ご褒美とは
6/9 (金) 夜 霧真者宅
ピンポーン
と、電子音のチャイムがボタンを押したインターホンから聞こえる。
時刻は夜の9時ちょうど。僕は雨の中で傘を差し、霧真者先生のお宅を訪れていた。
先生が約束のご褒美をくれるというので言われた時間に自宅にやってきたのだが、応答がない。
建物の明かりは点いているので、中に先生は居るはずなのだが……
しばらくして、ようやくインターホンから声が聞こえてくる。
「あ、普人君? ゴメンゴメン。ちょっと立て込んでてね。どうぞ入ってきてー」
僕が返事をする暇もなく、インターホンが切られる音がする。まあ、カメラで外の様子を確認できるタイプなので、僕であることは分かったはずだ。
「お邪魔しまーす」
開いた扉の横にある傘立てに傘を刺し、玄関を上がると驚きの光景が広がっていた。
リビングの床やソファには洋服や書類が散乱し、クローゼットや戸棚の引き出しが開けっ放しになっている。
肝心の先生の姿が見当たらない。
「先生? 霧真者先生」
何かあったみたいだ。先生を呼んでみるが反応がない。
侵入者にでも襲われたのだろうか。インターホンに出たのだからまだ近くにはいるはずだ。
「せんせーい。大丈夫ですかー」
「はいはーい。こっちよー」
キッチンから声がする。慌てて向かうと、キッチンテーブルで先生がノートPCを真剣に見つめている。
「先生、大丈夫ですか? 泥棒ですか? 学園の事務所に連絡した方がいいんじゃ」
「泥棒? ああ、ただ散らかってるだけよ。ウチはいつもあんな感じなの」
出たよ、片づけられない女。
「そんなことより普人君、カレー作れる? 途中までなんとなくやったんだけど、なんとなく出来そうになくてねー」
コンロの上の鍋を覗くと、生肉と皮つきのまま乱切りにされたニンジンとジャガイモ、茶色の皮のまま丸ごと入った玉ねぎがひたひたの水の中にぶち込まれている。
出たよ、家庭的アッピルしたがる料理できない女。
わかる、わかるぞ! 手料理で生徒をもてなそうとしたが家庭科スキルがほぼゼロであることを実践で初めて知った悲しい女教師の現実が、俺には手に取る様にわかるっ!
そして、これから俺がその尻拭いをさせられるであろうことも容易に想像がつく。
ご褒美とは何だったのか……
「先生、カレーのルウってありますか?」
ウェブでカレーのレシピを確認している先生に、一応尋ねてみる。
「ええ、それくらいちゃんと買ってきたわよ」
そう言うと、机の上にあるスーパーの袋から小瓶を取り出して見せる。
「先生、それはカレーパウダーというものでしてね、それを入れてもカレー風味のスープしかできないんですよ。そいつと小麦粉とバターを一緒に炒めるとカレーのルウになるんですけど、普通はもっと簡単なルウが売ってまして……
いや、なんでもないです」
「へー、勉強になるわねー」
霧真者先生がすっとぼけてみせる。
「先生、ちなみにご飯のほうは炊けますか?」
「あー、ごはんかー。その発想は無かったわねー」
カレーだけ作ってご飯のことを考えもしないとゆー超ありがちな超凡ミスを平気で実行しようとしていたようだ。
「あ、炊飯器ならあるわよ、使ったことないけど。お米も無いけど」
キッチンにある壁掛け時計を見ると、9時10分を過ぎていた。商店区のスーパーはまだ開いているが、コメとカレールウならウチに買い置きがある。
これから始めれば今日中には作れるだろう。
「じゃあ、先生はリビングのほうを少し片づけてもらえませんか? 僕は足りない材料をウチに取って来ますんで」
「はーい、わっかりましたー」
霧真者先生が右手を挙げて元気よく返事をする。
俺たちのカレー作りはこれからだ!
あ、まちがえた。
俺のカレー作りはこれからだ!




