七話 旅行
アカメの学習能力は俺の想像をはるかに上回り、三日足らずでタイピングまで完璧に覚えていた。速さはそこまでだが、それも時間の問題だろう。
最近ではネットを使うことも覚え、動画サイトで料理を熱心に勉強しているようだ。ネットでのチャットは危険だからという理由でSNSの類を禁止しているが、アカメの様子を見ていると考えすぎなのかもしれない。
一方、大家さんに教えてもらう約束をした料理の方はと言うと言い出しっぺの俺が時間を作れないということで未定になっている。これでは、アカメに何を言われても仕方ない。
さて、今日はアカメにアルファベットとローマ字を教えた日から四日経った金曜日。人付き合いの良い部下、佐藤の誘いを断って地下鉄の電車に乗っている十八時。
サラリーマンは飲み会に行っているのか、車内は普段よりも空いている。
俺は座席に座って、スマホでアカメにメッセージを送った。
『明日の予定、決まったか?』
明日の土曜日は先週の土曜日にアカメと外に行く約束をした日だ。アカメもパソコンを頑張って覚えたことだし、こちらも約束を果たさねば。
メッセージを送信してから一分後、スマホが手の中で細かく揺れて受信を知らせた。
『ここがいい』
アカメから送られてきたのはこの短い文ともう一つ、URLだ。そのURLを開くと、画面いっぱいに海の画像が広がり、その次に様々な文字が浮かんできた。
「えっと、シーアミューズメントパーク・・・・・・?」
URLはどうやら遊園地の物で、そこは海が近くにある事が売りのようだ。サイトにはジェットコースターや観覧車から撮られた海の写真が載っている。
海なら最寄りから二時間弱を電車に乗れば見られるが、そこの近くだろうか。アクセスページを開いて場所を確認する。すると、開いたページに載っている場所は思っていた通りの地域で合っていた。しかし、往復で四時間もかかるのは少し気が進まない。
『結構遠いみたいだな。片道一時間って書いてるけど我慢できるか?』
『うん。だいじょうぶ。でんしゃすきだからたのしみ』
どうやら、アカメの中ではもう遊園地に行くことは確定しているらしい。それにしてもいつもは舌足らずな、息が続かない口調を耳にしているため文字にしてみると少し違和感があるな。
『分かった。明日は遊園地な。朝早いから今日は早めに寝ろよ?』
『ありがとう。ごはんたべたらすぐにねるね』
アカメとのチャットは一段落し、送られてきたURLを押してもう一度サイトを開く。遊園地は駅から十分程度と書かれている。
園内にはアトラクションのほかに飲食店も数点あるそうで、海を目玉にしているからかそのどれもこれもが魚や海賊など、海に関連するメニューを載せている。
「入ってから少し遊んで、昼飯は少し遅めでいいか。そこから夕方まで遊んで・・・・・・」
明日のプランを大雑把に考えていると、帰りの時間が気になった。アカメは大人しいが、まだ子供だ。子供が遊園地なんかに行けば、帰るときは駄々をこねるだろう。
いや、アカメの場合は肩を落とすだけで何も言わないか。しかし、せっかく遊園地に行くのだ。どうせなら帰りも笑顔で帰らせてやりたい。
往復の時間と昼ご飯の時間を考えると、遊べる時間はせいぜい六時間程度。アトラクションの待ち時間も合わせればもっと短いはずだ。
サイトを見る限りではアトラクションの数は二十を超えている。六時間弱でアカメが満足するかどうか。
悩みながらサイトをスクロールしていると、パートナーホテルという文字が目についた。
「遊園地と提携を結んでるホテル。客室からは海が見える・・・・・・。内装も魚の装飾が・・・・・・」
イメージ画像では壁一面が青色になっていて、天井から大きなクマノミが吊るされている。そのほか、至る所に水色のクリスタルや魚のぬいぐるみが置かれていて、奥に見えるベランダからは大きな海が見えている。
「予約は・・・・・・、まだできるか」
夏にもまだ早いオフシーズンだからか、前日にもかかわらず客室は空いている。ホテルに泊まるなら、夜ご飯も遊園地内で食べることが出来るし、十分満足するだろう。
日曜の日中に家に着けば、月曜の仕事に支障が出ることも無い。
ホテルを取る価値は十分にある。しかし、一つだけ問題があった。
「そもそも、海が好きなのか・・・・・・?遊園地ならどこでもいいって可能性も・・・・・・」
前者なら、気兼ねなくパートナーホテルを取ることが出来る。だが、もしも後者ならば近くのビジネスホテルで十分。値段も四割ほど安くなるはずだ。
聞けば済む話だが、どうせならサプライズにしたい。
