黒霧の男
7/15 (土) 正午 野外実習場
「グカカァッ、グギャーッ!」
突然、不死ガラスの叫び声が聞こえてくる。実習棟の方からだ。
辺りを探索させていた3羽を呼び戻すが、帰ってきたのは2羽だけだ。
「先輩、何があったんですか?」
呼刀の質問に答える術はない。
「わからん。実習棟の方で何かあったらしい」
(なにがあった、カラス?)
テレパシーで行方不明のカラスと交信する。
(建物で捕まった。真っ暗。分からない)
どうやら実習棟内で捕まったようだ。不死ガラスは死ぬことはないが、視界を遮られているのでは状況がわからない。
捕まったってことは人間か発現者、あるいは罠のような仕掛けかなにかか。だがこんな山奥の施設に誰がいる?
学園の作業員が施設のメンテナンスに来ることはあるだろうが、だとしたら車が停めてあるはずだ。
2羽のカラスと共にゆっくりと実習棟に近づく。あとから呼刀も続く。炎天下の下、コンクリートの建物の入り口を目指し、雑草の生えた地面を歩いてゆく。
不意に入り口のスチール製の扉が開く。隙間からカラスが姿を現す。だがその胴体はなにか黒いものに縛られ、宙に浮いた状態だった。
「あれは……」
呼刀が呟く。
俺は止まるよう手で合図する。
さらに扉が開き、なかから黒い煙が外に流れ出てくる。その中心から男が姿を現す。
この暑い中、長袖のワイシャツに黒のパンツというノーネクタイのサラリーマンのような服装。
細身で顔色がわるく、眼球は落ちくぼんでいて骸骨を思わせる。白髪のように真っ白な髪は伸び放題で、若い風貌でありながら老いた印象を周りに与える。
以前よりやつれた印象だが間違いなく奴だ。俺のクラスメイトを皆殺しにした男。
男は入り口からこちらに歩いてきて、俺たちの前で止まる。その周りには黒い霧のようなもやが立ち込め、生きているかのようにゆっくりと漂っている。
奴の左隣には黒い霧に締め付けられた不死ガラスが見える。
「呼刀、憑依しろ」
後ろにいる1年坊主に静かに命じる。
「いや、でも召喚のほうが……」
「いいから早くしろ」
有無を言わさぬ俺の口調に、今度は黙って従う。まだ直接憑依できない呼刀はダガーフィッシュを4匹呼び出してから憑依させた。
「お前は見た顔だな」
病人のような男がこちらに話しかける。
「去年の冬、ここで遭った」
俺の答えに男がニタッと嗤う。
「そーか、あのときの生き残りかぁ……ぎひっ、ぎひひひひぃ」
気味の悪い声で肩をゆらして笑う。
「きもちわりー笑い声だな」
素直な感想を言ってやる。
「……そうか?」
男が言った直後、
パキッ
っと、乾いた音を立てて黒い霧に縛られたカラスの首が折られる。
(わるいなカラス、そのままでいてくれ)
不死身のカラスに死んだフリを命じ、すぐさま2羽を左右から飛ばす。
「呼刀、隙を見て林道の方へ逃げろ」
小声で呼刀に指示を出しながら、自分はいつものファイティングポーズをとり、林道とは反対の奴の右側面へ回り込む。
近づいた2羽は男を挟むようにして上空から炎を吐きだす。
黒い霧はすぐに死んだフリをしているカラスを放り出し、まるで生きているかのようにすばやく集まり、主である男の前に壁を作る。
淡い光を放った黒い霧は、不死ガラスの火炎を浴びても消えることなく炎を防ぎ続ける。だがこれは以前の経験で既に分かっていた性質。
あの黒い霧の粒子1つ1つにバリアを張ることで、硬さのある物体として操作できる特性を持っている。霧が光りはじめたのはバリアが光を放つ性質を持つからに他ならない。
放りだされたカラスは死んだフリをやめ、飛び立ってまっすぐ俺の元へ帰ってくる。
炎を吐いていた2羽もすぐに呼び戻し、3羽とも憑依させる。
「ふざけた真似をするなぁ。じゃあ次は俺の番だ」
男が言うと霧は形を変え、幾筋もの黒い紐が一斉に俺に向かってくる。
横に走って逃げようとするが予想以上に動きが速く、右足に巻きつかれて簡単に捕まる。
残りの手足も黒い紐たちが拘束し、男の方へと引き寄せる。
霧のように軽く見えるのに締め付ける力は強く、俺の体を軽々と宙に持ち上げるパワーもある。
「どこへ行く?」
