Rising From Ruins(2)
儀式が終わったその夜、フィリップはまだ戻っておらず、ナタリアは一人、アハート家に泊まりに来た際に寝泊まりしている部屋で床についていた。
それは微かな、だが確かな"敵意"だった。
ナタリアはそれを察知して目を覚まし、まさか…と思いながら周囲に目をやった。
そのまさかだった。
女の子の姿をした"それ"が、ナタリアの枕元のすぐ近くに立っていた。
ナタリアは跳ね起きた。
躊躇いつつも、ナタリアはハンマーを握りしめ"それ"と対峙した。が、その時、"それ"の口から驚くべき言葉が放たれた。
「おねい、ちゃん、まタ、わたシを、こロスの?」
ナタリアは驚きのあまりハンマーを床に落とした。
「……ごめんなさい、………ごめんなさい…」
ナタリアはぼろぼろと涙をこぼし、這いつくばって首を垂れた。
「ユルさ、ないよ」
"それ"の口があるべき場所から無数の手が現れ、ナタリアの首筋に触れた。
だが、その力はか弱く、ナタリアを絶命させるには至らなかった。
「……ごめんなさい、ごめんなさい……。ごめんね、許して…、…あたし、死ぬから……」
「死ねよ」
その時。ナタリアの右手の甲に生えた"唇"が、ナタリアに囁いた。
「誰?君…」
「俺はお前だよ。……死ねよ、さっさと。ほれ、そこに縄があるだろ?それで首くくって死ねよ」
見ると、確かに部屋の角に天井から縄がかけられていた。
「あ…、ほんとだ。……わかった、死ぬよ。ありがと」
ナタリアは靴を脱いで椅子に登り、首に縄を通した。
今まさに椅子から飛び降りんとした、その時、
「ナタリア!」
フィリップがドアを蹴破り、ボウガンで天井から伸びた縄を破壊した。
「ナタリア!!目を覚ませ!!!お前は呪われてるんだよ!!!死ぬな!!!!!」
「…フィ、リップ……?」
ナタリアは我に帰り、そのまま膝から崩れ落ちた。
「ナタリア!」
フィリップは、ナタリアを強く抱き寄せた。
ナタリアは、フィリップの腕の中で、しばらくの間、ただただ嗚咽していた。
「…くそったれが。犯人逃げやがったな」
フィリップの連れてきた屈強な男性が、勢いよく床に唾を吐いた。
「…ねえ、フィリップ。……この人誰?」
「ああ、この人?俺の友達の呪術師、リエト・オルランディだよ」
「ああこの人が…、…初めまして、ナタリア・ロゼッティです」
「…悪いな、自己紹介遅れた。リエト・オルランディです。よろしく」
「…よろしく」
リエトは手を差し出したが、ナタリアはその手を握ることはできなかった。ナタリアはただ、フィリップに抱きついて身体を震わせることしか出来なかった。
「…そうだよなあ。無理もない。あんたにかけられたのはそういう呪いだ。どんな屈強な人間でもこの呪いをかけられたらおかしくなっちまう。…ましてやあんたの壮絶な過去を鑑みたら、助かったのが奇跡みたいなもんだ」
「…そんな強力なものなのか」
「ああ。お前が俺を呼びにこなかったら間違いなくナタリアは死んでたぜ。…まあしばらくはフィリップについてもらって静養した方がいい。俺もしばらくはウィラノにいるから、犯人もそう簡単に手を出せんだろう」
「…やっぱり犯人は、あいつなのか」
「まあほぼほぼ間違いなく、その自称呪術師っていう女だろうな。…しっかし幻覚を見せる呪いとはな。…俺に喧嘩売ってるとしか思えないね。おまけにご親切に自ら幽霊の仕業じゃなくて呪いだって教えてくれてんだからな、こんなの俺に対する挑発以外の何者でもないだろ」
「……なんでお前に対する挑発なんだよ」
「…そりゃオメー、俺様リエト・オルランディがとっても強い呪術師だからだよ。自慢じゃないがこの業界では俺はかなり名が知れ渡ってるからな、喧嘩売る奴もそれなりにいるわけよ。…まあとはいえ、俺の友の恋人に手を出したわけだからな、絶対に許さねえけどな」
「…恋人じゃねえよ。……お前、殺すなよ、その自称呪術師を」
「まあ殺しゃしねえよ。死んだ方がマシな目には遭わせてやるけど」
