三話 二人で行動
──はるか、今日は田植えをするんだって!はるかは昔から雑だから、まっすぐ植えれるように見ててあげるね!
── そんなことないよ!一人でもできるもん!
── だーめ!前の収穫の時、同じこと言って怪我してたでしょ!?おばさんからもはる かのこと、見てねって言われてるんだから!
── 気を付けるから!怪我しないから!
── 一人でするのは、はるかがもうちょっと大人になってからね。ほら、早く田んぼに行 こ?はるかは私が守ってあげるから!
すっと瞼を開け、頭の隣に置いているスマホが示す時刻は八時。休日用のアラームが鳴る よりも、少しだけ早い。体を起こして布団から立ち上がる。水の一杯でもと思い、リビング に向かおうとするが例の少女、アカメの存在が頭をよぎる。
「・・・・・・とりあえず、歯洗うか」
向かう先を洗面所へと変え、歯を磨き始める。口の中がミントの爽快感で満たされていく。 歯磨きをすると頭がすっきりするもので、昨日に決めた予定を思い出した。
まだ昼には早いが、ついでにコンビニで朝飯を買えばいい。洗面所を出て、靴箱を開ける。 すると、月曜から金曜までの汗を吸ったシャツの強烈な匂いが溢れ出てきた。
「きっつ・・・・・・。この匂いだけは、ほんと慣れねぇな」
息を止め、シャツと一緒に靴箱に入っているゴミ袋を開いて手当たり次第に放りこんで いく。パンツや靴下もまとめて。それらが一緒くたにされたゴミ袋はそこそこ膨れ上がった。
洗い物の入ったゴミ袋を両手で持ち、クロックスを履いて肩で扉を押す。スーツにクロッ クスというのはあまりに不格好だと自分でも思いながら、今さら格好を気にする意味も感 じられない。
ゴミ袋を両手で抱えながら頼りない階段を降りようとすると、アパートの敷地内を箒で 掃除する人の姿が目に入った。
向こうもこちらに気付いた様子で、箒をもって階段の下までゆっくりと歩いてきた。
「おはようございます、穂川さん。洗濯ですか?」
箒を握っているのは今年大学に入学という若さでありながら、このボロアパートの大家 さんだ。
「おはようございます、大家さん。ちょっとコインランドリーに。いつも掃除、ありがとう ございます」
「いえいえ。それはそうと、洗濯機ならうちのを使ってください、って前から言ってるじゃ ないですか。お金なんて取りませんから。敬語だって── 」
「ありがとうございます。でも、相当汚いと思うので遠慮させてもらいますね。それじゃ」
うちの、というのはこのアパートの、というわけではない。大家さんが個人で所有している洗濯機の事だ。しかし、成人にもなっていない女性の洗濯機を使うのはさすがに気が引ける。
「あ・・・・・・」
早々に切り上げなければお人よしの大家さんの事だ。洗濯機を使え、使わないの不毛な言い争いが起こるだろう。そうなる前に、と俺はアパートを出た。
大家さんの事は彼女が小学生のころから知っている。社会人になりたての頃に越してきた俺に当時の大家、彼女の祖母にあたる人物が遊んでやって欲しいと言ってきたのだ。
そんな当時の大家も彼女が高校を卒業する前に亡くなり、今では彼女が一人でこのボロアパートを支えている。
「一人でよくやってるよ・・・・・・」
嫌味ではないただの本心。自分の高校生時代と比較するのも失礼なほど。今でもそうだ。
アパートの経営と学業の両立。普通の大学生が求められる忙しさではない。
加えて、こんな男にも優しく声をかける人格。人ができているとはああいう事だと感じていると、目的のコインランドリーが見えてきた。
このコインランドリーはアパートから五分程度で見える距離にあり、引っ越してからは重宝している。洗濯機を持っている家庭が一般になった今ではここを使う者は少ないのか、ここの洗濯機を他の客が利用している姿を見る機会は少ない。
一番出入り口に近い洗濯機の蓋を開けてゴミ袋に詰めた洗濯物を入れていく。全ての洗濯物を入れ終え、お金を取り出すためにズボンに手を入れたところである事に気が付く。
「・・・・・・財布、忘れてた」
心当たりはある。おそらくは惣菜を取り出すときに冷蔵庫の前に置いたか、座るときに机の上か下に置いたのだろう。いつもなら朝起きて水を飲む際に気付くはずだ。
だが、今日はリビングに行く気になれず、そのまま出てきてしまった。その結果がこれだ。
もう一度家に帰るのは面倒だと思い、諦めつつもズボンのポケットに深く手を入れて探る。すると、手に三枚の硬貨が指に当たった。
