一話 男の名は穂川遥祐
ご覧いただきありがとうございます。
くたびれたサラリーマンが送るひと夏の不思議で大事な出来事。
よければ最後までお読みください。
「係長、お先失礼します」
「・・・・・・おう、お疲れ」
入社二年目で担当する仕事が多くなり始めた二十半ばの社員がタイムカードを切ってオフィスを出て行く。その際にオフィスの電気が切られ、オフィスの光はただ一つ、俺のモニターが放つ弱弱しい光だけの薄暗い空間となった。
モニターの右下にある時刻を確認すれば二十一時二十五分を示している。
「・・・・・・あと三時間か」
山積みになっている資料が空調で飛ばされないようにと重石代わりに使っていたエナジードリンクを口にしたが、中身はとっくに枯れていた。
べつに眠気があるわけでもやる気が無いわけでもない。ただ何となく同僚や上司が飲んでいるからと買い始めただけだ。
ビルの一階には二十四時間稼働している自動販売機があるがそんなものを買いに行くくらいなら、と止まっていた手で再びキーボードを叩き始める。
暗くなったオフィスではパソコンのファンが回る音とキーボードの音だけが耳に入る。
うちの会社がブラックと言う訳ではない。むしろ、ホワイトに近いと言える。
定時は十七時半。残業は遅くとも二十二時までには終えるようにと社則で決まっている。
毎日短針が二回目の十二を指すまで残業しているのは俺一人だけだ。
入社してから一年。ある程度の仕事をこなせるようになった時から、俺は零時までの残業をするようになった。始めは上司や同僚は心配するだけだったが、それが二週間ほど続いたころに上司から呼び出された。
内容は案の定、残業に関することだった。それが上司や同僚から頼まれた仕事、当日中に終わらなかった仕事だったなら許されたのかもしれない。だが、俺がやっていた、今もこうしてやっているのは誰からも頼まれていないデータ整理やチェックなどの言わば雑務。
そんな無駄な仕事をしていた俺は給料泥棒だと思われたのか、残業禁止を言い渡された。
そこから俺はタイムカードを定時に切り、オフィスを出ることなく再び自分のデスクに座るというサービス残業とも言えない、幽霊残業を始めた。
その態度に呆れられたのか、上司から幽霊残業に対する小言はなかった。
そうして、入社から十年過ぎた今も俺は給与の発生しない零時までの残業を続けている。
「ここまでにしとくか」
固まった背を伸ばすついでに再び時刻を見れば、二十三時五十分を示している。
マウスカーソルを動かし、シャットダウンをする。モニターから光が消え、オフィスは一時的に完全な暗闇となるが、窓の外から入る光で移動する分には困らないほどの明るさは保てていた。
チェアにかけていたジャケットに腕を通し、電源の落ちている正面自動ドアではなく、反対にある非常扉を開けて三階分の階段を降りて行く。
一階の非常扉を抜け、ビルの正面自動ドアに近づく。ここは夜中の一時に建物全体が消灯で、いつも俺が出るまでは動いてくれている。
ビルを出るとむわっとした肌に残る空気が頬を包んだ。春も終わりかけの五月中旬だが、ニュースで騒がれている地球温暖化のせいか、既に蒸し暑さを感じる。
ビルから地下鉄に繋がる階段を降り、駅構内にある終電で閉店するコンビニで度数九パーセントのアルコールを三本購入して零時六分の電車の最後尾車両に乗車した。
前の車両にはちらほらと他の客も見えたが、最後尾には頭から足までを座席に上げて大きないびきをかいている男しかいない。
顔は新聞紙で隠しているので見えないが、縮れた頭髪やごわついた手を見る限りでは五、六十と言ったところだろう。
起こさないようにとゆっくり缶のタブを上げる。気持ちのいいプシュッ、という音と共にレモンのさわやかな匂いが鼻をくすぐる。
つまみを買うことも無く、三本をひたすらに飲む。そうすることで、最寄りの駅に着くころには十分に泥酔できた。
「何も、考えたく・・・・・・」
ふらつく視界の中、電車を降りてアパートへと向かう。
