お茶会の夢
私がいつも窓から見下ろしていた庭。
母が好んで使用しているガーデニングテーブルの上に、今まで私が見たことがある色とりどりのお菓子を敷きつめた。
好物が好きなだけ並ぶ姿は絶景である。
ティーセットはテーブルに乗り切らないのでカートに乗せたままにした。
ティーポットとカップはひとりでに動き、二人分の紅茶を注いだ。
一つは私の目の前。
もう一つは無人の向かいの席に置く。
準備が出来ると、麗らかな春の陽気に目を瞑った。
視界を遮断すれば木々の葉擦れの音が耳に心地よい。
あとは、暖かな日差しを肌に受け、草花の匂いを感じられたら素敵だったのに。
ここが夢の世界である事は隠しようもない。
「茶会でも開いているのか」
待っていた声が聞こえ、思わず笑ってしまった。
相変わらずヘルムートさんは私の後ろから声をかけるので、突然のアクションにもずいぶんと慣れてしまった自分がいる。
振り返れば、最初の頃に比べずいぶんとトゲの無くなった王宮筆頭魔術師様が黒い髪をなびかせていた。
「ヘルムートさん、お久しぶりです」
淑女の模範のような礼をする。
淡い藤色のドレスがふわりと揺らめいた。
「今日はずいぶんとめかし込んでいるな」
「淑女に褒め言葉以外の身だしなみの話題は禁物ですよ」
「そういうのは分からん。 思った事を言ったまでだ」
少しバツが悪そうに眉を寄せる姿に、思わず咄嗟に背を向け小さく吹き出してしまった。
女性が好む耳障りの良い言葉を吐くだけの男性より、よっぽど好感がもてるではないか。
「似合いませんか?」
寂しそうに呟けば、ヘルムートさんは面白いほど顔をひきつらせる。
次いで耳を赤くさせ、親の仇でも見るような目をして言葉を絞り出した。
「……似合っている」
「ありがとうございます!」
ヘルムートさんからその言葉を引き出せて大満足である。
嬉しさのあまりその場でくるっとターンをした。
羞恥に身悶える姿を可愛いと思ってしまった事は墓場まで持って行くとしよう。
「こちらへどうぞヘルムートさん。 席を用意してあります」
「やはりそれは私のだったか」
「私の、私による、私とヘルムートさんの為のお茶会です」
「要するに何だ」
「ヘルムートさんとお話がしたくて」
給仕がいないのはもう仕方がないので、砂糖とミルクをカートの上からヘルムートさんの目前へと飛ばした。
一瞬ビクッとしていたが、私に気取られないよう黙って受け取っている。
「私こうやって誰かとお庭でお茶したかったんです」
ティースプーンで砂糖を溶かすヘルムートさんは、私の言葉に手を止めた。
「これも、やりたかった事か」
「そうなんです。 あそこに咲いてるお花、綺麗でしょう? 妹がよく花冠を作ってくれるんです。 いびつなんですけど、とっても可愛らしいんですよ。 私は作った事もないから羨ましくて……あ!花冠も作ってみたいです」
「作ればいい」
「でも作り方が分からなくて。 ヘルムートさん教えて下さい」
「私が知る訳ないだろう」
憮然とした顔で改めて紅茶を飲む姿を見ても、私の心は穏やかなままだった。
傲然として無愛想で、飾らない優しさがにじみ出るヘルムートさんと居るときは、私は自分を偽れなくなる。
私はこの人に甘えているのだ。
「ヘルムートさん、大好きですよ」
「…………以前聞いたが」
ヘルムートさんは困って目線が定まらず、その胸中を察して申し訳ない気持ちになった。
「優しいって言われません?」
「そんな事を言うのは貴様くらいだ。 私のような者は普通敬遠される」
「皆んな分かってないなぁ」
でもきっと、ヘルムートさんの良さを分かっている人は沢山いるに決まっている。
気づいていないのは本人だけかもしれないが、何だか悔しいので黙っておく。
「何だかんだ言って私の迷惑千万な行動に付き合ってくれているし」
「……貴様、迷惑という自覚があったのか」
「ついでにもう一つ迷惑を被って欲しいんです」
「嫌だと言ってもどうせ言うのだろう」
はい! と高らかに返事をすれば睨み返された。
「最後に私の独白を聞いて欲しいんです」
私は今どんな顔をしているのだろう。
上手く微笑んでいられたらいい。
