閑話
ヘルムート視点
言付けを既に済ませていた為、近衛兵に促されすんなりと扉を潜ることができた。
私の執務室よりも何倍も豪奢である部屋は、国一番尊ぶ方のものである。
足を踏み入れ、中央奥にある重厚感のある艶やかなデスクに向かう。
書類をトンとまとめ、私を見上げたシャルム陛下の絹のような髪が肩からさらりと流れ落ちた。
「やぁ、ヴァレンシュタイン魔術師長。 今日は相談があると聞いたのだけれど、君から僕にお願い事なんて珍しいね?」
「陛下、一つ訂正させていただけるのであれば、お願いではなく要望と提案です」
「いいじゃないか、お願いで。 その方が僕、やる気出るよー」
ゆるい笑みでシャルム陛下は私から書類を受け取った。
締まりのない態度ではあるが一部の者しか知らない顔であり、普段は理想の国王然としているので寛容している。
「それにしても最近しっかり寝ているかい? 僕のせいで君たちには大変な思いをさせてしまっているからね。 今しばらくは無理だが、その内必ず休暇を取らせると約束するよ」
書類に目を落としながら、なんて事はない口調で問いかけられる。
その実、シャルム陛下がとても気に病んでいる事は分かっていた。
「結構です陛下。 休暇を頂戴した所で活用方法がありませんので」
「君は相変わらずストイックだよねぇ。 浮いた噂の一つでも持ってきたらどうだい」
どうしようもない子を見る目でため息をつかれた。
確かに私は周りに見向きもせず仕事に没頭してきた人間である為、生まれてこのかた女性を知らない。
しかし陛下には関係のない事なので放っておいて欲しい。
かくいう陛下は私の真逆を行く。
その浮名は数知れず、繊細で優美な美貌は老若男女虜にした。
博識であるため言葉でも皆を楽しませ、彼の周りはいつも華やかであった。
「ご心配痛み入ります」
「いやそうじゃなくてだね。 君もう二十八歳でしょ? 童貞のまま三十越えたら妖精になっちゃうって」
「……それはどこの国の言い伝えなのでしょうか」
そんな事で妖精になっていては、世の中の半数の男は羽を手に入れている。
人のシモの世話をやくほど経験者が偉いのか。
違うだろう。
「んー……うん。 余計なお世話という訳だね」
「いえ。 ですが本当にご心配いりませんのでお気になさらず」
私としては下世話な話題は終わったつもりだったのだが、シャルム陛下はそうではなかったらしい。
獲物を見つけたように目を輝かせた。
「ヴァレンシュタイン魔術師長、それはどこの御令嬢だい?」
言われた意味が分からず、返答までに時間がかかってしまった。
「……御令嬢とは?」
「やだな、しらばっくれないでよ。 いるんでしょ? そういう相手が」
ここまで言われて意味が理解出来ないほど私は馬鹿ではない。
馬鹿では無いはずだが、シャルム陛下がどうしてそのような結論に至ったのか理解出来なかった。
私はただ否定すれば良いだけなのだ。
しかし思わず言葉に詰まってしまうのは、深緑色のスカートが翻る姿を思い出してしまったからだ。
あれから彼女とは、二ヶ月程会えていなかった。
「おりませんが」
「その間が居るって言ってるようなものだよ」
それ以上は諦めたのか、シャルム陛下はつまらなそうな顔で椅子の背もたれに体重をかけた。
現実で一度も会った事はない。
ましてや本名や身分も不確かで、たわいもない話をするだけの彼女は、自分の中でどの位置付けになっているのかさえ想像出来ない。
だからという訳ではないが、適齢期の異性との交流は行動の読めない彼女だけで充分である。
「すまないね、ヴァレンシュタイン魔術師長。 君と久しぶりに話せて僕は少し舞い上がっているらしい」
椅子から立ち上がると、シャルム陛下は窓へと近寄った。
夕日に照らされた屋外を眺めている為、こちらからはその表情をうかがい知る事は出来ない。
「君にはいつも心労をかける。 今も、昔も」
それはシャルム陛下の方だ。
周りの環境は、幼い頃からこの方を子供のままでいさせてはくれなかった。
初めて出会った当初は早熟で大人びた子供だと思っていたが、ある時突然交友関係が派手になり、私を含めた周りの者たちは困惑したものだった。
しかし授業や仕事を疎かにしている訳では無かったので、叱言を漏らすだけで殆どそのままにしていた。
シャルム陛下には心をさらけ出せる者も、逃げ場所も無かった。
両手で足る年齢の少年が表情すら繕わなければならない世界は、成長して少しの自由を手に入れれば、それに縋っても仕方がない気がした。
「勿体ないお言葉にございます」