頭痛と吐き気が思考を遮り、苦しむことで何も考えなくて済む。
築三十年を超えるアパートの頼りない階段を上り、一番奥の角部屋。穂川と書かれた表札の付いている部屋の扉に手をかける。
鍵のかかっていない扉は少し押すだけですぐに開き、心もとない平衡感覚を頼りにして靴を脱ぐ。その際、体のバランスが崩れて前のめりに倒れ込む。
「っぶ・・・・・・」
顔から倒れこんだ。だが、痛みはない。
倒れ込むことまで日常茶飯事。そのために、玄関には布団が敷いている。ジャケットを脱ぐことも、水を飲んでアルコールを薄めることも、トイレに駆け込みもせずに毛布のない布団に体を沈めて瞼を閉じる。
先の衝撃で頭痛と吐き気は激しさを増すが、仕事外ではこの痛みだけが唯一無駄な思考を止めてくれる存在。
頭痛と吐き気と共に眠気が訪れ、体は眠ることを優先する。
アパートに着いてから数時間、もしかすれば数十分かもしれない。激しい吐き気に襲われ、トイレへと駆け込んだ。
「おぇ!おぇ!・・・・・・ げぇ!」
嗚咽を数回置いてからの嘔吐。形を失った昼食と胃液が口から漏れ、焼けるような痛みが喉を襲う。
「・・・・・・ 水」
吐いたことでアルコールが抜けたのか、思いのほかはっきりとした視界で台所へと向かう。三枚の皿と三つのコップだけが入っている食器棚を開き、透明なコップを手に取る。
蛇口を回すと少しぬるめの水が続いた後にひやりとした水が流れ始める。
コップに入った水を一口飲めば体が次々と欲し、合計で三杯の水を胃の中へ流し込んだ。
「何時だ・・・・・・?」
日光はまだ差していない。四時頃だろうか。
カバンに入れているスマホで時刻を確認しようと、玄関へと体を向ける。
その時、背後に何かの気配を感じた。
家はいつも鍵をかけていないために誰でも出入り自由な状態。だが、こんなボロアパートに泥棒がわざわざ侵入するとは考えにくい。
どこかの犯罪者。恨みを持つような覚えは少ないが、それならそれでいい。
アルコールはとうに働いておらず、冷静な頭がこの状況を判断した。誰かがいて困るわけでも恐怖を感じる必要も無い。
躊躇いも覚悟も持たず、何も考えることなくゆっくりと振り返った。
「誰だ」
日の光があまり入らない部屋。それに台所の隅ともなればその姿をはっきりと見ることはできない。だが、うっすらと見える体格は子供のそれだった。
近所の子供でも忍び込んだのだろうか。
「・・・・・・早く帰れよ」
一瞬だけ怒鳴ることも考えたが、怒鳴るほどの感情も気力も湧いてこなかった。ただ一つだけ思うところがあるとすれば、嘔吐を聞かれたことくらいだ。
子供と分かれば興味は消え、汗ばんだジャケットとシャツの方が不快に思えた。
トイレと同接されているシャワーで体を流し、起きた後にすぐ家を出られるようにと寝間着代わりにシャツとズボンを身にまとう。
玄関に敷いている布団の端に置いていたカバンからスマホを取り出せば、時刻は四時四十分となっている。画面下から上へとスワイプして慣れた手つきでタイマーを二時間後に設定する。
シャツのまま布団に横たわり、タイマーを設定したスマホを顔の横に置いてもう一度瞼を閉じる。
「起こすなよ・・・・・・」
台所にいる子供に聞こえるか聞こえないかの声で呟き、意識を失うようにして再び眠りについた。
ピリリリンピリリリンピリリリン
甲高い電子音が耳をつんざき、軽い頭痛と共に目を覚ました。子供の頃から寝相は良かった。そのおかげでシャツを着たまま眠っても、皺が少ないのはありがたい。
スマホの時刻は午前六時四十三分。
昨日の晩から何も食べていないうえに胃液ごとアルコールをトイレに流したせいか、腹が空腹の音を上げていた。実家を出てから五年。ろくに自炊をしたことがないので、家には安酒以外何もない。
布団の傍らに転がっているカバンを手に取り、カバンの下敷きになっていたジャケットに腕を通す。そして、靴箱の上にある粘着ローラーでシャツに付いている埃をからめとる。
ある程度転がすと、元の置き場に置いて靴箱から新しい靴下を取り出す。洗濯は週に一度、土曜の昼にコインランドリーに行くだけ。