心臓が強張るように一つ大きく鳴った。
私は本当に我儘で最低だ。
自分では抱えきれず、本当は今までずっと泣いて喚いてぶち撒けてしまいたかった思いを彼に吐露する事で満足し、重荷を軽くして勝手に消えようとしている。
ヘルムートさんは眉を顰めて私の様子を伺っているようだった。
きっととっくにこの不自然さには気が付いている。
「……最後とは何だ」
「きっともう、夢で会えるのはこれが最後になる気がします」
「根拠は」
「私の体がもう、もたないからです」
息を飲む音が耳をかすめた。
「産まれた時から私は、治らない病を患っていました。 元から虚弱体質だった為、病との合併症であまり長い時間体を動かす事ができず、私は邸を出た事がほとんどありません」
病だけであればもう少し普通に日常生活を送る事ができたらしいが、元々身体が弱かった事が相まって、一日の大半はベッドの上だった。
加えて、治療は身体にかかる負担が大きく私の身体がもたないので、その分回数を増やさなければならなかったのは運が無かったとしか言えない。
「自分の身体の事は、自分が一番よく分かっているものです」
最近はふと、身体が自分のものでは無いように重くなる事があった。
力がスッと抜けていくような感覚の後に、意識だけがそこに残る。
漠然と、ようやくか、と納得した。
「私は最低な人間なんです。 私を大切に思ってくれる人たちの気持ちを無視して、死を目の当たりにした時に胸を撫で下ろしたんです。 治療の苦しみからも、己の胸の内に巣くう醜い感情からも、皆が悲しむ姿からも、ようやく解放されるって」
そう、安堵したのだ。
身を蝕む優しくはない世界からようやく私は解放される。
大事であった筈のもの全てに目を瞑って、あとは一人逃げ出すだけ。
「私の安息は夢の中でした。 ここだけは、私の心も体も自由だった。 実際、ヘルムートさんの目の前にいる私は現実の私とは程遠いんですよ?」
無言で先を促され、私の独白は続く。
「枯れ枝のような手足は少し力を入れたら折れてしまいそうなくらい全身骨張ってて、年ごろの女の子の体じゃないんです。 青白い肌に血管が何本も浮き出ているのが嫌で、暑い季節でも詰襟長袖が基本。 隠す事に必死で自由にお洒落なんてした事無かった気がします」
でも今日はめいいっぱいお洒落してきました! と無理矢理笑って見せたが、よりいっそうヘルムートさんの目から温度が消えてゆく。
「独りで楽しむだけだった夢の世界でしたけど、ヘルムートさんに会えたのは私にとって奇跡でした。 とても新鮮で、楽しくて、驚く事ばかりで。 今まで楽しいと感じていたのは何だったんだってくらい、本当に……」
次の言葉は途中で引っかかって、なかなか口から出てこなかった。
代わりに出てくるのは嗚咽ばかりで、恥ずかしげもなくボロボロと溢れる涙をそのままに胸許の服を握りしめた。
「貴様はどこの家の者だ」
言われた意味が咀嚼できず、ヘルムートさんをただただ見つめた。
「メイドかと思っていたが、貴族か商家の娘が妥当な線だろう。 貴様のフルネームを言え」
ヘルムートさんは苛々した様子で私の言葉を待っている。
「言われている事が分かりません」
「そのままの意味だ。 貴様は教えればいい」
「……言い方を変えます。 どうして教えなければならないのか分かりません」
突如ヘルムートさんを中心に風が舞い上がった。
驚いて彼を観察すれば、静かな怒りをたたえていた。
「死を前にして諦めるのか」
「もうやり尽くしたんです。 辛い治療も耐えてきました。 でも、頑張る力は私には残っていないんです」
「ならば貴様はもう何もやらなくていい。 後はこちらでやる」
「しつこいですよ、ヘルムートさん。 今までに完治した症例は無い病なんです。 いくら何でも……」
「知っている筈だ、私が王宮筆頭魔術師である事は」
まさか私が知っているのを気付かれていたとは思わなかった。
私の無言を肯定と取り、ヘルムートさんは構わず話を続けた。
「もう一度、完治の見込みがないか診察をするべきだ。 私なら顔がきく。 症状を洗い直し、専門に特化した医師を呼べる。 王城の書庫も閲覧できるから似た症例を探す事も可能だろう。 今の環境より治る見込みは上がる筈だ」
