夢のまた夢
庭に咲く小さな白い花に囲まれながら、時折花を摘んでは花冠を作る。
小さな手で不器用な手つきながらも完成した花冠を、近くのガーデンテーブルでお茶を飲む母へと持って行った。
嬉しそうに頭に乗せる母は綺麗だった。
褒めてもらえて満足気な妹は無邪気で可愛らしい。
その様子を見ながら二人に歩み寄る父は幸せそうだった。
今度は母と妹とで花冠を作る。
母からアドバイスをもらっているであろう二作品目は先程のよりも上手だった。
はしゃぐ妹は見上げ、大きく手を振った。
締め切った窓越しに私は手を振る。
気付いた父と母も優しい眼差しで振り返った為、私も同じに見えるであろう顔で見つめ返した。
声は聞こえないが、あの花冠は私の為に作ってくれたのだろう。
きっとあの団欒が終われば、妹はその足で私の部屋にやって来る。
そして楽し気に話すのだ。
次はお姉様も一緒に遊びましょう、と。
無邪気と無神経は紙一重だ。
悪意が全く無い分やっかいである。
幼い妹に説明しても、なかなか理解してくれないのは本当に辛かった。
「お嬢様、窓をお開けしましょうか?」
「いえ、いいわ。 それよりもお水を持ってきてくれるかしら」
「かしこまりました」
私が外を気にしていた為、レベッカは窓を開けようとしてくれたが断った。
それよりも乾く喉を潤したくて、水を持って来てもらえるようお願いした。
レベッカが扉を開けるのと同時に執事のユンカースが入ってきた。
手には沢山の本が重そうに抱えられ、両手がふさがるユンカースの為にレベッカが数冊本を受け取っている。
「ユンカース様、一度に持ってくる量を間違えていらっしゃいますよ」
呆れた様にレベッカは言うと、今度こそ水差しを取りに出て行ってしまった。
本はサイドテーブルに乗り切らず、残りは奥の机に積み上げられた。
「気になった本を直ぐに手に取れる方が宜しいかと思ったのですが……もしかして私、差し出がましかったでしょうか……」
「そうじゃないのよ、ユンカース。 本も一冊一冊重いから少量ずつ運んでくれれば良いからね。 焦らなくていいのよ」
叱られた仔犬の様に落ち込むユンカースを慌ててフォローした。
しかし、何より好きなレベッカの呆れ声がユンカースをそうさせているので、私の言葉で精神の回復が見込めるかは謎である。
直ぐに戻ってきたレベッカは料理長を連れていた。
自称元冒険家の料理長は様々な国地域を旅していたそうで、料理のレパートリーは訪問した地域の数だけあると豪語している。
その彼がやって来たという事は、私の体調と献立の確認。
それからおまけで自分の武勇伝を語りに来たに違いない。
「ルーリアお嬢様、今日のお加減はいかがですかな?」
「料理長は相変わらず健康的な肌と体つきね。 今日はいつもより少し眠いくらいで、他はいたって元気よ」
「そうですか。 それでしたら今日は直ぐに寝ても良いように消化の良いものにしましょう。 葉菜類が入ったミルク粥なんかどうでしょう」
「美味しそうね。 ぜひお願いするわ」
そこで料理長はキランと目を輝かせる。
「ルーリアお嬢様、ミルク粥と言えばここからちょうど北に行ったレストリー山脈で遊牧している山羊のミルクを使った――」
「はい料理長そこまでです」
「お嬢様はこれから一眠りするので、続きはまたの機会にお願い致します」
阿吽の呼吸でレベッカとユンカースに部屋から追い出された料理長の大きな声が廊下から響いてきた。
思わず笑ってしまう。
ゲッソリとした様子で戻ってきたレベッカに感謝の言葉を送った。
「お嬢様、先ほど眠気があるとおっしゃられてましたが、少しお眠りになられますか?」
「そうしようかしら。 夕刻には起きていたいから、今の内に睡眠をとっておくわ」
「かしこまりました」
そのままレベッカは私が眠る事を伝えに行った。
私が眠っている時は、よっぽどのことが無い限り誰も眠りを妨げはしない。
だから私は、思う存分夢の世界を楽しむのだ。
ベッドで横になり、訪れる眠りをまつ。
しかし何故か妙な胸騒ぎを感じ、さっきまであった眠気が霧散してしまった。
静かな空間の中、廊下で誰かの話し声が聞こえる。
いけないと思いながらもそろりと扉に近づき、僅かな声を拾った。
「ルーリアの様子はどうだ」
父だった。
いつも優しい父は、どんなに仕事が忙しくてもなるべく毎日邸に戻り私の体調を心配してくれた。
