二話 少女の名はアカメ
「今日は定時で帰るから、最後の奴に鍵と電気忘れるなって言っといてくれ」
「はぁ!?マジですか!?俺、係長が定時で帰るの初めて見ますよ!?酒とか遊びって訳じゃないと思うし・・・・・・。彼女でもできました!?」
「うるせぇ。あんま喋ってると評価下げるぞ?」
「はは、それ他の人に言ったらパワハラですよ。あ、でも、結婚式には呼んでくださいね」
だから違うって言ってんだろ。
そう言う前に佐藤はそそくさと自分のデスクに戻り、俺が送った資料に目を通し始めた。
「腹減ったな・・・・・・」
オフィスの中で少しだけ離れた位置に固定されたデスクで、誰にも聞こえないような小さい声で呟いた。早く帰るのは、ただ腹が減っているから。軽く二人前くらいなら食べられそうなくらい。
定時を告げるチャイムがオフィスに鳴り響く。
「佐藤、じゃあ後は頼んだぞ」
「了解です。デート、うまくいくといいですね!」
へらへらと笑う佐藤の言葉に反論することもせず、タイムカードを切って速足でオフィスを出る。オフィスから出る際に周囲の視線とざわつく声が聞こえた。
ビルから出ると、強い日差しに目を細めた。
「まだ日が落ちてないのか・・・・・・。こんな時間に帰るのなんかいつぶりだ?」
日差しから逃げるようにして地下鉄に駆け込み、ちょうどホームに来た電車に乗り込んだ。電車には制服を着た高校生やサラリーマンが大勢乗っていて、座れるほどの余裕はなかった。
電車の中で一時間ほど立っていると、終点の最寄りの駅ホームに電車が着いた。途中で席は空いたものの、途中から座る気にはなれずにずっと立ちっぱなしだったため、わずかに痺れる足で電車を降りて、コンビニへと速足で向かう。
コンビニの中は寒いと感じるほど冷房が効いていた。
普段は菓子パンとおにぎり、コーヒーしか買わないために店内をゆっくり見て回るのは新鮮な気分になる。ひげ剃りやトイレットペーパーなどの日用品、雑誌やマンガまで。
年甲斐もなく興奮して様々な物を手に取るが、腹の虫が鳴いて目的を思い出した。
手にしていたひげ剃りを元の棚に戻して、惣菜のコーナーに足を進める。
惣菜のコーナーには食欲をそそる写真がパッケージに印刷された惣菜が多く陳列されていて、その数は優に五十を超えているのではないだろうか。
「肉団子に照り焼きチキン、餃子、クラムチャウダーなんてのもあるのか」
目新しい惣菜に心惹かれながらも、ガツンとした味を中心に買い物かごへ数点の惣菜を放り込んだ。
惣菜が入った買い物かごを持って、会計をしようとレジに向かう途中でデザートのコーナーが目についた。成人してから、いや、中学辺りから甘いものを口にすることはなくなっていたが、昼間に思い出した光景が頭から離れず、自然とプリンを二つもカゴに入れていた。
「いらっしゃいませ。温めはどうなさいますか?」
コンビニでは買った商品の温めもしてくれるのか、と少し感心した。しかし、家には冷蔵庫と電子レンジだけはあるので断ることに。
「いや、大丈夫です」
返答を聞いた店員は手際よく商品をビニール袋に詰めていき、会計は意外と早く済んだ。
「ありがとうございましたー」
結構な量を買ったにもかかわらず、合計で二千円にも達しなかった。その安さにおにぎりと菓子パンだけの生活に惣菜を追加するのも悪くないと思うほどだ。
夕暮れ、六時を過ぎた頃には太陽も沈みかけており、周囲は薄暗くなっている。買った惣菜の入っているビニール袋は結構な重量だったが、その重さとは対照的に足取りは軽い。
コンビニから十分ほど歩くと、築三十年を超えるボロアパートが見えてきた。キィキィと悲鳴を上げる階段を上り、家のドアノブに手を置いた。
僅かな緊張が走る。
この緊張の正体は分かっていた。十中八九あの少女が原因だ。一昨日の晩に突然現れ、おでんを奪った少女。もしもまだいれば・・・・・・、そう思ったところで思考を止めた。
「ここは俺の家だ。あいつが勝手にいるだけ。気にする必要なんかない・・・・・・!」