林道横の林へ逃げ込もうとした呼刀に向けて男が手をかざすと、黒い煙が集まって塊となり、まるで小さく黒い筋斗雲のように猛スピードで飛んでゆく。
黒い煙の玉が呼刀の背中に当たった瞬間、”ドンッ”と交通事故にでも遭ったような鈍い音がし、その体が前のめりに吹っ飛ばされる。
そのまま煙の塊は旋回し、倒れている呼刀の両腕と胴を輪っかになって締め上げ、そのまま空中に持ち上げて宙吊りにする。
くそっ、陽動は失敗か。だったらもう出し惜しみすることもない。
「さて、じゃあ憑依をといてもらお……」
奴が言い終わらないうちに四肢を拘束する紐を一斉に爆破する。
まだ爆発の傷が回復しないまま地面に着地し、よろけながらも野郎に駆け寄る。
奴の周りの霧は鋭利な無数の刃物となり、突っ込んでくる俺の体を串刺しにする。さすがに生け捕りは諦めたようで、手足だけでなく胸や腹にも刺さっている。
不死身になっても痛みは感じるが、気合と怒りでねじ伏せる。
「ぅあらっ!」
気合声と共に体に刺さった無数の黒い棘を噴き飛ばす。
爆破能力は対象が俺の体に触れていれば発動可能だ。自分から触れても、相手が触れてきても同じこと。
全身血だらけのまま、さらに左足を1歩前へ踏み出す。
奴はもう目の前だ。歯を食いしばり、右の拳に魔力を集中させる。
最後の足掻きか、男は目の前に黒い壁を作るが関係ない。魔力と復讐の怒りを溜めこんだ右ストレートを振り切る。
光る拳がバリアを張った黒い粒子の集合体に触れた瞬間、
ゴパガッ!
っと、聞いたことのない爆発音が鳴り、拳とバリアの接触点から強烈な炎と風圧が膨れ上がり、それが一気に破裂する。
爆発に巻き込まれて俺の右腕は肘まで消し飛び、壁のように集まった黒い粒子たちも簡単に吹き飛ばされ、その後ろにいたワイシャツの男にも爆風が直撃する。
爆発点を中心に俺と男は互いに反対方向に吹き飛ばされ、雑草の生えた土の上を転がる。
左手を着いてなんとか起き上がるが、爆発音を間近で聞いたため右耳でキーンという耳鳴りが止まず、吹き飛んだ右腕もシュウシュウいいながら再生しているものの、完治までもうしばらくかかりそうだ。
奴もまだ生きているらしく、爆煙の向こう側で起き上がる人影が確認できる。
どうやら腕でガードしていたらしく、ダラリと垂れ下がった右腕の上腕部分は長袖のシャツが破けて血だらけ状態で、外側は肉をえぐられたように黒く焼け焦げている。あの腕はもう使い物にならないだろう。
「……ぐぎいいぃ……貴様ぁ……」
痛みと怒りで歪んだ表情は、さきほどまでの余裕と自信は微塵も見えない。
「もう魔力を吸うのはやめだ……殺す……」
ゼエゼエと荒い息遣いで恨みがましく宣言する。
ボワッと奴のまわりの黒い霧が膨らみ、増殖する。今までの倍近くまで膨らんだ霧は先端が鋭く尖った無数の触手の形に変わり、次々と俺の体に襲い掛かる。
あらゆる方向から伸びる触手たちをすべて避けるのは不可能で、次々と体に刺さるたび爆破能力でへし折ってゆくが、こちらも魔力の消費が激しく、呼吸が乱れ始める。
「くっ、不死身の再生能力か。だが魔力が尽きればそれもおしまいだ」
「ああ、だがそれはお前も同じだろ? 少しでも攻撃の手を緩めてみろ、今度は腕1本じゃ済まさねーからな」
お互いもう肩で息をするほど消耗が激しい。
「ところでアイツの方は不死身かな? 試してみるか」
俺をねらっていた触手の数本が、拘束されながら宙に浮く呼刀の方を向く。
「なっ、ちょっ、まてっ! ムリムリっ! やめろって!」
呼刀は慌てて暴れるが、体を縛る黒い霧はびくともしない。
マズい。あいつの憑依能力は探索系だ。拘束された状態でこんな攻撃受けたら防ぎようが無い。
「待てっ!」
急いで呼刀と奴の間に立とうと走り出すが、奴が霧の一部を引っ掴んで投げつける。
猛スピードの空気砲のように真っ直ぐこちらに向かってきた黒い塊は、俺をかるく吹っ飛ばす。
邪魔者がいなくなった軌道を、矢のように鋭く尖った影が数本飛んでゆく。
また仲間が目の前で殺される……
また俺は何もできないのか!
「呼刀っ!」
絶望的な状況のなか、呼刀に向かって走ることしかできなかった。




