まだ終わってない
6/2 (金) 午後 第2室内模擬戦場
吹っ飛んだ小林君は地面に突っ伏したまま動かない。
握徒の体に張り付いていたリキッドが消えてゆく。強制帰還かしら? ということは普人君は気絶してしまったのか。
いや……
レインコート姿の体が起き上がる。
よろよろと四つん這いになったところで、
「おぐぇええぇ!」
地面に胃液をぶちまけている。
どうやら昼食は食べなかったみたいね。さすがは慎重派の小林君。
だけどこの展開はちょっとマズいかもよ。魔物が強制帰還されたのならもうブザーを鳴らさないといけない。
「せんせい……もう止めた方が……」
万屋さんが泣きそうな顔でこちらに訴えてくる。
「もうちょっと待ちましょう」
普人君がこんなことで終わるはずがない。そう心のどこかで期待している反面、一歩間違ったら彼の人生が取り返しのつかないことになってしまう恐れもある。
両ひざを地面に付いた状態でしばらくうずくまり、地面を見つめている。地面に座ったテルテル坊主のような格好の普人君がようやく顔を上げ、ゆっくりと立ち上がる。
大丈夫、まだ目の輝きは失われていない。やる気満々だ。
おもむろに合羽の袖から出した右手には、リキッドのボールが握られている。
さすが普人くん。益々惚れ直しちゃうぞ。
しかしこのまま召喚したリキッドで攻撃を続けるだけじゃ、ジリ貧は目に見えてる。
かといって、憑依状態では召喚能力は使えない。
魔力を吸い上げる憑依能力は対象に触れないと発動できないようだが、召喚ナシじゃあの握徒を押さえ込むのは不可能に近い。身体能力の高い握徒に体一つで近づけば、掴まれて即アウトだ。
そしてあのレインコート。確かにあの下にリキッドをあらかじめ召喚しておけばとっさの対応もできるし、さっきのようにエアバッグで攻撃の威力を弱めることもできる。
でもあらかじめ召喚しておくだけならレインコートをわざわざ着なくてもいいし、掴むことが主体の握徒が殴り飛ばしたのはたまたまだ。そんな確率の低い攻撃のためにあんな格好を、恥ずかしがり屋の普人君がするだろうか。
それとも元々あーゆうファッションセンス……じゃあないわよね。
悩む私をよそに、握徒が勝負を決めに行く。
その脚力で一気に小林君との距離を詰め、一瞬立ち止まって低く屈む。そのまま飛び掛かると思ったが、左に軽くフェイントを入れ、最速で相手の腕を掴みに行く。
フェイントに反応しそうになった普人君は右手のリキッドを投げるタイミングを見失い、完全に出遅れる。
リキッドを持つ右手を振りかぶろうとした瞬間、握徒の左手がその手首をがっちりと掴む。
「ぐおぁあっ!」
苦痛に呻くと同時に右手からリキッドのボールが落ち、痛みで集中が切れたのか、地面に転がったリキッドは帰還してしまう。
さらに本能的に相手の左手を振り払おうとしたのか、自分の左手をレインコートの下から伸ばしたところを、握徒の右手が簡単に捕まえる。
「くっそ、うあぉおっ!」
苦悶に歪む表情の普人君に握徒が言い放つ。
「ここで誓え、小林。理紀にもう二度と近づかないと。そうすればこの両腕は無事で済む」
小林君は答えない。
「先生っ、試合を止めないんなら、この戦い私の負けです! ギブアップします!」
万屋さんが私に詰め寄る。
富武先生も困ったような顔でこちらを見ている。
普人くん、本当にもうだめなの? 万屋さんは助からないの? ほんとうに……
「だめだっ! まだ終わってない!」
普人君が叫ぶ。
こちらに何かを訴えるような眼差しが、私を躊躇させる。
「これからコイツを倒す! だから何があっても止めないでくれ!」
何を躊躇する必要がある。すべてを彼に任せたんだ。今更信じないでどうする。
ブザーのボタンに掛けていた親指を外す。
「忠告はしたからな」
握徒の両手が普人君の腕にめり込んでいく。
「あくと……やめてっ……」
擦れた万屋さんのつぶやきが聞こえる。
ぐぎゅっ
と、普人君の両腕があらぬ方向へと曲がる。
私は自分の目を疑った……