その硬貨を握り、取り出して開くと百円玉が三枚。ちょうどコインランドリーの利用に必要な金額が入っていた。
「運が良いのか、悪いのか・・・・・・」
とりあえず、三百円を入れて洗濯機を稼働させる。洗濯機はゴゴゴという音と同時に体を揺らし、洗濯を始めた。普段ならここで三十分ほど待ち、追加の料金を入れて乾燥を始めるが今は手持ちがないので一度家に帰らなければいけない。
来た道をとぼとぼと歩き、アパートへとたどり着く。アパートの前にはもう大家さんの姿は無い。そのことに少しだけ安心し、階段を上る。
「まだ、いるよな・・・・・・?」
ドアノブに手を置いて扉を開ける。期待三十、諦め七十。そんな気持ちで奥へと進み、リビングの扉を開ける。扉を開けてすぐの台所から寝息が聞こえてきた。
そこには冷たくて固い床の上で眠っているアカメの姿があった。
「・・・・・・・・・」
四回目ともなると、その姿を見てももう何の感情も湧かない。強いて上げるとするならば、やっぱりな、くらいだ。
声をかけても起きず、出て行けと言っても出て行かないので起こすチャレンジすらしない。
台所の前と机の周りという二つの予想をしていた俺は先に机に向かうことにした。
「あった」
財布は探すまでもなく、ノートパソコンの横に置かれていた。財布を手に取り、家をもう一度出て行く。その際に一つ一つの動作が静かになったのは、アカメが起きて面倒になるのを避けるため。
その後、スマホで適当なニュースを見ながらコインランドリーで三十分ほど過ごした後、乾燥が終わった洗濯物を新品のゴミ袋に入れてアパートへと戻った。
この後は何をしようか、そう考えながら洗面台の下に持って帰ってきた洗濯物を適当に入れる。あらかじめ決めていた予定はもう終わり、この後は日曜を含めてまるまる暇になる。
ただ寝て過ごすにはあまりにも長い。
「月曜の資料、もう一回見とくか」
リビングのノートパソコンには会社で使うデータが入っている。自宅用の個人パソコンに会社のデータが入っているのはあまりいいことではないが、こんな人間には仕事以外やることがないので大目に見てほしい。
洗面所から出てリビングの扉を開ける。すると、開けた扉が何かにぶつかった。
「っう」
こんなところに何も置いていなかったはず、と思ったが小さなうめき声でぶつかった者が判明する。一時間前に台所で眠っていた少女、アカメだ。
「わ、悪い!大丈夫か!?」
僅かに開いた隙間から体を入れ、うずくまるアカメに声をかける。アカメは数秒間額を押さえていたが、しばらくして顔を上げた。その額は盾に細長く、赤く腫れていて、目端には涙が浮かんで見える。
その涙を見た瞬間、俺の中で警報が鳴り響いた。
少女を自宅にあげ、何泊も止めているだけでも不味い状況。その上、その少女に怪我を負わせたとなれば警察の厄介になるのは必至。それだけは避けたい。
「あ、えっと、そうだ!絆創膏!いや、冷やした方が良いのか!?」
アカメの額から血は出ていない。となれば、冷やして腫れるのを止めるのが先決だ。
「ちょっと待ってろ!」
保冷剤を探して冷蔵庫を探るが、そんなものを買った覚えはない。買った覚えのない物は当然あるはずもなく、仕方なく冷蔵庫に入っていたビール缶を持ち出す。
「これ、デコに!」
アカメはビール缶を受け取り、額にそれをあてる。未成年の少女にビールを渡すのは完璧にアウトな絵面だが、そんなことを気にしている場合ではない。
スマホを取り出し、怪我、冷やす、応急処置と検索。すると、ビニール袋に氷を入れ、そのビニール袋をタオルで包んで患部に当てろと書かれている。
幸い、昨日コンビニで貰ったビニール袋は冷蔵庫の前に在り、アルコール用にと氷は冷蔵庫で自製している。氷を手で鷲掴みにして、ビニール袋が拳一つほどの大きさに膨れるまで氷を詰め込む。そして、洗面所に向かってバスタオルでビニール袋を包んだ。
「大丈夫か!?痛いたいよな!?とりあえず、その缶、これに変えとけ!」
俺が腰を落としてタオルに包まれたビニール袋を差し出すと、アカメはゆっくりと缶を外してビニール袋を受け取った。
「・・・・・・悪かった。起きてるとは思ってなくて。ちょっと今から薬局行ってくるから」
何がいるかは分からない。だが、このままにしておくわけにもいかず、薬局に行こうと立ち上がろうとすると、アカメがシャツの裾を掴んだ。
「だい、じょうぶ。もう、いたくない、から」
「いや、でも、・・・・・・本当か?」
「うん、ほら」
