Rising From Ruins(3)
「…ハァ、ハァ、…あのカス野郎、ふざけやがって、絶対に許さん…」
夜の森の中を駆け抜けながら、呪術師ピナルディは悪態をついた。
…油断した。
まさかリエト・オルランディがあんなに早く戻ってくるとは。
…悔しいが、奴の呪いの射程圏外に逃げるのが精一杯だ。
…だが、私の本拠地に戻ることさえできれば、なんとでも反撃できる。
…奴に思い知らせてやる。私の計画を邪魔した事の罪の重さを。
…そして、その暁には、
「ハァッ、ハァッ、見ていてください、私の、思いをアッ!?」
呪術師は、言葉を失った。
森の木々の中に、巨大なハンマーを背負った人影が、見えてしまったからだ。
人影は何も語る事なく木の枝から地上へと飛び降り、呪術師を睨みつけた。
「……おや、ナタリアさんではありませんか、こんな夜更けにどうしました?」
呪術師は何とか身体の震えを抑え、やっとの事で声を振り絞った。
「…よくもまあ、"あの娘"を愚弄してくれましたね。…絶対に許しません」
ナタリアの声に込められた揺るぎない"怒り"は、呪術師を戦慄させるのに十分であった。
…だが、私とて、伊達に修羅場を掻い潜っていない。
「…何のことでしょうか、…ナタリアさん、貴女は何か勘違いをしているようです…」
今だ。
「よ!」
呪術師はパチンと左手の指を鳴らした。その瞬間、ナタリアの身体の自由は失われ、彼女は糸の切れた人形のようにその場に倒れた。
…ふん、ビビらせやがって。
「…ざまあみろ。貴様は今日から私の傀儡だ。死ぬまでいたぶってやる、感謝しろ。…フン、貴様のように心が弱りきった人間など、私にとっては操れて当たり前だ。…二度と口をきくな、フィリップ様にたかる小蝿が」
その時、呪術師が予想だにしていなかった事が起こった。
ナタリアが立ち上がり、勢いよく唾を吐いたのだ。
「…そうか、あんたの目的はフィリップだったのか。…そのために、あんな事を、」
ナタリアは、舌を噛むことで、無理矢理に"自分自身"を取り戻した。…吐き出された唾は、ナタリアの鮮血で黒く染まっていた。
「…つけてもらおうか。オトシマエを」
「……う、うわぁぁぁぁぁぁぁあああ!!!何で動ける!?!?こっちへくるな!!!!あっちへいけぇぇぇぇぇぇぇえええ!!!!!!」
呪術師は右の指をパチンと何度も連続で鳴らし、ナタリアに幻影を見せた。嘆く少女、しゃれこうべ、髪を振り乱した女など、ありとあらゆる邪悪な幻影がナタリアに襲いかかった。しかし、
「ウオオオオオオオ!!!!」
ナタリアは咆哮し、その幻影を自身の脳裏から拭い去った。
「消えろ。あたしの前から」
抵抗する暇もなく、呪術師はナタリアのハンマーの攻撃をくらい、ピナルディの身体は宙空を舞った。
…ああ、月が嘲笑ってやがる。
薄れゆく意識の中で、呪術師は悪態を吐いた。
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「…よお、狸寝入りとは随分といい身分だな。さっさと起きろ」
…誰だ。
まさか。
ピナルディは目をカッと見開いた。…そこには、髭面に長髪のむさ苦しい男が腕組みしながら見下していた。
…リエト・オルランディか、こいつが。
…どうやら私は気絶していたようだ。それもかなり長い間。ピナルディの網膜に映った知らない部屋の天井は、彼女に敗北を悟らせるには十分だった。
…身体が、動かぬ。
こいつ、私があの小娘にかけようとした呪いを、…お見舞いしてくれやがったな。
「よお、お前にいいものを見せてやるよ」
リエトは鏡を取り出し、ピナルディの顔の前にかざした。
…ピナルディは、絶望した。
絶対的な主従関係をもたらす呪印。それがピナルディの額に刻み込まれていたからだ。
「…聞いたぜ。お前、俺の知り合いを操り人形にしようとしたらしいな。…じゃあ、傀儡にされたところで、文句はないよな?…じゃあまずは、なんでお前がナタリアを陥れようとしたのか、そこから吐いてもらおうかな。あ、残念だけど、この呪印の元では嘘偽りは吐けないからさ、無駄な抵抗はするなよ?」
リエトが額の呪印に触れると、呪術師の口は自分の"本心"を曝け出し始めた。
「…私は、フィリップ・アハート様を愛しております。故に、フィリップ様にたかるナタリア・ロゼッティとかいう鬱陶しい蝿を始末しようとするのは当然の事でしょう?…そして、その暁には私はフィリップ様と…」
「もういい」
リエトは、ピナルディが顔を赤らめたのを不愉快に感じ、さえずるのをやめさせた。
「そんなとこだろうとは思ったが、…まあどっちにしてもこれでお前は"終わり"だ、残念だったな」
いやだ…。ふざけるな、お前ごときに、こんな…。
「次目覚める時はお前は完全なる傀儡だ。じゃあな、せいぜいいい夢見ろや」
…ちくしょう。
リエトはピナルディの瞳を指で閉じ、呪術師は再び長い眠りについた。
…目覚めた時に、"生まれ変わって"しまう事に、絶望しながら。
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「…もう行くのか、もう少しゆっくりしていけばいいじゃないか」
引き止めようとするフィリップを横目に、蝋燭の火を頼りにナタリアは荷物を纏めた。
「ありがとう、でも十分長居させてもらったしさ、…ダリアにも感謝を伝えなきゃいけないしさ」
「ああ、夢で助けてくれたっていうやつ?…まあ、それも大事だとは思うけどさ、…もうちょい俺はお前と一緒にいたいんだよ」
「え、可愛いな君!いっつもそんなに素直だとなおいいよ!…気持ちはありがたいし、君にはものすごく助けられたから本当に感謝してる。…でも、今は少しでも誰かの力になりたい。もう誰も涙を流さないように、あたしにできることがあればなんでもやりたい。…今はそういう気分なんだ」
「…ナタリア・ロゼッティ、完全復活だな」
「…うん、もうあたし、大丈夫。挫けたって何度だって立ち上がるよ」
「…応援してるぜ。頑張んな」
「うん、ありがと!…そういやリエトくんはもう帰ったの?」
「ああ、帰ったよ。…意外だな、リエトの事気にするなんて。お前あいつの事嫌ってると思ってた」
「別に嫌いじゃないよ。ただあの人の言ってる事って大概何かしらの悪口ばっかだから勝手に敬遠してただけで。…だけど、まあ、悪い人じゃなかったね」
「だろ?あいつは義理人情に熱いからな。…まあやばい奴ではあるけど」
「確かにね。…でもそのおかげで助かったし、感謝してるよ。…もちろん、フィリップにもね。…本当に、ありがとう」
「…おう。また機会があれば会おうや」
「うん!Arrivederci!」
夜が明けて茜色になった空を背負い、ナタリアは意気揚々とウィラノの街を出た。
朝に弱いフィリップは寝室のベッドの中から別れを告げたが、ナタリアにとってはそれだけでも十分すぎるほどだった。
…あれだけ恐れていた『夜』を攻略した。その事はナタリアにとって、大きな自信になった。
ナタリアの視線の先の未来には、頭上に広がる空のように一点の曇りも見えなかった。
…だが、ナタリアはまだ知らなかった。そう遠くない未来、彼女は継母に命を狙われて、逃亡生活を送る羽目になる事を。
〜[ep.1ナタリアの新たな旅立ち]に続く〜




