7話 緊張だらけの舞踏会
だだっ広い大広間、白すぎる大理石の床、とんでもなく高い天井。
「王宮って凄いのね……」
「あまり、きょろきょろするな」
セヴァンにぴしゃりと言われて、私は彼に向かってべーっと舌を出した。
今日の私たちは、なんと王宮の夜会に来ていた。
セヴァンは、これでも王国で有数の貴族シルヴァ侯爵なのである。契約結婚とはいえ、夫人である私にも同行の責務が発生するわけで。
(そう言えば、小説でもヒロインと二人で夜会に行く話があったっけ)
平民のヒロインであるレオノーラは、振る舞いが分からず馬鹿にされるけれど、そのあまりの美しさに皆が見惚れてしまうのだ。
確かに、先日出会ったレオノーラは妖精かと思うほど美しかった。あれは、男なら誰でも好きになってしまうに違いない。
まあ、しかし、私――リリア・イーキンズも負けてはいない。
レオノーラのような清廉な美しさはないものの、妖艶な魅力は誰よりもあると自負している。
今日のドレスは深い赤のベルベットで、袖口に金の刺繍が施されている。髪は高く結い上げて、耳元には小ぶりなルビーのピアス。
鏡の前で見た時、我ながら悪役令嬢の名に恥じない出来栄えだと思った。
「あれが、侯爵様の奥様?」
「すっごく綺麗だわ」
「絵になるわねぇ」
人々のそんな言葉を背に、堂々とセヴァンと並んで歩くのは、悪い気はしない。
さすが、美貌の黒幕。悪魔の女王である。
「褒められてるぞ」
「セヴァンもでしょ」
隣を歩くセヴァンは、今日も人間離れした美しさだった。漆黒のジャケットに白いシャツ、首元の首輪を見せないように巻いたチョーカーすら、色っぽく見える。
この会場の中で、セヴァンだけが違う種類の生き物みたいに見えた。
主催者に軽く挨拶したあと、私たちはふらふらと会場を彷徨いながらワインを飲んでいた。
「セヴァンはあまり飲まないようにね」
「……この前は飲み過ぎただけだ」
先日のお父様との飲み比べ対決で、セヴァンが子どものように甘えてきたことを思い出す。少しからかうとセヴァンは顔を赤くして咳ばらいをした。
(もしかすると、お酒を飲ませれば私もセヴァンに勝てるのでは――)
そう思うけれど、先日のセヴァンはワインボトル10本以上開けていたし、私と飲んだら先に私の方が潰れてしまうのは確実だった。私が生き残る道のりはまだまだ長い。
そんな時、後ろから声がかかった。
「やあ、セヴァン。リリアちゃんも」
爽やかに挨拶してきたのは、なんとカイだった。
真っ白なジャケットは、まるでセヴァンと対になるかのような華やかさである。肩までの髪を緩く三つ編みにしており、それもまた彼の持つ神々しい雰囲気を引き立てているけれど。
「……げ、出た」
「酷いなぁ、リリアちゃん。俺はオバケじゃないんだけど」
いやいや、オバケより恐ろしい。つい先日のトラウマが蘇り、私は顔面蒼白になりそうになった。
「カイ、何の用だ」
「知り合いに声をかけただけだけど?」
「不要だ、散れ」
セヴァンが牽制すると、再びカイは私に擦り寄ってきた。
「酷い同僚だと思わない? ねえ、リリアちゃん」
「……」
「無視しないでよ」
むすっと可愛らしい顔をしている彼だが、心の奥底では何を考えているのか分からない。余計なことは言わないに限るのだ。
カイは、弱ったというふうに苦笑いを浮かべて首元を掻いた。
「今日は二人に紹介したい人がいてさ」
「紹介したい人?」
カイが後ろを振り向くと、そこには妖精のように輝く美少女がいた。水色のドレスを纏っており、きっとシンデレラが現実にいたらこんな感じなのだろうなと思うほどの美しさだ。
「先日は、治療させていただきましてありがとうございました。聖女のレオノーラと申します」
「こ、こちらこそ……」
「げ、出た」の第二弾である。先日会ったレオノーラは、物語とは違う動きをしていたし、なぜか私のことを敵視している様子で、おちおち気が抜けない。
「セヴァン、良かったらこの子と踊ってくれない?」
「は?」
「レオノーラは、セヴァンのファンなんだって」
カイの言葉に、セヴァンは怪訝な顔をした。理由は違っても、きっと私も同じ表情で。
(ファン……?)