「……それなのですが、最近特に眠気を訴えておられまして。 食も細くなり、体重も減るばかりなのです」
もう一人はレベッカであった。
言われた言葉に胸が煩く鳴る。
ジトリと冷たい汗が流れ、殆ど肉の乗らない枯れ枝のような手を握りしめた。
「……そうか。 治療は嫌がっている様子はあるか?」
「とてもお辛そうですが、前向きに捉えていらっしゃるように見えます」
「そうか……それなら良かった」
「あの、旦那様」
「何だ」
「……お嬢様はまだこの先、生きてゆけますよね?」
躊躇いがちに呟かれたレベッカの言葉に身体がぐらついた。
「正直言ってどれだけ保つか分からない。 しかし、あの子があれほど頑張っているなら、私は最善を尽くしたい」
「それは私もです、旦那様。 いえ、この邸に勤める者たちは皆お嬢様を愛しております。 だからどうか……」
次の言葉は嗚咽によってかき消されてしまった。
「ありがとうレベッカ。 君がルーリア付きのメイドで良かった」
やめて。 お願い。
力が入らない体を気力で動かし、ベッドへと倒れ込んだ。
重く動かない肢体を投げ出して、顔を埋めたシーツに涙が溢れた。
皆んな勘違いをしているのだ。
私は生きたいなんて思っていない。
希望はとうの昔に消え去っていた。
毎日が辛くて苦しくて、早く終わらせて欲しいと神にも縋る思いで祈っている。
どうせ完治できない病なら、激痛が伴うだけの延命治療などせずそのまま眠らせて欲しい。
私が夢を見たがるのは、幸せな夢を見たまま死んでしまいたいからだ。
でも、そんな事は口が裂けても言えなかった。
家族も使用人達も、私が一日でも生き長らえてくれる事を心から願っている。
愛していると言い、大切だと言い、甘い言葉で私の心を痛いほど締め付けた。
私も彼らを大切だと思うからこそ、本当の願いは無理矢理心の奥底にしまい込んで、その思いが暴れ出さないよう何枚も蓋をした。
どうして私ばかりがこんな辛い目に合わなければならないのだろう。
初めはそんな疑問だった。
妹はあんなに元気に駆け回っているのに、どうして私は外に出る事すらままならないのだろう。
母はあんなに美しいのに、どうして私の肌は青白くて、腕は棒切れみたいに醜いのだろう。
疑問はやがて、妬みに変わった。
レベッカとユンカースはお互い想い合っているのに、先の無い私には一生そんな相手は現れない。
料理長は世界各国を見て回ったけれど、私は邸から見る景色しか知らない。
妬みも尽きると、後は何も残らなかった。
鏡に写るのは虚ろな醜い私だった。
父にはどんなに辛いと泣いても、それ以上に辛そうな顔をするので泣けなくなった。
治療を嫌がれば皆が懇願するので、自ら率先して治療を受けなければならなくなった。
何が楽しかったのか、何が嬉しかったのか、どんどん朧気になってゆくのを気付かないふりをする。
嫌な事ばかりを考えてしまう時は、取り返しのつかない言葉が口から出てしまう前に眠りにつけば良い。
酷い感情が身の内に芽吹いては手折りを繰り返し、今ではもう、どれが私の正しい感情なのか分からなくなってしまった。
視界に入る私の腕は、少し力を入れれば簡単に折れてしまうのではないだろうか。
怪我をすれば次の治療は延期してくれるかもしれない。
腕に力をかけようとして、そんな小細工をしても私は生にしがみ付いていかなければならない事は変わらないので早々に腕を離した。
気付くと辺りが暗くなっていた。
先ほどまで昼過ぎ位だった筈。
するとベッドが歪に凹み、私の身体をずるずると飲み込もうとする。
そうか、これは夢か。
部屋がグニャリと歪んで闇に溶けていく。
私は底無し沼に足を取られるように、押し潰されながら落ちていった。
しかし、どうしてだろう。
無意識に伸ばした腕の先で、私はあの人の面影を見た気がした。
目を覚ました私に、レベッカはすぐ様近寄った。
「おはようございます、お嬢様。 しかし次からは椅子ではなくベッドでお眠りになって下さい」
うっかり椅子に座りながら眠ってしまったらしい私にブランケットがかけられていた。
「ごめんなさいレベッカ。 気持ちよくて、つい寝ちゃったみたい」
「ご気分は良さそうでなによりです」
「レベッカ怒った? 次からは気をつけるから許して」
心配性の彼女に笑って許しを請うと、次は誰かにベッドまで運んでもらいますからね、と脅された。
それはちょっと嫌だな、と私はまた笑った。




