逃げ道はない
7/15 (土) 正午 野外実習場
「どこへ行くつもりなのかね、小林 呼刀君?」
いきなり声が聞こえた。
慌てて辺りを見回すが、いるのはダガー1匹だけだ。だが、さっきの声は明らかにダガーの声とは違っていた。
「こ、呼刀さん……大丈夫ですか?」
普段は眠そうな目をしているダガーが目を見開き、驚いたように俺を見つめている。
「大丈夫ってなにが?」
意味が分からず、自分の魔物に訊ね返す。
「いや、カラダ……燃えてますけど……」
言われて自分の体に視線を移すと、たしかに燃えている。
「うわっ、なんだこれ!」
胴体から脚、腕、どこを見ても全身が炎に包まれていた。
それも普通の赤い炎ではなく、なぜか白い炎が体からたちのぼっているが、全然熱くない。
よく重度の火傷を負うと痛覚が麻痺して熱さを感じないというが、服が燃焼している様子がないことからこの炎は本物の火ではないようだ。
「慌てることはない。それは炎ではない」
落ち着き払った、若い男性らしき声が再び聞こえる。
「ダガー、どこから聞こえる?」
「……何がですか?」
俺はまわりを何度も見回しながら尋ねるが、ダガーは何のことかわからないといった顔だ。
どうやらこの声は俺にしか聞こえてないみたいだ。
「これは君の脳内に直接話しているんだよ。だから他の者には聞こえない。たとえ自分の魔物であってもね」
声は俺に説明する。
「あ、あんたは誰だ。なんで俺のこと知ってる? それにこの炎はなんなんだ!」
「ははっ、質問が多いな。
私は折谷 源次郎。折谷学園の学園長をしている。私は生徒全員の顔と名前は覚えるようにしているんでね。その白い炎は私の魔物だよ。
これで理解してもらえたかな? 小林君。おっと、1年生に小林君は2人いたんだったね。わかってもらえたかな、呼刀君?」
学園長……ってことはもう俺が逃げ出していることはバレている。
「もうすぐそこへ迎えが来るから、しばらく待っていてもらえないかな? といっても君に選択権はないわけなんだが、学園側にも情ってものはある。
幸いそこはまだ学園の敷地内だし、君の行動は正確にはまだ逃亡とは言い切れない。ここで改めればたいした罰は受けずに済む。
まあ、無罪放免とはいかないがね」
どうする? 学園長の話は本当か? だが逃げ出した生徒がタダで済むとも思えない。どのみち殺されるんなら逃げたほうがいいんじゃ……
それに学園長の魔物だっていうこの炎。相手とテレパシーで話せるだけの能力なら俺をここに留める術はないはずだ。
……でも、もしこの白い炎の能力がテレパシーだけじゃないとしたら……
一瞬で相手を殺せる能力があるとしたら……
「迷っているね、呼刀君」
胸の内を見透かされたように脳内に突然囁かれ、途端に俺の心臓は狂ったように踊りだす。
”ドグッドグッ”と内側から胸を蹴りつけるように暴れ、細かく震えだす体からは氷水のように冷たい汗が流れだす。
「わたしの魔物がただ脳内でしゃべるだけの能力と思っているのかな?」
だめだ、殺される! オレはここで死ぬ!
もう恐怖で動きたくても動けない。足が石みたいに重く、硬く、自分の意志に反応しない。
おれは戦うことが怖くて逃げだして来たのに、今は恐怖で逃げ出すこともできない。
くそっ! なんで俺はっ! なんでこんなに弱いっ!
「では悪いが少し君に罰を与えることで、私の魔物の能力のデモンストレーションとしようか」
その言葉を合図に、突然頭が締め付けられるような感覚に襲われる。
いや、頭だけじゃない。全身が締め付けられるように苦しい。まるですべての皮膚が急激に縮んでいるかのように頭のてっぺんからつま先まで圧迫され、呼吸もまともにできない。
「ぐあぁっ! ……ぐっ、ぎいいぃ!」
もうしゃべることもできず、立ってもいられなくなり、炊事場の土の上に倒れる。
「……とうさん?……こと……さ……」
ダガーがなにか言っているが、耳鳴りがうるさくてよく聞き取れない。
目の前にダガーが泳いでくるが、すぐに姿を消す。苦しくてもう魔物の召喚を維持することもできなかった。
あまりの苦痛にじっとしていることもできず、乾いた土の上でのたうちまわる。
「……がうぅ……おっ、あぎぃ……」
涎を垂らして必死に呼吸をしながら、俺はふと、普人の言葉を思い出していた。
『……とにかくここで強くなる。そうすりゃ、戦うことも、逃げることも、隠れることもできるようになるよ。弱いまんまじゃ、せいぜい諦めることくらいしかできないだろ?』