木曜の靴箱の中には匂いを放つ靴下とシャツが一緒くたに押し込まれていた。
「そういえば、昨日のシャツ、風呂に・・・・・・」
汗を吸いこんだシャツを不快に感じ、風呂場に脱ぎ捨てたシャツを思い出した。だが、だからと言って拾いに行く気も起きない。
風呂場に昨日のシャツを放置したまま、革靴に履き替えて家を出る。家の鍵は開けたまま。
入居時からかけていないため、どこにあるのかも分からない。
足を置くたびに軋み音を上げる階段を降り、駅に向かう途中のコンビニでコーヒーと菓子パンを買ってコンビニの前で手早く胃に詰め込む。
「あの子供・・・・・・ 」
空腹を満たしたことで考える余裕が出来たからか、今朝台所にいた子供の事を思い出した。顔も声も、性別も分からない。いつの間にか忍び込んでいた小さな子供。
冷静になって考えればおかしな出来事だったが、酒が見せた悪い夢かもしれない。そう思うことで、深くは考えなくて済んだ。
いつものようにオフィスの電気が落とされ、一人きりになった。時刻を確認すると、二十二時になっていた。そこで珍しく最後まで残業していた社員がいたのだと気が付いた。
どうせなら手伝えばよかったな。
それは善意や責任感から来た考えではなく、無駄な仕事をするよりかは集中できるからという理由だ。
「木曜、か・・・・・・」
昼間に会社の近くにあるコンビニで買ったおにぎりを頬張る。玄関に布団を敷いているような人間に休日の予定などあるはずもない。しかし、何か適当な予定を立てなければ嫌な事を思い出してしまうかもしれない。
スポーツやゲームなどの趣味があれば休日が待ち遠しいのだろうが、趣味のない人間にとっては二日という長い休みは持て余してしまう。
「子供がいたら忙しいんだろうな・・・・・・」
柄にもないことを言った。
口に出してからそう思った。原因は昨晩に感じた子供の気配。夢だと思い込み、酒が見せたものだと決めつけていた存在。
だが、もしもあれが本当に子供だったなら。四時ごろに他人の家の台所に縮こまっていた。
何か事情があるのかもしれない。家にはろくな食べ物もない。まだ帰っていないなら──
「・・・・・・悪い癖だ」
パンッ!
進み始めた思考を、頬を叩くことで無理矢理に止めて両手でキーボードを叩き始める。
「二、五、零、零、零、二、八、六」
書類の通番を口に出し、思考を塗り替えて行く。そうすると、十分ほどで子供の事を忘れることが出来た。
体内時計とは案外正確で、眠気と肩の痛みに気付いたころには二十三時五十分だった。
昨日よりかは少しだけ早いがアルコールのせいであんな幻覚を見た。今日は大人しく家に帰って寝るべきだ。
アルコールで痛い目を見た回数は数えきれない。衝突や転倒ならまだしも、終点に辿り着くこともあればいつの間にか財布が消えていることも多々あった。
そういうことがあった翌日は自分の間抜けさに嫌気がさしてアルコールは控えるようにしていた。
普段ならアルコールを買う駅構内のコンビニで季節外れのおでんを買って、最寄り駅の階段の前で止まる車両に乗り込んだ。
車内はスーツを着たサラリーマンが数人と酔いが回っている様子の大学生がいた。
「学生、か・・・・・・」
背中を曲げて膝まで頭を下げている若い男。その背中を優しくさすり、いつでもその男が戻していいようにとビニール袋を手に構えている同年代に見える女。
正面からその光景を見ていると、自分の学生時代と重ねて天井を見上げる。
しかし、思い出せるものは一つしかない。いや、正確にはその一つが俺の全てだ。小学生の頃の記憶が。
全校生徒が百にも満たない田舎で三つ上の姉のような存在だった幼なじみの少女と遊んだ記憶。畑に張った水の中を泳ぐオタマジャクシを捕まえ、花を摘まんでその蜜を二人して啜った。少女は様々なことを教えてくれた。遊びも勉強も、特に山の事は何でも知っていた。
── はるか、秋になるとね、この山は真っ赤になるんだよ!もうちょっとしたらその時また見に来ようね!