そう自分に言い聞かせて、勢いをつけて扉を開ける。
家の扉を開けると、相も変らぬ薄闇が広がっていた。いつもと同じ光景。だが、いつもとは違う、奥に誰かいるかも知れないという緊張感。
頬に汗を流しつつ、ゆっくりと壁にあるボタンを押して蛍光灯をつける。LEDでもない蛍光灯の弱い光が廊下全体をやんわりと照らす。少女の姿は見えない。
玄関に敷いている布団の隅にカバンを置き、リビングに繋がる扉をゆっくり押す。扉が僅かに開いた瞬間、中に人がいる気配を感じた。二日連続で感じる気配。間違いなく少女の物だろう。疑いようのない確信を持つことが出来た。
扉をゆっくりと開け、すぐ左にある台所へと視線を送る。だが、そこには少女の姿はない。
「・・・・・・気のせいだったか?」
台所で少女が寝ていると想定していたが、そこに少女の姿はなかった。そのことに安堵を覚え、リビングの電気のボタンを押した。リビングに明かりが広がり、買ってきた物を机の上に置こうと足を進めると、その姿が目に入ってきた。
狭いリビングの中央にある机の上に置かれたノートパソコン。その前に座り、こちらを見つめている長い髪をした少女の姿が。
「・・・・・・!」
警戒を解いた直後だったためにその衝撃は大きく、ビニール袋を握る手に強い力が入る。
落ち着け・・・・・・!焦るな・・・・・・!ここでビビってると思われたら終わりだ…… !普通に、平常に、お前に興味なんかない。そう思わせるんだ。声のトーンは落として。
「・・・・・・いたのか。そこは俺の席だ。どけ」
できたか?大丈夫だ。ビビったのはバレてないはず。無表情だから分かりにくいんだよ!
少女は俺の葛藤など知る由もなく、その視線は俺の持つビニール袋に注がれていた。
「もう一回言うぞ。そこをどけ。そこは俺の席だ」
俺の席とは言ったものの少女が座っているのはカーペットの上であり、このリビングにはイスなど一つもない。
少女はそれからもしばらくビニール袋を見つめたのちに立ち上がり、パソコンの裏、つまり座っていた席の対面に移動して座った。
「・・・・・・・・・・・・」
呆れて声も出ない。こんなやつを相手にするだけ無駄。そう思い、俺は買ってきた惣菜を適当に電子レンジに放り込んだ。
この家に引っ越すときにアパートの大家に勧められた無駄に高い冷蔵庫と電子レンジ。
購入の時に無駄だと思っていた加熱時間の違う惣菜を入れても仕上がってくれる機能が初めて活きた。
惣菜の加熱が終わるまでの間に買ってきたプリンを冷蔵庫に入れようとしたところで、ビニール袋の中に割りばしとスプーンが二ずつ入っていることに気付いて手を止めた。
「一人で食べる量じゃ、ねぇよな・・・・・・」
冷静に考えれば明らかに買い過ぎたと後悔した。久しぶりに感じた空腹とコンビニの品揃えに興奮しすぎてしまったのが原因か。
不幸中の幸いだったのは買ったのが生ものではなく、数日程度なら保存のきく惣菜だったことだが、それもたった今電子レンジに入れてしまった。詳しくはないが、一度加熱したものを冷蔵庫に入れて保存するのはあまり良くない気がする。
買ったものは仕方ない、と二つのプリンを冷蔵庫に入れて洗面所へと向かう。
手を洗い、うがいをして用を足す。家用の服や寝間着の類は持っていないので、服装はスーツのままで。そうこうしているうちに電子レンジがピーピーと音を上げて、加熱が終わったことを知らせた。
電子レンジの蓋を開け、中の惣菜を取り出そうと手を伸ばした。
「あっつ!」
惣菜の容器に触れた瞬間、容器から想像以上の熱が伝わり、掴むことすらできずに手を引いた。しかし、せっかくなら温かい状態で食べたい。惣菜が冷めないようにと、急いでバスタオルで手を覆って惣菜を取り出す。
取り出した惣菜をパソコンの横に運ぶと、少女がこちらを見ていることに気が付いた。
「勝手に食うなよ」
そう言って俺は買ってきた惣菜を次々と机の上に置いて行く。結果的に少女の前に並べることになったのは、少しだけ罪悪感を覚えた。