「・・・・・・よし」
貯金は無駄に貯まってるんだ。ケチってリスクを選ぶ理由もない。
一度決めたら、意志がぶれないうちにと予約を一気に進める。そして、俺はパートナーホテルでベランダから海が見える部屋を二名で予約した。
遊園地に行く当日。俺とアカメは遊園地を目指して、電車に乗っていた。土曜のまだ八時前ということもあり、この車両に乗っているのは俺とアカメの二人だけだ。
「ようすけ、ようすけ。どうして、きがえも、いるの?」
昨日の夜、俺は風呂を上がったアカメに着替えをボストンバッグに詰めるように言っていた。アカメは俺が着替えや布団に触るのを嫌がるので、自分でやらせるしかないのだ。
「あー、なんかアトラクションで濡れるのがあるって書いてたからな。もしものためだよ。お前も濡れたまま遊園地を歩くのは嫌だろ?」
「そう、なんだ。しらなかった。ようすけは、くわしい、ね?」
「たまたま見つけただけだ。・・・・・・まだ着くまで結構時間あるけど、トイレとか大丈夫か?」
「うん、だいじょうぶ。そと、みえる、から、たいくつ、じゃない、よ」
「そうか。なら、良かった」
座席に膝を立てて外を眺めているアカメ。マナーは悪いが、他の客もいないし靴も脱いでいるし、わざわざ注意しなくてもいいだろう。
ポケットからスマホを取り出して到着予定時刻をもう一度確認する。ちなみにだが、俺の服装は普段と変わらない仕事用のスーツだ。遊園地にスーツで行くのはさすがに抵抗があったが、先週に寝間着以外の服を買っていなかったので仕方がない。
一方のアカメはと言えば、出会った時と同じような白いワンピースを着ている。俺からしてみれば同じものだが、アカメにそれを言ったところ結構な怒り顔を見せた。
同じ白でもこっちはピンク寄りだとか、服の裾がひらひらしているだとか。
俺には理解できない違いが確かにあるそうだ。
対面の窓から見える景色は、いつの間にか住宅街から田畑へと変わっている。五月中旬の、植えられたばかりの小さな稲が無数に車窓から見える。
「──みのるほど、あたまを・・・・・・」
「・・・・・・え?」
「あ、えっと、ネットで、みてて、たまたま、おぼえてた、から・・・・・・」
「・・・・・・そうか。いや、俺も昔聞いたことがあってな。確か、その続きはこうだったよな。頭を垂れる稲穂かな」
「そう、なの?」
「あぁ。人間も色々な事を知るほど、謙虚になる。そうなりたいと思うって意味だったかな」
「そう、なんだ。よくわからない。けど、ようすけ、が、あたまいい、のは、わかった」
「頭いいって言うか、田舎育ちだったからな。これもあいつ、からの・・・・・・」
アカメが口にした言葉。それは昔、幼なじみから教わったもので、まるで幼なじみが言っているのではないかと思ってしまった。
あいつ、思い返しただけで胸に何かが詰まった感覚を覚え、言葉が続かなくなる。
「っは、っは、ぁ・・・・・・!」
今さらどの口が過去を語れるか。思い出せば思い出すほどに、息が苦しくなる。
「だいじょうぶ?ようすけ、おちついて」
「さ・・・・・・、ん・・・・・・」
アカメはそっと俺の傍に近づき、ゆっくりと背中を撫で始めた。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ」
アカメが背中を撫でるたびに、体の力が抜けて呼吸が正常に戻っていく。それに連れて上がっていた心拍数もだんだんと落ち着いていくのが分かった。
時間にして十秒ほど。年が三倍以上も離れているであろう少女に撫でられながら、俺は大きく深呼吸をして完全に平常に戻ることが出来た。
「・・・・・・ありがとうな、アカメ」
「うん。また苦しくなったら、言って、ね」
「はは、もうならねぇよ。ただ、ちょっと疲れたから寝るわ。何かあったらすぐ起こしてくれ」
「分かってる。遊園地に、着いたら、起こすね」
目的の駅名まで把握しているのか。頼もしい限りだ。しかし、念のために、とスマホでタイマーを設定してから瞼を閉じた。
──はるかはいつも怖がりだね。山には何回も登ってるでしょ?そんなことじゃ、立派な大人になれないよ。ほら、引っ張ってあげるからがんばれ!がんばれ!
山はいつだって怖かった。太陽が出ていても薄暗く、自分の腰ほどまで伸びた草むらの中から何かがこちらを見ている気がして。その手を離せば連れて行かれそうな気がして。
──はるか、ここ見てみて!リスのお家だよ。いっぱい木の実を溜めてる。あ、こっちには蛇の抜け殻も落ちてる!はるか、持って帰る?
