6話 お父様の奇襲
「来ちゃった」
「お、お父様!?」
セヴァンと契約結婚生活を送り始めて数か月経ってからのこと。
屋敷の客間に座っているイーキンズ男爵――つまり私のお父様――を見て、私は驚いて大きな声を出してしまった。
お父様は「彼氏の家にサプライズで来た彼女」みたいなテンションだけど、男爵が侯爵家を訪れるということは何かあったのではないかと不安になってしまう。
「リリア、とりあえず座れ」
「……げ、セヴァンもいたの」
「俺をついで扱いするな。主人だぞ」
お父様の向かいにはセヴァンも座っており、何やら二人きりで込み入った話をしていたようだった。
促されるまま私がセヴァンの隣に腰掛けると、お父様が見たことないくらい真剣な顔をして立ち上がった。
「侯爵様! どうかリリアを返してくださいませんか!」
「お父様ぁ!?」
思わず立ち上がりそうになった私の肩を、隣のセヴァンがそっと押さえた。落ち着けということらしい。
「だって、いきなりリリアが行方不明になったかと思ったら結婚なんて――おかしいじゃないか」
お父様の声は、震えていた。
普段は穏やかで、声を荒げることなんてほとんどない人なのに。
「それに、リリアは田舎の領地に行きたがっていたろう。将来の夢は、素朴な青年と結婚することだったな」
「…………ええ」
「それなのに、なんだ! このキラキラしたイケメンは! お父さんはね、リリアが何か脅されてるんじゃないかって……心配で……っ!」
ついにおいおいと泣きだしたお父様を見上げながら、私は引き攣った笑顔を浮かべた。
(正解です……)
なんで、こうも私の周囲の人間たちときたら、察しが良すぎるんだろう。
……もしかして、私と同じ転生者だったりしないだろうか。
「お父様、『ハクマイとオミソシル』って知ってる?」
「なんだそれは」
違った。
「とにかく、リリアを返してください。男ばかりでむさくるしい男爵家の唯一のオアシスなんです」
(お父様……)
その真剣な表情に胸の奥が、じわりと熱くなる。
お父様との出会いは、私がまだ4歳の時のことだった。
孤児院には年上の子どもたちが沢山いて、4歳なのに妙に大人びていて整った顔のリリアは毎日虐められていた。
何人もの大人が養子にしたいと名乗りを上げたけれど、たいていが、まあ、ろくでもない理由だったから、私は首を横に振り続けた。
幼くても、人間の善悪くらいは分かってしまうものだから。
そんな時に現れたのが、今のお父様だった。
その日も、私は孤児院の庭で年上の子どもたちに囲まれて暴力を受けていた。
そこにひょっこりと現れた男の人――のちにお父様となる――は、ひどい有り様だった。泥のついた作業着に、袖がほつれた上着。
ボランティアの帰りだったらしく、どこをどう見ても貴族には見えなかった。
『君たち、何をやってるんだ!』
男の人は迷うことなく子どもたちの輪に割り込んで、私の前に立った。
すると今度は子どもたちの矛先が、そちらへ向いた。石を投げる子、泥を塗りたくろうとする子、後ろから押す子。
あっという間に集団になって、男の人に飛びかかっていく。
私は、その背中をただ見つめることしかできなくて。
ただ、その人の背中が今まで見てきたどんな大人の背中とも違う気がして、目が離せなかった。
やがて職員が気づいて大慌てで駆けつけてきた。
『大変申し訳ございません、男爵様!』
職員の言葉で、子どもたちがさっと青ざめた。男爵様、という言葉の意味くらい、分かっていたのだろう。
でも、ボロボロになった彼は子どもたちを怒り飛ばすわけでもなく、なんてことないように笑って私の前に跪いた。
「怪我はないかい?」
「……はい」
ワンピースをギュッと握りしめながら、そう答える。
男の人は、さらに屈んで私と目線を合わせながら、にかりと笑ったのだ。
「君は泣かなくて偉いな。頑張っているな」
その一言で、こらえていたものが全部溢れてきそうになった。
大人なんてろくでもない人ばかりだと思っていた。いじめを見て見ぬふりする職員に、気持ち悪い笑顔で私を引き取ると名乗りを上げる大人。
でも、もしかすると違うのかもしれない。
「すみません、この子の養親は決まっていませんか」
「この子は……少し、訳ありでして」
職員が困ったように口を開いた。
「引き取ろうとされる方が時々いらっしゃるのですが、その、どうにも目的が不純な方ばかりで」
言葉を濁した職員の意味を、お父様はすぐに察したらしかった。眉をひそめて、それから私をまっすぐ見た。
「もし、君が良ければだが、うちの子になるかい?」
私は少しだけ考えて頷いた。
この人は、きっと悪い人じゃないと確信したから。