最後にピザを運び終えると、手を覆っていたバスタオルを適当に投げ捨ててビニール袋に入っていた割りばしを割った。
どれから食べようか、そう悩んでいると正面からぐうぅぅという大きな音が聞こえてきた。だが、そんなものを気にする必要はないのでからあげに箸を伸ばす。
── ぐうぅぅぅぅ・・・・・・・・・・・・
先ほどよりも大きな音。それすらも無視してからあげを口に入れようとするが、正面から突き刺さる視線に俺はとうとう耐え切れなくなった。
「・・・・・・冷蔵庫の前の袋、割りばし入ってるから取ってこい」
俺の言葉を聞いた少女は急いで立ち上がり、おぼつかない足取りで割りばしを手にして戻ってきた。
「・・・・・・今日だけ、今日だけだ。好きなもんから食ってけ」
少女は目を輝かせてからあげへと箸を伸ばす。しかし、その箸は途中で止まり、少女は床に転がっていたからあげの蓋を机に置いて、その上に割りばしを置いた。
何事かと俺が少女の方を見ると、少女は胸の前で両手を合わせた。その仕草に、当分していなかった作法、というものを思い出した。
少女を真似て俺はカレーの蓋を開け、その蓋に割りばしを置いて両手を合わせる。
「いただき、ます」
初めて聞いた少女のか細い声に若干驚きつつ、
「いただきます・・・・・・」
二人同時にからあげを口にした。久方ぶりの鶏肉。難しい言葉は思い浮かばなかったが、ただうまいと思った。
それは少女も同じだったようで、口角が上がっているように見えた。
「おいしい、ね?」
少女から声をかけられ、肩が跳ねた。そして、少女の穏やかな表情を見ると、今度は胸に微かな痛みを感じた。
「あ、あぁ・・・・・・。うまいな」
舐められないように、調子に乗られないようにとついさっきまで必死に平静を装っていたにもかかわらず、口から零れ落ちた本音。だが、その本音に俺はなぜか安心感を覚えた。
「アカメ」
「ん?」
「それが、わたし」
「・・・・・・名前か。・・・・・・俺は穂川遥祐。って、これ食ったら出て行けよ?」
また胸の奥が痛んだ。さっきの痛みとは別の、だが何が違うかは分からない。
少女、アカメはそんな俺を気にすることなく惣菜を食べ進め、気付いた時には買い過ぎたと後悔した惣菜はきれいさっぱり二人で食べ終えていた。
食後のプリンを取りに行こうと立ち上がったところで、プリンを二つ買っていたことを思い出した。
食べる前に今日だけ、って言ったしな。子供の前で大人がプリン食ってるのもな…… 。
「・・・・・・プリン、食うか?」
「いい、の?」
「買い過ぎたからな。持ってくる」
自分に言い訳をして、やっと出た言葉にアカメは再び目を輝かせて朗らかな笑顔を見せた。その笑顔に俺は三度目の胸の痛みを感じたが、今度の痛みはど不快にならない物だった。
冷蔵庫から二つのプリンとスプーンを取り出し、プリンの上にスプーンを乗せてアカメの前に置いた。
そのプリンを手にしたアカメはこちらの目を見つめて口を開いた。
「あり、がとう」
「・・・・・・あぁ」
そして、二人で黙々とプリンを食べ終え、空になった容器をビニール袋に詰め始めたところでアカメはもう一度手を胸の前で合わせた。
「ごちそう、さま、でした」
「・・・・・・ごちそうさま」
片づけを始めて既に立っていたので、俺は立った姿勢で片手にゴミ袋を持って済ませた。
アカメはお腹がいっぱいになったからか、眠そうに瞼の開け閉めを始めた。それでも、よろよろと立ち上がってゴミを俺の元まで運んでくるところを見ると律儀な奴だと感じる。
「・・・・・・風呂、入ってくるからその間に帰っとけよ」
何故、この時にアカメを直接追い出さなかったのは分からない。満腹から来る幸福感にでも惑わされたか。
俺はシャワーを浴びた後にリビングでアカメの姿を確認する事無く、そのまま布団に潜り込んだ。今更夢であれ、と言う気はない。だが、もしも──
そこで俺は深い眠りについた。
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