見つめる。
「早く水をくれ。走って来たんでクソ暑い。あー、炎じゃなくて風系魔法にした方が涼しくて良かったな。うぇー、クソ暑い……」
俺は着ていた服をバタバタさせながら涼を取り、水を一気飲みする。
「有り得ない……、何なんだ。あいつは……」
広間の片隅でミノタウロスの最期を見ていたバルザック。初めて経験する絶望的な恐怖心を前に、ただただその黒髪の男を震えながら見つめた。