何にでも興味を持ち、何でも知っている。そんな少女の背中に憧れるが、追いかけはしなかった。後ろから見つめているだけで、どこへでも連れて行ってくれる気がしてたから。
──はるか、来週にね、隣町で夏祭りがあるんだって!一緒に行こうよ!
ほら、またこうして少女は俺の知らない世界へ手を引っ張って行ってくれる。
ヴーヴーヴーヴー
「っ!?」
突然ポケットの中で鳴ったブザーに驚き、目を覚ました。ポケットの中で細かく揺れるスマホを取り出し、タイマーを止める。
時刻は予定していた通り、あと十分ほどで目的の駅に着く時間帯。
水でも飲もうとバッグに手を伸ばそうとしたところで、俺の左肩にアカメがもたれかかっていることに気が付いた。
「・・・・・・んぅ」
何か食べている夢でも見ているのか、アカメの口元が僅かに動いた。そんな顔を見れば、起こすのも忍びない。
左肩を動かさないようにして、ゆっくりと足元に置いているバッグに手を伸ばす。電車に乗ってから二時間ほど経っているが、他の乗客は相変わらず見えない。
特にすることも無く、また対面に流れる景色に目をやる。眠る前は一面が田畑だったが、市街地に近づいてきたのか住宅がちらほら見える。数分の間ただ街をぼーっと見つめていると、遠くからキラキラと輝く光が目に入った。
海だ。
「おぉ・・・・・・!」
生まれて初めて目にする海に声が出て、体が前のめりになる。
海は想像していたよりも青くはない。しかし、想像よりも圧倒的に大きい。湖の倍くらいと高を括っていたが、対岸が見えないどころか横にも無限に広がっている。
この広大さを見れば、昔の人間が地球は四角いと考えた気持ちも納得できる。
もっとその姿を見たい。そう思って立ち上がると、左肩にもたれていたアカメが座席にずり落ちた。
「んぶ・・・・・・」
「あ、アカメ!見てみろ!海、海だぞ!?」
座席に顔を埋めるアカメの身体を揺らし、叩き起こす。アカメはゆっくりと体を起こすが、目を擦っていて景色をまだ見ていない。
「あ・・・・・・」
アカメが寝ぼけている間に電車は止まり、駅のホームに入った。
「海・・・・・・、どこ・・・・・・?」
やっと目を覚ましたアカメは首を左右に振るが、見えるのは古びた看板に張り付けられている広告と錆びた自販機だけだ。
「海・・・・・・、どこ・・・・・・?」
アカメが俺の方を見つめて聞いて来るが、残念なことにもう海は見えない。
どう声をかけようかと思っていると、電車のアナウンスで出発が告げられた。
「まずい!アカメ、降りるぞ!」
電車が出発する前に、慌てて荷物を持って飛び降りる。
「ね、海、は?」
どうやら、アカメは目的の駅に着いたことよりも海をいち早く見たいようだ。遊園地に行けば見られるが、待ちきれない様子。
「あー、駅出たらすぐ見える!と思う・・・・・・。ほ、ほら!早く行くぞ!」
初めて降りる駅で見られる光景など知るはずもないが、その場しのぎで口走る。
「ほん、と?海、楽しみ・・・・・・!」
アカメは俺の言葉をすっかり信じ、期待に溢れた顔で改札を通る。これでもしも、海が見えなければ遊園地までの空気は地獄になるな。どうか、海が見えますよに・・・・・・!