初夏。蝉を捕まえに行った山で白いワンピースを着た少女が教えてくれた。その時俺は、はっきりと少女の名前を口にして頷いた。今では口にすることも出来なくなった名前を。
手すりが錆びついてており、一段踏みつけるごとに悲鳴を上げる階段を上る。人一人が限界の狭い通路を歩いて、一番奥にある扉に手をかける。鍵のかかっていない扉は少し力を入れるだけで開き、中からはむわっとした空気が漏れだした。
昨日の晩は汗を掻いていたのだろう。
自分の匂いもここまで来れば不快と感じ、靴箱の上に置いている消臭スプレーを手に取って三回ほど吹く。
すると、嫌な臭いはたちまち消え去り、清涼感のある匂いが玄関を満たしていく。
「電気・・・・・・」
外から入る街灯の弱い光を頼りに壁のボタンを押す。チカチカっと二回ほど点滅した後に、玄関から奥の扉までを照らす蛍光灯が点いた。
靴を脱ぎ、布団を踏まないようにして廊下の端をすり歩く。右手にある扉は今朝閉め忘れたのか、トイレとシャワーが丸見えの状態で開いていた。
湯船のない浴室は風呂を沸かす必要もないのでそっと扉を閉め、廊下の奥にある扉に触れる。廊下の蛍光灯一本では奥の部屋まで光が届かず、薄闇が広がっている。
その薄闇は壁にあるボタンが押された数秒後に消え去り、小さなテーブルにノートパソコンが置いているだけの空間が現れた。あまり物を買わないためにリビングは玄関よりも散らかっていない。
ノートパソコンの横に、袋に入ったおでんを置いて足元にジャケットを脱ぎ捨てる。先に汗を流すことも考えたが、この時期におでんを食べればさらに汗を掻くだろう。
それならばと思い、コップを取りに台所へと足を進めたところでその存在に気付いた。
「・・・・・・まだ帰ってなかったのか」
酔いはない。視界も良好。頭だって十分に動いている。
それら全てが目の前にいる子供、少女の存在を確定させた。
床に横たわって寝息を立てている少女。髪は真っ黒で脇腹の辺りまで伸びている。服は白いワンピースだけで、そのワンピースも袖や裾が薄汚れていた。
五月中旬で長袖もちらほら出てきているこの時期に好んでするような恰好ではない。
「虐待、家出か?」
この周辺は家賃が安い代わりに治安が良いとは言えない。週に数回は怒鳴り声がどこからか聞こえるし、道端で頭から血を流してる中年も数回だけだが遭遇したことがある。
そんな地域では子供を虐待する親がいてもおかしくはない。
「おい、起きろ。おい」
いくら声をかけても少女は起きない。肘と膝を曲げて肩をわずかに上下させている。
「はぁ・・・・・・」
ため息が出た。
俺のことなど気付く様子もない寝顔を見ていると子供相手に声を上げるのが馬鹿らしくなった。少女から視線を外して食器棚からコップを取り出して水道の蛇口をひねる。
コップから溢れ出るまで水を入れて口に運ぶ。その際に台所の隅で眠る少女にもう一度目をやった。
顔や腕、ワンピースから伸びる白い足には目に見える傷はない。特段痩せているわけでもない。見えないところに傷がついているのだろうか。
周囲の目を気にしながら虐待をする親は服の下、胸や腹などを傷つける事が多いと聞いたことがある。だが、当然眠る少女の服を脱がせて確認することはできない。
「まただな。どうして俺がそこまで気にする。俺には関係ない。勝手に入られただけだ。もう何も考えるな」
アルコールに逃げようにも少女が寝ているのは冷蔵庫の前。干渉しないと決めた今では近づいて声を上げられるのも面倒だ。仕方ないので八割ほどの水が入ったコップを持ち、俺はそこから離れることにした。