自信を持って言い切る姿に唖然とした。
だってもう、諦めたのだ。
諦めたからこそ、自分の身を軽くするためにヘルムートさんに誰にも言えなかった気持ちを吐き出していた筈だった。
それなのにまた、とうの昔に消え去っていた希望が目の前にちらつく。
誰でもない、ヘルムートさんだからこそ、本当に可能なのではと淡い希望を持ってしまう。
「……もう、辛い事は無くなるんですか……?」
「断言は出来ない。 だが、私が何としてでも救ってみせる」
ヘルムートさんの瞳の奥に煌めく光が見えた気がした。
自分に言い聞かせるようなそれは力強く私の心を震わせた。
「……ヘルムートさん……」
「よく頑張ったな。 ルーリア、だからもう君はこれ以上無理に自分を偽らなくていい」
よく頑張ったな。
そうだ、私は誰かにそう言って欲しかったのだ。
いつも言われ続けてきたのは、頑張って、諦めちゃ駄目、そんな励ます言葉ばかりだった。
ならば今までの私は何なのだろうか。
ここまで苦しみに苦しみ抜いて、まだ足りないからそれ以上頑張れと、まだ耐え続けろと言うのか。
ただ一言、今までの辛さを認めてくれる言葉が欲しかった。
それだけで私は今、こんなにも救われている。
「ヘルムートさん……わたし、今までたくさん、頑張ってきたんです……」
「あぁ、そうだろうな。 貴様は煩悩の数が多いから叶えるまではてこでも死ななそうだからな」
「……元気になって……やりたい事、いっぱいあります」
「やればいい。 仕方がないから私も手伝おう」
二人の方が楽しいのだろう?
問われてまた嗚咽が止まらなくなった。
「……辛くて……辛くて……死にたくて。 ……でもまだ私、」
「生きたいか」
言葉にならず、何度も頷いて生きたいと訴えた。
ヘルムートさんと共にいた世界で私はまた夢を見てしまった。
まだここにいたい、という気持ちが湧き出て、死を渇望する絶望とせめぎ合っていた。
「ならば言え。 ルーリア、君の名前を」
私の名前は、
言葉を発する為口を開く。
しかしその直後、夢の中の空間が大きな音を立ててひび割れた。
ちょうど私とヘルムートさんとの間に亀裂が入り、真ん中に置いてあったガーデニングテーブルはボロボロと壊れてゆく空間に落ちていった。
「ルーリア!」
なんだこれは。
今まで一度だってこんな事は無かった。
慌てて椅子から立ち自身の体を見下ろすと、砂粒になって消えかかっていた。
その勢いはとどまることを知らず、サラサラと空へと昇ってゆく。
声が聞こえる。
亀裂を挟んだ対岸で私を呼ぶヘルムートさんの声とはまた別に。
唖然と捲き上る砂粒を見上げる、私を呼ぶ声。
『お嬢様!』
現実世界で何かが起こっている。
強制的に私は眠りから覚まされようとしていた。
怖い。
だって、今まで私の身体を考慮して、誰も私の安眠を妨げる人はいなかったからだ。
普通では無い何かがあちらで待っている。
これほどまでに目覚めが恐ろしいと感じた事はない。
ヘルムートさん! 助けて!
焦り、必死の形相で私を呼ぶヘルムートさんに向けて叫んだが声にならなかった。
身体がふわりと浮き上がり、上空の暗闇へと吸い込まれてゆく。
次の瞬間には私の身体は爆ぜ、全て砂となってしまった。
「お嬢様っ」
重い瞼を持ち上げる。
涙を目に溜めるレベッカが私の手を握りしめていた。
どういう状況か分からず目を動かせば、父や母、それから医師が私を取り囲んでいた。
「ルーリア様、私の声が聞こえますか?」
声を出そうとしたが酷く億劫で、頷こうとしても思うように身体が動かなかった。
瞬きをする事で返事をすると、医師は私が見える位置で頷いた。
「旦那様、少しお話が」
そう言って部屋から消えてゆく父と医師の気配を感じながらまた目を瞑った。
左手に繋がれた温かな手に力強く握られる。
握り返してあげたかったが、やはり私の身体は思うように動かなかった。
ヘルムートさん。
私はまだ大丈夫です。
だって、貴方が私の未来を紡いでくれるから。
だからどうか、私を見つけて。




