3話 憧れの結婚式
王都で一番大きな神殿は、真っ白な石造りの神秘的な建物だ。
中に入れば、ステンドグラスが朝の光を受けて、色とりどりに輝いていた。
(この人、本当に結婚式を挙げるつもりなんだわ……)
中に通されると、奥の部屋に私の支度室があった。部屋の端から端までみっちりウエディングドレスで埋まっている。
「好きなものを選べ」
「……いいの?」
私はドレスの前をゆっくりと歩きながら、一着一着に触れていく。どれも繊細な装飾があって高級なものであると一目でわかる。
「ねえ、なんで、急に結婚式なんて挙げるの?」
私がセヴァンの方を振り返りながら問えば、彼は少しだけ目を伏せた。
「普通の幸せが夢だと言ったのは、リリアだろう」
悪魔狩りらしからぬ言葉を吐いて、彼はふうと息を吐いた。確かに、昨日の私はそんなことを口走った気がするけれど。
セヴァンの中で、結婚式を挙げることが普通の幸せなのだとしたら、意外にロマンチックな思考の持ち主なのかもしれない。
私は、再びドレス選びに戻ると、一着のドレスを手に取った。
まるでお姫様のドレスのようにふんわりと広がったデザインで、スカート部分に薄いレースが重ねられている。光の当たり方によって、ドレス全体がきらきらと輝いて見えた。
幼い頃の女の子なら誰でも夢見るであろう、お姫様のようなドレスだ。
「……これにする」
「そうか、じゃあ着替えろ」
セヴァンが部屋を出ると、すぐに一人のメイドがやってきた。見覚えのあるその顔に、私は思わず大声を出した。
「エリーじゃない!」
エリーは男爵家で私が子どもの時からお世話してくれたメイドである。
私が前世を思い出して大声を上げた日からなんとか冷静でいられたのは、エリーがいたからだ。
「ねえ、どうしてここに?」
「今日から侯爵邸で働くことになったんです。もう、突然結婚されるからびっくりしちゃいましたよ!」
「その割には、状況受け入れるの早くない?」
「リリア様っていつも破天荒なので、何をしても驚きませんよ。子どもの頃から、戦闘訓練したり、夜に抜け出したりしてますし」
(えっ、バレてた……!?)
私の内心の焦りも気に留めず、エリーがてきぱきとした手つきでドレスを広げ、お人形に着せ替えするかの如く私にドレスを纏わせる。
「きっとお似合いになりますよ、奥様!」
「……奥様、か」
まだ慣れない呼び方をされて思わず苦笑いを浮かべると、「緊張されていますか?」と聞いてきた。
「……少しだけ」
「大丈夫ですよ、奥様は天使かと思うくらい綺麗で……こんな方にお仕えできるなんて私って幸せ者です!」
うっすら涙を浮かべるエリーに「天使じゃなくて悪魔なんだよ」なんて言えるはずもなく。
テキパキと準備を進めるエリーは、ぐーっとコルセットの紐を引っ張った。
「ぐぇっ」
「ほら、我慢ですよ、奥様!」
ウエディングドレスを綺麗に着るためには、この苦しさも必要なのだろう。プルプルと震えていると、くすりと笑われた。
着替えを終え、鏡の前に立つ。
私の薄紫の髪は纏めあげられ、赤い瞳の下はラメのアイシャドウで、きらきらと輝いている。
こんな格好をする日が来るなんて、数日前の自分には想像もできなかっただろう。
「侯爵様が一目惚れしたという気持ちもよくわかりますよ」
どうやら、私とセヴァンの結婚は一目惚れということになっているらしい。
あり得なさすぎる。
「着替えたか」
扉が開く音がして、振り返るとセヴァンが立っていた。なぜか、視線が鏡越しの私から離れない。
「……なによ」
「綺麗だなと思った」
セヴァンは照れたような笑顔を浮かべながら、そう言った。
(こんな風に笑うんだ……)
その笑顔に一瞬心を奪われかけて、我に返る。どうせ彼には何か別の考えがあって、私を油断させるためのリップサービスなのだと自分に言い聞かせた。
それでも。
別に褒められ慣れていないわけではないのに、なんでこんなにも胸がざわざわするのだろう。
私は落ち着かない気持ちで、前髪を整えてしまう。
そうして、私たちは聖堂へ移動した。
改めて正面から向き合えば、彼のタキシード姿もひどく似合っている。
整いすぎた顔立ちの彼だが、こういう場所に立つとさらに人間離れして見える。
「あのね、実は」
神父が誓いの言葉の読み上げを始める前に、私は口を開いた。なんとなく、言いたくなってしまったから。
「ウエディングドレスを着るのって、ずっと夢だったの」