「……やっぱ呪術師ってクソだわ」
「失礼だなー。俺が解呪したおかげでナタリアが助かったんだから少なくとも俺には感謝しとけよ。…まあ、俺に任せてオメーはナタリアの元にいてやれ」
「…言われなくてもわかってるよ」
その晩、フィリップは徹夜でナタリアを見守った。ナタリアが目を覚ましてからも、しばらくは一緒に喋ったり料理を作ったりソニア(フィリップの愛馬)の世話をするなどして、フィリップはナタリアが心に負った傷を少しでも癒そうとした。
しかし、フィリップも睡魔には抗えず、しばしの間仮眠をとる事にした。
「じゃあ、俺ちょっと寝るわ。少しでも異変を感じたら起こしてくれ」
「ごめんよフィリップ…。…ありがとうね」
「…気にすんな、…おやすみ」
「うん、おやすみ」
フィリップが自身の寝室へと帰っていくのを見送ったナタリアは、ポケットから一つの瓶を取り出した。
「……ごめんよ、フィリップ、やっぱり無理だよ、あたしには…。…もう生きていたくないよ」
瓶の中には、悪魔の死骸が入っていた。
悪魔の死骸は、少量であれば鎮痛剤や睡眠薬として使用されることがある。だが、過剰摂取すると、…死に至る危険性がある。
「……さよなら」
ナタリアは悪魔の死骸を一瓶全部丸々飲み干して、安楽椅子にもたれかかった。
「……ナタリアちゃん、ナタリアちゃん、」
誰かに身体を揺らされ、ナタリアは目を開いた。そこには、心配そうにナタリアの顔を覗くダリアの姿があった。
ああ、これは夢か幻なのだ、とナタリアは思った。ダリアが住むトレノの町からウィラノまではかなりの距離があるし、今はメイドの一人が体調不良で休んでいるから仕事を抜け出す余裕はないはずだ。
「…ダリア、最後にあえてよかった。…ごめんね」
「…死なないでよ、ナタリアちゃん。ナタリアちゃんが死ぬ必要はないでしょ?」
「…いや、あたしは死んだ方がいいよ…」
「そんなことないでしょ。…じゃあナタリアちゃんに聞くけどさ、私もフィリップくんも動物を殺して食べるけどさ、私とフィリップくんも死んだ方がいいと思う?」
「…いや、それは違うでしょ…。人と動物の命は違うよ…」
「違わないよ。人も動物も魚も鳥も、悪魔も生きているっていうのは同じだよ。…さらに言えばね、生きるっていう行為は絶対に何かの犠牲の元に成り立ってるんだよ。自分では清廉潔白のつもりで生きていても、その土台は必ず何かしらの屍で作られているんだよ」
「そんなこと…」
ナタリアは否定しきることが出来ず、次に続く言葉が出てこなかった。
「ナタリアちゃん、残酷かもしれないけどそれがこの世の真実だよ。ナタリアちゃんにもわかるようになるよ。…だからさ、もうちょっとだけ生きて、答え合わせしてみない?」
「ありがとうダリア…。…そうだね、もうちょっと生きてみようかな」
「いいよいいよ、その調子!…それに自分で命を断ったらさ、今まで私らが踏みにじってきた命に対して失礼だと思わない?」
「ウッ、痛いとこ突くなあ…。…わかったよ、生きるよ」
「よかった…。じゃあナタリアちゃん、ちょっと前屈みになってもらえる?」
「?こう?」
「うん、いいよー…。…そーれ!」
ナタリアは、背中に強い衝撃を感じ、飲み込んだ異物を勢いよく吐き出し、覚醒した。
「全部出せ!!!!ナタリア!!!!!」
見ると、血相変えたフィリップがナタリアの横に立ち、…ナタリアの背中を全力で叩いていた。
「ゲホッ、ゲホェッ、…フィリッ、プ…、ヴッ、オエッ…、どうして…?」
「…嫌な予感して来てみたらさ、空になった瓶が落ちてるからさ…。…ふざけんなよお、お前!!!」
フィリップはナタリアの肩を掴んでオンオンと泣いた。
ナタリアは、フィリップの身体を抱き寄せてポンポンと頭を撫でた。
「大丈夫だよ。もう、大丈夫」
ナタリアは、口の中に残っていた異物を床に吐き捨て、踏み潰した。
「…あの呪術師に、復讐したい。…申し訳ないんだけど、協力してもらえないかな?」