アカメはビニール袋を額から外し、顔を上に向けて見せてくる。その額は先ほどよりも赤身が薄れ、血はもちろん、腫れも想像していたよりは小さくなっていた。
「ね?」
「あ、あぁ。でも、もうしばらくは冷やしとけ。何があるか分かんねぇから」
「うん。ありがとう」
「なんでお礼なんか・・・・・・」
「しんぱい、してくれた、から・・・・・・?」
「・・・・・・子供怪我させて心配しない大人はいねぇよ。いたとしたらただのクズだろ・・・・・・」
慌てるほどの事態ではないことを理解すると、一気に力が抜けて腰が床に着いた。
子供なんか泣いて喚いて暴れて、気に入らないことがあればすぐ拗ねる自分勝手な生き物。そう思っていた。俺の小さいころも姉代わりの幼なじみがいなければ、親を遊び相手にしていたはず。だが、アカメはそれをしない。
腹が鳴るほど空腹のときに食事を目の前にしても何も言わず、俺が食事から目を離しても勝手に食べない。今だってそうだ。痛い思いをしてもうめき声一つで、俺を罵倒するどころか感謝の言葉を口にした。あまりにも外見と中身が違い過ぎる。
女は男よりも成長が早いとよく聞くが、それにしても異常。一度アカメを異常と思えば、警戒が恐怖に変わりだす。
アカメは本当にただの子どもなのだろうか?虐待を受けたようにも見えない。何を企んでいる?早いうちに警察に突き出すべきか?
そんな考えをしていると、アカメがおもむろに立ち上がった。
「そと、いこ?」
「・・・・・・え?」
アカメは俺の返答を待たずに、俺のシャツの裾を掴んで無理矢理に立たせた。
「外って・・・・・・、まだデコ冷やしとかねぇと」
「もう、なおった。はやく、いこ?」
アカメはビニール袋を台所に置き、玄関へと俺を引っ張る。その額はもう一切の赤みが無く、本当に治っているように見える。
「外って…… 。どこに行くんだよ?言っとくけど、遊びなら── 」
「── ねてる、とき、くるし、そう」
「は?誰が?」
「・・・・・・・・・ようすけ。ねてる、とき、こえ、うぅ・・・・・・、うぅ・・・・・・、って。ふく、かいにいこ?」
袖を引くアカメの手を振りほどくことは簡単だったが、何故かそれをしたくないという気持ちになる。リスクを考えれば家にいるのが最適。外に出て大家さんに見つかれば何と説明したものか。
これがアカメの我がままなら、お構いなく断った。しかし、アカメは自分のためではなく、俺の服を買いに行くために外に出たいと言っているのだ。断りづらいことこの上ない。
「・・・・・・車なんか持ってないから電車、乗ることになるぞ」
「でんしゃ、わかった」
アカメの腕に引っ張られながら玄関へと向かう。その際にアカメは布団を堂々と踏んだ。
そんな遠慮のない態度に少しだけ子供らしいと感じる。
アカメは布団など気にすることなく玄関の扉を開けて、外に出た。そこで俺はある事に気が付いた。
「お前、靴はどうした?」
「もってない、よ?だいじょうぶ。あるける、から」
どうして気付かなかったのか。玄関には俺が使う仕事用の革靴とクロックスの二足のみ。
アカメの靴はどこにもない。子供の素足で道を歩けば、怪我をすることは目に見えている。
そんなことは、まともな大人としてさせられない。
「これでもいいから履いとけ。クロックス。でかすぎると思うが、裸足よりはマシだろ」
俺は革靴を履けばいい。元々スーツなんだ。俺がクロックスを履く方がおかしく見える。
「ありがとう。ようすけは、やさしい、ね?」
「普通だ、普通。歩きにくかったら言えよ」
アカメは目の前に置かれたクロックスに足を入れると、その場で数回足踏みをした。
「うん、だいじょうぶ。いこ、っか?」
「あぁ、そうだな」
アカメは先に階段を降りようと足を下ろすが、ぶかぶかのクロックスではバランスがとりづらいようでふらふらしている。俺はその様子を見かね、アカメの右手を握った。
背後から手を握ったからか、アカメは少し驚いたように目を見開いていた。
「危なっかしいんだよ。階段を降りるまでな。駅ではエレベーターを使うから」
「う、うん。わかった・・・・・・」
階段を降りると、俺はアカメの手を離して横に並んで歩き出す。まだ梅雨入りすらしていない季節でも、太陽を浴びると額に汗が滲む。それはアカメも同じようで、腕で汗を拭っている。
「あつい、ね」
「・・・・・・あぁ。さっさと行こう」
会話はそれ以上続かず、その会話を最後に駅までの十分ほど無言で過ごした。
お読みいただきありがとうございます。誤字脱字報告、感想よろしくお願いします。