それからずっと、お父様はいつだって、私のことを最優先で考えてくれた。ちょっと過保護すぎる時もあったけれど、大抵のワガママは全部叶えてくれた。
だから。
(お父様のために、帰りたい気持ちもある)
でも、私はこのセヴァン・フォン・シルヴァに生殺与奪を握られている。
お父様がどれだけ頭を下げても、どれだけ懇願しても、セヴァンが首を縦に振らない限り、私に選択肢はない。
私が悪魔だとお父様は知らないから。
(口が裂けても言えないわ……)
きっとお父様は、ショックで気絶してしまう。
「お父様、ごめんなさい。私、本当にセヴァンのことを――」
愛してる、なんていくらでも嘘をつけそうだったのに。
なぜか言葉に詰まってしまい不自然に、続きを紡いだ。
「あ、あいしてるの」
顔に熱が集まるのがわかった。
恥ずかしくなって俯けば、座ったままセヴァンに横から抱き寄せられる。
「顔が真っ赤だぞ、リリア」
セヴァンの声が頭上から降ってきて、顔が沸騰してしまったかというほど熱くなっていくのが分かる。
「違うわ! これは不可抗力よ!」
思わず立ち上がって叫べば、お父様がぱあっと顔を輝かせた。それからすぐに、眉をキリリと吊り上げて立ち上がった。
「不可抗力の結婚など、やはり我が娘には不要!」
「えっ」
「では、侯爵様、不敬を承知で申し上げますが、私と対決してもらう!」
びしっとセヴァンを指さすお父様だけど、きっとセヴァンは相手にしないだろう。
そう思っていたのに、セヴァンの口元は面白いと言わんばかりに吊り上がっていて。
「望むところだ」
「え~っ!?」
そうして、お父様とセヴァン様の、私を賭けた謎の対決が始まってしまった。
……茶番?
◇
「えーそれでは、ご主人様と元ご主人様の飲み比べ対決です!」
侍女のエリーが大声を上げると、屋敷の使用人たちが拍手で盛り上げる。
エリーは興奮した顔でお盆の上にグラスを並べ始めていた。この状況を楽しんでないか、この人。
「では、先に潰れた方が負けです!」
エリーが高らかに宣言する。
お父様はグラスを手に取って、気合い十分にセヴァンを睨みつけた。
「侯爵様、手加減は無用ですぞ」
「最初からそのつもりだ」
二人がグラスを一息に飲み干すと、エリーがすかさず次を注いだ。
お父様は顔色ひとつ変えずにグラスを重ねていく。普段から男爵家の宴席で鍛えているらしく、まったく動じない。
セヴァンも最初はすさまじい勢いだった。姿勢も表情も乱れない。さすが侯爵様、と使用人たちがざわめき始めたころ。
ふと、セヴァンの目の焦点が揺れた気がした。
(あれ?)
「……暑くないか、ここ」
長袖のシャツを捲って、ぱたぱたと仰ぐ。
(セヴァン、だ、大丈夫……?)
耳が赤くなって、姿勢が崩れて、グラスを置く音がだんだん雑になっていく。
私がいよいよ止めに入ろうとした時だった。お父様がグラスをテーブルに置いて立ち上がった。
「降参です、侯爵様。お強い」
「……はっ、勝った」
セヴァンがぼそりと呟いた直後、ゆらりと体が傾いた。
「ちょっと、セヴァン!?」
咄嗟に支えると、そのままずるずると私の肩に頭を乗せてきた。
「……リリア」
「な、なに」
「お前の髪、いい匂いがする」
「…………」
使用人たちがざわめく気配がした。お父様が目を丸くしている。
「セヴァン、ちょっと近い」
「良いだろう別に、夫婦なんだし」
動かそうとしても、びくともしない。それどころか、さらに体重をかけてくる。
悪魔狩り侯爵がこんなにぐでんぐでんになるなんて、誰が想像しただろう。
「……離れなさいよ、もう」
「嫌だ」
「なんで!」
「……好きだから」
顔が熱くなるのをこらえながら、私はため息をついた。使用人たちの笑いを堪えている気配が、背中にびしびしと刺さってくる。
そんなに生温かい目で見ないで欲しい。
私は悪魔で、この人に命を握られているんです。
◇
しばらくして、セヴァンを使用人たちに任せて、私はお父様を玄関まで見送った。
お父様はしばらく私の顔をじっと見つめたあと、ゆっくりと目を細めた。
「リリアは、幼いころからずっと何か悩み事を抱えているだろう」
「えっ」
「父親なんだから、それくらいわかるさ」
胸の奥が、ぎゅっと痛くなる。
8歳の時、転生したことを思い出してから、ずっと悩んでいた。お父様は、それを見抜いていたというのか。
だけど、お父様はそれ以上は言及せずににっこりと笑った。
「困ったら、いつでも戻っておいで」
「お父様……」
「斧と鎌を持って侯爵邸に乗り込むことも厭わないよ」
「お父様、斧と鎌じゃ多分負けるかも!」
死にたくないのは、ずっと自分のためだったけれど。
こんなに心配してくれる家族がいるならば、絶対に死亡エンドだけは避けなければならない。
「絶対に、幸せになりなさい」
「……はいっ」