頭を下げた私に、シャルム陛下は困ったような笑みで振り返る。
「父の葬儀の日、君を傷つけるつもりはなかった。 あれは僕の逃げだよ」
先王に花を手向ける中、人越しに見えたシャルム陛下は愕然としていた。
私に向かって、なぜ間に合わなかったのかとその目は問うていた。
「僕はどうしても国王になりたくなかった。 だからといって逃げ出す勇気も無い。 君の研究が完成して父の病が治り、うんと先延ばしにしてくれれば良いとずっと思っていた」
一区切りつくと再び、すまない、と呟いた。
「小さい頃から父が恐ろしかった。 ……いや、違うな。 国王という存在が恐ろしかったんだ。 まるで取り憑かれたように国の事しか見えていない。 僕には父が、己の血肉を裂いて民に分け与えているようにしか見えなかった」
当時の感情を思い出したのか、シャルム陛下は腕をさすった。
夕日の赤がその白い肌を隠すように差し込んでいる。
「父の病、あれは残酷な病だな」
私は治療の様子を思い出して思わず目を瞑ってしまった。
耐性のある大人でさえ顔をしかめるのだ。
幼かったシャルム陛下には、耐える父親の姿は恐怖の対象でしかなかったのかもしれない。
〝精霊の忌子〟は体内に循環する魔力を作り出せず、また定着できない病で、放置すれば魔力が枯渇し死に至る。
生き長らえるには定期的に他人に魔力を注いでもらうしかない。
しかしそれも無限ではなく、注ぎ続けて貰っていても、本来備わっていた自分自身の魔力が体内から無くなれば、他人の魔力だけでは生きていけない。
どちらにしろ、長くは生きられなかった。
その点、先王は齢四十三までと、精霊の忌子の中では長く生きた。
理由は金銭面や環境よりも、その精神力だった。
他人の魔力を身体に馴染ませるには激痛がともなった。
身体の中に異物を無理矢理押し込んでいるようなもので、魔力を注がれている間、身体中を引き裂かれるような痛みが襲う。
一日もすれば痛みはおさまるそうだが、それでも痛みに耐え切れず、治療を放棄しそのまま亡くなってしまうケースが大半だった。
どんなに生きても、私が知る限り文献に記載されていた精霊の忌子達は十代で亡くなっていた。
生きている限り終わる事のない痛みは死を渇望させる。
先王は最期まで諦めずその歳まで生きる事が出来たという事は、今までの精霊の忌子たちは死を受け入れてしまったのだろう。
「生きる為に治療を受けていた筈が、治療に耐え切れず死を選ぶ。 絶望を植え付けられて死を待つだけなんてあんまりだ」
しかし、とシャルム陛下は続けた。
「父はその絶望に打ち勝っていた。 理由は国王だからというだけだ。 四十三年も、死の直前まで、民のため国のために血肉を注いでいた。 私や兄弟たち、母でさえ顧みず国の行く末だけを見据え続けた姿が理解出来なかった。 同時に、体をかきむしりたくなる程の激痛に耐え続けても国の父であり続けた国王という存在が、酷く恐ろしかった」
――自分ならいっそ全てを捨てて、楽な方へいってしまう――
小さく呟かれた言葉は決して非難して良いものではない。
きっと私もそうだ。
先王のように身を投げ打ってまで強く守りたいと思えるものが無ければ、私もシャルム陛下と何ら変わりない。
「それでも貴方様は王になって下さった」
「聞いてた? 僕はなりたくてなったんじゃないんだよ」
「今は違うとお見受けします」
非難するように細められた目は私を捉える。
「そうだよ今の話はただの懺悔だよ。 言い訳だよ。 つまり、遅くなってごめんね、って事。君のそれ、僕の事ちゃんと分かってますよ、って言われてるみたいで何か嫌だ」
「そんな事はございません。 陛下がどうして心変わりされたのか私は知りませんから」
シャルム陛下は気付いていない。
半年前に比べてとてもすっきりした顔でいる事を。
まるで憑き物が落ちたようで、以前はあった陰は感じられなかった。
「守りたいと思える人たちができたんだ。 なら、頑張らないとだろ? 父に比べたら動機は不純で頼りないかもしれないけれどさ」
「先王も、根底にあったのは守りたいという気持ちだったと思います」
私がそう言えば、年相応に見える笑みでシャルム陛下は笑った。
「君にも早く守りたいと思える人が出来るといいね、家族以外にもさ」
「その時はご報告させていただきます」
「教えてくれるの!? 嬉しいなぁ、言ってみるものだな」
何やら楽しげに椅子に戻るシャルム陛下に、先ほど渡した書類をもう一度突き付けた。
「それでは陛下、外遊資金についてのお願いなのですが」
「……お手柔らかに頼むよ」