小説では、平民のレオノーラはセヴァンのことは出会うまで良く知らなかったはずで、まして好意など抱くはずもない。明らかに違う流れになってしまっている事実を改めて突きつけられて、背中に冷や汗が流れる。
しかしながら、一方のレオノーラはしおらしく顔を赤らめた。
「そうなんです。私も悪魔と戦いたいと思っているのですが、なにせ聖女の身。悪魔狩りの侯爵様を密かに尊敬しておりました」
「それは、どうも」
セヴァンは困惑した様子だが、レオノーラはキラキラと目を輝かせている。もしかすると、レオノーラが私を敵視していたのは、セヴァンに好意を持っていたからなのだろうか。
(まあ、小説では惹かれあう運命なんだから、好きになるのも当然よね)
「レオノーラもツレないよね、俺だって悪魔狩りなのに」
「それとこれとは、話が別です!」
「おい、何の話だ」
そうして、ワイワイ、がやがやと三人が楽しそうに話し始めてしまって、私はぽつんと一人になってしまった。
当然のことだと思う。だって、私はここにいていい人間じゃないから。
私は所詮悪役で、光側の人間の輪には入れないのだと嫌でも思い知らされる。
「――せっかくの機会だし、踊ってきたらどう?」
セヴァンがレオノーラに堕ちれば、私と結んだ契約結婚も破棄。
大切な人ができたら、きっと自分の命を賭けるような危ない制約魔法も解いてくれるはずだ。
(そうすれば、私は晴れて自由の身だし)
そう思った私はその場から離れようとしたのだが。
「どこへ行く」
「レオノーラと踊るんでしょ?」
「……誰がそんなことを言った」
セヴァンは、むっとした顔で私のことを食い入るように睨みつけた。
「一曲目は、リリアと踊る」
「えっ」
唐突にぐっと引き寄せられて、気づけばセヴァンの腕の中にいた。手のひらが腰に添えられ、鳴り出した音楽に合わせ、ホールの中央に向かってステップを合わせていく。
「ちょっと、レオノーラは?」
「一曲目に、大事な奥さんを置いて他の女と踊るわけないだろ」
「だ、だいじなおくさん……?」
甘い台詞に、ぎぎぎと壊れた機械人形のように見上げれば、藍色の瞳と目が合った。セヴァンは、スッと私の右耳に顔を寄せてささやいた。
「――じゃあ、大事な、俺の悪魔」
「っ!?」
身じろいで離れようとしたけれど、腰をしっかり支えられており動くことができない。耳が熱を持ったかのようにぞわぞわする。
「ドレス、似合ってる」
「そ、それはどうも……」
本当に、セヴァンは何を考えているのだろう。
彼は悪魔に両親を殺されていて、私のことも心底憎んでいるはずで。
だから、私にも塩対応でいいはずなのに、私にかけられるのは蜜のように甘い言葉で。
彼のサファイアの瞳には、悪魔を狩る時の毒気なんてまるでなくて、彼の言葉をそのまま受け取ってしまいそうになる。
(駄目、惑わされちゃ)
私に冷たい彼と甘い彼、どちらが本当の姿なのかわからなくなってくるけれど、そんなの、悪魔であり、人間でもある私だって同じことだ。
(……変化の中の真実、ね)
そんな石言葉を思い出す。
薬指のアレキサンドライトがきらり、と緑色に光ってダンスは終わった。
◇
二曲目が始まると、セヴァンはレオノーラのもとへ向かった。
当然のことだ。私がそう仕向けたのだから。
二人が踊り始めるのを見届けてから、私はワインのグラスを手に取った。
「じゃあ、二曲目は俺と踊ってもらえませんか? プリンセス」
「……」
「そんな警戒しないでよ、悲しいなぁ」
いつの間に隣に立っていたカイは、グラスに口をつけながら、さりげなく私に顔を近づけた。
「俺、結構リリアちゃんのことは好きなんだけどね」
「はい?」
「ジョーダン」
くすりと笑ったその顔は、いつもの値踏みするような顔じゃなくて、心底楽しそうな表情だった。
「じゃ、行こう」
「ちょっと!」
手を引かれてダンスホールの真ん中に躍り出ると、彼は、くるくると楽しそうに踊り始めた。私は呆れたように溜息をついたあと、彼の手を取って一緒に踊った。
先ほどのセヴァンとのダンスでは、ずっと考え事をしていたけれど、今回は頭の中を空っぽにして踊った。
前世でも体を動かすことは好きだった。モヤモヤした気持ちをリフレッシュできる気がするからだ。
カイと笑い合いながら、無心に踊るのも悪くないなと思っていた時、視界の端に、セヴァンとレオノーラが映った。
二人は絵になるほど美しく、会場の視線を集めている。
「へえ、嫉妬?」
カイが私の顔を見て、目を細める。
「別にそんなんじゃ……」
「でも、見すぎじゃない?」
私は、セヴァンに嫉妬しているわけではない。私を殺す男の動向が気になるのは、生物学上いたって当たり前のことである。
しかし、カイは信じていない様子で私を見つめている。
「嫉妬なんてするわけないわ」
リリア・イーキンズは稀代の悪女なのだ。残念ながら、私は自分が生き残ることを最優先に考えている。
だから、私は目の前の男を見て思った。
悪女らしくこのカイという男を利用するなら、今かもしれない。
「カイってセヴァンのことが嫌いなんでしょ」
「んー、まあね」
カイはステップを踏みながら飄々とした表情でそう答えた。
カイは確かに私を見殺しにしようとしたけれど、敵の敵は味方である。
だから。
「私、セヴァンと離婚したいの」
「はっ?」
「だから、私に協力して」
カイが私を悪魔だと思った理由はずっと気になっていたし、ひょっとすると、物語が原作から外れているヒントが得られるかもしれない。
それに、仲が悪いからこそセヴァンの弱みもよく知ってるだろう。彼を利用しない手はないのだ。
「あっはははは! リリアちゃん、覚悟決まってんね!」
カイはお腹を抱えて笑い崩れそうになりながら、涙を拭った。
生死がかかっているのだから、利用できるものは利用するのは当たり前である。
「じゃあ、デートしよう。2日後の正午に時計台の前で」
カイはそう言って、おかしそうに笑った。