悪役で黒幕の自分には、素敵な結婚式も、可愛いウエディングドレスも、全部、縁のないものだと思っていた。
転生してからというもの、頭の中にあったのは生き残ることだけだったのだ。
どうすれば死なずに済むか、どうすれば原作の筋書きを変えられるか。そんなことばかり考えていた。
だから、これが仮にセヴァンの思惑だったとしても。
「だから……その、ありがとう」
そう言うと、少し恥ずかしくなってしまう。
改まりすぎたかとセヴァンの方を見ると、なぜかこちらを真っすぐに愛おし気に見つめてきていて。
「そうか。それなら良かった」
きっとそれは演技のはずなのに、まるで本当に私を妻に迎えることが嬉しくてたまらないような満足げな表情で。私は、言葉が継げなくなってしまった。
そうしている間に、神父が厳かに言葉を読み上げていく。誓いの言葉がたった二人だけの聖堂に響いていく。
「では、誓いのキスを」
神父がそう促すと、セヴァンが近づいてきて、柔らかく唇が触れた。
瞬間――甘い痺れが全身を貫いた。
「……っ」
どろどろと溶けるような温もりが、脳の奥まで広がっていく。
蜂蜜より濃くて、砂糖よりも甘ったるい味なのに、私から湧き上がる人間への渇きがすべて潤されていくようだった。
ゆっくりと唇を離されたあと、私の耳元に顔を寄せた。
「……どう? 人間との口づけは初めてか? 悪魔にはご馳走だろ?」
思わず涙目になりながら、私はこくこくと頷いてしまう。
「愛してるよ、リリア」
ぎゅっと抱きすくめられて、私は彼の胸に顔を埋めた。先ほどのキスも相まって、彼の言葉がまるで恋人にかけるものかのように、優しく胸を打つ。
(嘘つき……)
これは契約結婚だ。
婚姻届に名前を書いて、誓いの言葉を交わすだけの、ただの契約。決して、この男の甘言に乗せられてはいけない。その先にあるのは、死なのだから。
(絶対に離婚して逃げ出してやる……!)
こうして、私と私を殺す男との、甘くて危険な契約結婚が始まってしまったのだ。
◇
「そう言えば、お前は太陽の光は大丈夫なのか?」
神殿からの帰り道、馬車の中に差し込む夕日に手をかざしながらセヴァンがそう言った。
「長時間浴びなければ問題ないわ。私には人間の血も入ってるから」
悪魔と言うのは、太陽の光を浴びたら死んでしまう。そのため、夜にしか活動できないのだ。
私は、人間と悪魔のハーフであるため日傘をさせばいくらでも外を歩くことができる。
「便利な体でしょ」
私は自分の手のひらを見つめた。
人間にもなり切れず、だからと言って悪魔のように倫理観も捨てられない。中途半端な自分の体を好きだと思ったことはないけれど。
「そうか? 大変なことの方が多いだろ」
悪魔が大嫌いなセヴァンから思いもよらない言葉をかけられて、私は思わず目を丸くした。
リリアは、上位の悪魔に誑かされた母が悪魔の血に耐え切れず、私の出産後にすぐに亡くなってしまったという中々重い設定だ。孤児院で養父に引き取られるまでも、無駄に整い過ぎた容姿のせいで虐められていたし、酷い目にもあった。
悪魔の欲望が自分の意思と関係なく湧き上がってくるから、常に飢えと渇きを感じるし、生きることは想像よりもずっと大変で。
「悪魔は嫌いだが、お前に同情しないほど、俺は無神経な人間でもないからな」
「そう。ありがとう」
セヴァンは嘘をつくような人間ではないことを小説で知っているからこそ、複雑な気持ちになる。
嬉しいようなくすぐったいような気持ちを抱えながら、私は馬車の外を見つめて黙り込んだ。
◇
「やあ、セヴァン」
馬車を下りた時、セヴァンの屋敷の前で待ち構えていたのは、金色の髪をハーフアップにした美青年だった。
垂れ目でおっとりした印象なのに、どことなくチャラい印象を受けるのはシャツの胸元が大きく開いているせいだろうか。
「びっくりしたよ。急に結婚するなんてさ」
「……お前には関係ないだろう」
セヴァンは、私の手を引いて彼の隣を通り過ぎた。しかし、金髪の美青年はめげずに私たちについてくる。
「酷いなぁ、友達なのに」
「誰が友達だ!」
セヴァンはピタリと立ち止まって睨みつけるが、金髪の美青年は全く意に介さない様子でひらひらと手を振った。
「俺は、セヴァンの同僚で悪魔狩りのカイ。よろしくね」
「よろしくお願いしま――」
カイに挨拶しようと思ったその瞬間だった。
カイの笑顔が全て抜け落ちて私の言葉が遮られた。
「それでさ、悪魔ちゃん。セヴァンと結婚なんてどういうつもり?」