駅から一歩出ると、田舎特有の強い日差しが視界に入り、目を細める。だが、そんなことよりも今は海だ。海が目の前にあるのかどうかだ。
「ふぁあぁぁぁぁ!」
アカメの喜びを最大限に現した感嘆が耳に入る。その後、日差しから回復した目で見たのは、一面に広がる海だった。視界を邪魔するものは何もない、一面の海。
特有の磯臭さと言うものを感じ、肌が僅かにべたつくような気がする。
「ようすけ、海!海だよ!?」
波の音が耳に入り、アカメの声を飲み込む。その壮大なスケールに息を呑んだ。
しばらくの間二人して海に圧倒されていると、隣から車のクラクションが鳴った。
海を見ていて気付かなかったが、俺とアカメが立っているのは道路の真ん中だった。慌てて頭を下げ、アカメと荷物を抱えて移動する。
車はそのまま通りすぎるか、と思いきや俺たちの目の前で止まった。
参ったな、面倒な運転手だったか。
未だ海を見て呆けているアカメを脇に隠し、ゆっくりと開かれる助手席の窓を見つめる。
運転手はスキンヘッドでサングラスをかけている男性。
「邪魔してすみま──」
「──兄ちゃん、旅行の客人か?」
特徴的な訛りで口元に笑みが浮かび、外したサングラスから見える目元には皺が寄っている。
「うちのホテルは予約してるか?遊園地のパートナーのホテル」
「あ、はい。そこなら昨日ネットで予約しましたが・・・・・・?」
「そうか、そうか!なら、運んだるから後ろに乗り!」
「えっと・・・・・・?」
知らない男の車に乗るのはただでさえ抵抗がある上に、後ろにはアカメがいる。どうやって躱すべきかと考えていると、男が車から降りて後部座席のドアを開けた。
「あ、自己紹介してへんかったな。わしはそのホテルの従業員で、ホテルはこの山の上にあるから、客人を遊園地まで送り迎えしてんねん。攫ったりせんから安心しい」
「そうでしたか!なら、お言葉に甘えて」
「おう!乗ったら、ドア閉めてな!」
従業員の男性は後部座席のドアを開けると、運転席へと足早に戻っていた。
「アカメ、車で送ってくれるってさ。遊園地の開園まで時間あるから、先にホテル行くぞ」
「うん・・・・・・」
話半分の返事。その場から動こうとしないアカメの手を引き、車に乗せる。アカメは車に乗りながらも、ずっと窓から海を眺めていた。
「あと三十分くらいで開園やけど、間に合うように車出すか?どうせこの時期は他の客もおらんやろうし」
「駅からだけじゃなく、遊園地の送迎もお願いできるんですか?」
「おう!仕事やからな!じゃあ、フロントでチェックインして荷物だけ部屋に運んでもらい。あ、カードキーはちゃんと受け取りや」
「分かりました。丁寧にありがとうございます」
車から荷物を降ろし、アカメの手を引いてホテルの自動ドアをくぐる。ホテル内はロビーから水色や青色で統一されていて、海を連想させる。
「ふぁぁ・・・・・・」
空気が抜けていくような声を上げるアカメ。
「よ、ようすけ、ようすけ、魚、魚・・・・・・!見に、行って、いい?」
アカメが指差している先には、色とりどりの魚が入った水槽がある。
「あぁ。俺はフロントに行ってくるから、水槽の前から動くなよ」
「うん・・・・・・!行って、くる・・・・・・!」
アカメは走って水槽へと近づき、ガラスに鼻が触れそうなほど顔を近づけて食い入るように見始めた。
一方、俺はボストンバッグを肩に背負い直し、フロントに足を進めてチェックインをする。
「すみません、ネットで予約した穂川ですが・・・・・・」
「お待ちしておりました。ご予約された際に、こちらからお送りさせていただいたメールを開いていただいてもよろしいですか?」
「はい、これです」
「ありがとうございます。お部屋の準備は既に整っておりますが、ご案内いたしましょうか?」
「いえ、荷物だけ運んでおいてもらってもいいですか?」
「かしこまりました。では、こちらのカードキーを二名様分ですね。お持ち下さい。お荷物はお部屋に運んでおきますので、こちらの荷台にお願いします」
従業員からカードキーを受け取り、運ばれてきた荷台に二つのボストンバッグを預ける。
「じゃ、お願いします」
「はい、お預かりいたしました。それでは行ってらっしゃいませ」
従業員に荷物を預けたのち、水槽の前で目を輝かせるアカメの肩を叩く。
「アカメ、用事は終わったから行くぞ?」
「もう、ちょっと、だけ、だめ?」
「遊園地が待ってるぞ?早く行かないと、遊べる時間が減るかもな」
「それは、だめ・・・・・・!早く、行こ!」
遊園地という言葉を出した瞬間、アカメは俺の手を引いて自動ドアの方へと引いて水槽から離れた。
ホテルの自動ドアを出ると、すぐ目の前で先ほど運転してくれたスキンヘッドの男性が車を止めて待っていた。
「おう、カードキーはちゃんと貰ったか?」
「はい、荷物も預けてきました」
「そうか!なら、とっとと行こか!」
男性の運転でホテルから山を下って中腹にある駅を通り過ぎ、そこそこの活気がある商店街を抜ける。
「兄ちゃん、帰りは十時から十六時まで二時間に一本。十六時から二十二時までは一時間に一本やから覚えといてな。もし、はよ帰りたなったらフロント電話ちょうだいや」
「分かりました。たぶん、二十時くらいに戻ると思うので、よろしくお願いします」
十分くらい車の中で過ごし、車が止まった。
「着いたで。ほな、楽しんできいや!」
スキンヘッドの男性は気さくな笑顔で俺たちを送った後、車を発進させた。
お読みいただきありがとうございます。誤字脱字報告、感想よろしくお願いします。