明日の仕事。明日の天気。スマホに入ってくるニュース。少女の存在を気にしないようにと、様々な物に意識を集中させる。
ところが、今日に限ってスマホから入ってくるニュースは学校でのいじめや虐待、自殺などの嫌でも少女を連想させるものばかり。これなら見ない方が、とスマホを机の上に置いた。
目の前にあるビニール袋から割りばしとおでんを取り出し、おでんの蓋を開ける。おでんの出汁の匂いが蒸気と共に広がり、食欲をそそる。割りばしを手に持ち、早速おでんを口にしようとした瞬間、真後ろでギシっという床がきしむ音がした。
「っ!?」
それは何の脈絡もなく突然、真後ろに現れた少女の足音だった。驚きのあまり、振り向く際に机に置いていたコップに腕を当たってしまった。
コップに入っていた水が床に広がるが、そんなものを気にしている場合ではない。
先ほどまで確かに眠っていた白いワンピースの少女。その少女が無表情で真後ろに立ち、おでんを見つめているのだ。足音がするまで少女が起きたことにすら気付かなかった。
「お、起きたのか。なら、さっさと出ていけ」
冷静を取り繕おうとするが声は若干上ずっているし、額には冷や汗がにじみ出ている。叫び声を上げなかっただけでも良くやった方だと自分で自分を褒めたいくらいだ。
だが、そんな俺を気にする様子もなく、少女は机の上にあるおでんだけを見つめている。
昨日の晩、朝四時から何も食べていないなら相当腹は減っているはず。しかし、ここで必要以上に関係を持てばいらないトラブルに巻き込まれる。俺は少女を追い出すことだけ考えればいい。
「早く出ていけ。ここは俺の家だ。しつこいようなら警察呼ぶぞ?」
少女を睨みつける。見れば見るほどに少女の姿は異様で、長い黒髪と白いワンピースから見える白い肌。よく怪談などに出てくる幽霊のような姿が、不思議な雰囲気を纏っている。
俺が少女を睨み、少女がおでんを見つめている時間が数分続いた。そんな時に間の抜けた音が部屋に響いた。
グウゥゥ・・・・・・。
それは少女のお腹から鳴った音だった。
「・・・…・・・・・・」
俺と少女の間に無言の空間が流れ、しばらくして少女は少しだけ顔を赤らめた。
その姿を見ていると必要以上に警戒していたこちらの方が恥ずかしく思えた。
「・・・・・・食ったら出て行けよ」
机の上に置いていたおでんを少しだけ少女の方へとずらし、少女の前にコンビニの割りばしを置いてその場から立ち上がる。
酒もおでんも口にしていないためお腹は減っていた。だが、今から行動を起こすのも面倒だったので、さっさと寝ることに。
玄関に敷いている布団へと向かうため、少女の横を通り過ぎようとしたときにシャツの袖を掴まれた。
「悪いがそれ以外はなんもないぞ。こっちだって腹減って── 」
掴まれた袖を振り払おうと振り返ると、俺のシャツの裾を掴んでいるにもかかわらず少女の視線はおでんに向いていた。
おでんを貰うのは悪いとでも思っているのか、それとも二人で食べたいと言うのか。だが、そんな態度に何を今さら、と苛立ちを感じる。
「・・・・・・ 一人で食ってろ」
大人げない。口に出した後に自分の言葉にそう思った。
相手は子供だ。誰かと一緒にいたいと思うのは当たり前。優しくする必要はないが、何もそこまで強く言う必要もなかったはず。だが、そう思うだけで俺は布団へと進んだ足を止めることはしなかった。
「・・・・・・」
少女のどこか悲し気な吐息が聞こえたような気がしたが、玄関とリビングをしきる扉を閉めて俺は布団の中へと体を沈めた。
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