14. カツラ事件、再び
ピットリが生まれて一ヶ月以上が経った、ある水曜日のことである。
この日、研究所に外部の視察団が訪れる予定だった。科学省の関係者と他大学の教授陣を含む総勢数十名ほどの一行だ。
所長は朝から気合が入っていた。白衣をパリッとアイロンがけして、ネクタイも一段格式の高いものを選び締めていた。そして、頭のズラも普段より念入りにセットされているように見えた。
「白崎!今日は視察があるからな!ピットリはちゃんとケースに入れておけ、いいな!」
「はい、わかりました!」
「絶対だぞ!外に出すなよ!」
「もちろんです!」
「いいな、お前はいい子にしてるんだぞ!動くんじゃないぞ!」所長はピットリに指をさして言った。
ぴっぴっ(ワカッタヨ)。
「……不安だ」所長は一抹の不安を感じていた。
午後一時、視察団が到着した。
所長が正面玄関でにこやかに出迎え研究所内を案内し始めた。研究員たちも緊張した面持ちで立っている。
白崎はピットリをしっかりとケースに入れ、さらに念のためケースの上に重しとして分厚い論文集を乗せておいた。
これで完璧だと白崎は思った。
ぴっ(アマイヨ)。
視察が始まって一時間が経った頃。
白崎は視察団に自分の実験を説明していた。顕微鏡のデータを見せながら幹細胞の培養について話している。
視察団の教授の一人が質問した。
「これは、どのような培養条件を……」
その時。
「ぴぃぃぃぃっっっ!!!!!!!!!!!!」
全員が固まった。白崎が振り返ると自分のデスク横の引き出しの中が飼育ケースとともに激しく揺れていた。
「すみません……どうも研究所の鳥が……ちょっと騒いでるみたいですね」慌てながら釈明した。
「ぴぃぃっっっ!!!!!!!!」
「少々うるさくて……」
「少々……」視察団の関係者達は、鳴き声が聞こえる場所へ視線を向けた。
その次の瞬間、論文集が崩れ落ちる音がした。
どさっ。
そしてなぜか衝撃で蓋が開いてしまった。
その隙を狙いぴゅっ!!とピットリが脱走した。
「あーーーーー!!!!」
ぴっぴっぴっ!(ヤッターダイセイコウ!)
ピットリは実験室を飛び出し廊下に向かった。白崎が視察団の関係者達に「ちょっと待ってて下さい!!!」と叫びながら追いかける。
視察団は呆然と見送った。
廊下では、ちょうど所長が視察団の別の一行を案内しているところだった。
ぴゅーっ!
ピットリが廊下に飛び出して所長の一行を見つけた。
所長も飛んできたピットリを見た。
「なっ?!こら!ピットリ!!」
ぴっぴっ!(ショチョウダ!)
ピットリが所長に向かって飛んでいった。
「待て!!!近づいてくるんじゃない!!!」
しかしピットリの目は、所長の頭に狙いを定めていた。
それは黒く光沢があり、きれいに整えられたズラだった。
ぴっぴっ!(ツヤツヤデキレイ!)
「白崎っ!白崎はどこにいるんだ!!」
「今行きます!!!!」白崎が全力で走ってきた。
ピットリが所長の頭に着地した。
「ぬわっ?!」
「所長!動かないで下さい!」
視察団の一行が廊下で所長と白崎のやり取りを見ていた。所長の頭の上の丸い生き物が、きょろきょろと周囲を見回している。
ぴっ(ココイイナガメ)。
「おい、こら……!」
所長は動けなかった。動いたら何が起きるかわかっていたから……。
「所長、今取ります!ピットリ!こっちおいで!!」
ぴっ!(イヤダ!)
「おいで!ほらっミルワームあるよ!!」
ぴっ?(ミルワーム?)
「ほらっミルワームだぞ~」
ぴゅっ!
ピットリが所長の頭から白崎の方に飛んだ。その瞬間。
すぽん。
所長の頭が輝き出した。廊下は静まり返った。視察団の全員が所長の頭を見た。所長も自分の頭が急に涼しくなったことに気づいた。
ピットリの足には、黒々とした何かがそこにはあった。
「……」一同が息を吞んだ。
白崎がピットリが咥えているズラをそっと外した。
「……所長……あの、これ……」
「……」
「……お返しします……」白崎は気まずそうに所長にズラを渡した。
所長は無言でズラを受け取った。そして視察団の方を向いた。
視察団の全員が目を逸らした。完璧に同じタイミングだった。
「……えー」と所長は言った。「本日は、ご来所頂き誠にありがとうございます」所長はズラを手にしたまま何事もなかったかのように続けた。
「研究所のマスコットの鳥が大変失礼を致しました。ただいまから展示室にご案内します。どうぞこちらへ」
視察団は黙って所長についていった。しかし目線は所長の手に持っているズラにあった。
白崎は廊下に一人残り、ピットリを見た。
「ピットリ……お前……なにしてくれてんだよ……」
ぴっぴっ(ツヤツヤキレイ)。
「ああ、もう嫌だ……」白崎は廊下にへたり込んだ。




