未熟
朝霧が晴れ澄み切った青空が顔を出す。
街中に響く鐘の音が人の時間の始まりを告げる。
そんな清々しい朝のとある宿の一室。
「カイン、起きて」
「………」
「カイン」
ーー……
「カイン、これで最後」
優し気な声音から徐々に低くなる。
「分かった、あなたが望むなら仕方ない」
少女は、右手を上げる。
もちろん握り拳である。
鈍い音が響き、驚いた鳥たちが一斉に飛び立つ。
朝ということもあって、王都のギルドは外からも分かるほどの熱気が溢れている。
慣れた様子で扉を開け中に入ると喧騒がカインとエルを飲み込んだ。
酒臭い息を吐きながら依頼書の前で怒鳴り合う冒険者たち。
剣と鎧がぶつかる金属音までもが混ざり、戦場のような有り様だった。
そんな雑多な音の渦を二人は無表情で通り抜けた。
「軽い獲物を狩りに行く」
そう言ってカインは冒険者たちを押し退け強引に依頼を引っぺがす。
迷いなく行われる行為にエルは違和感があった。
ーー力が強い?
屈強な冒険者たち相手に体格で劣るカインが勝る様は異様であった。
「これにするか」
カインが持ってきたのは、ゴブリン討伐の依頼だった。
虫のように湧いてくるゴブリンの依頼は常時ギルドに張り出されていた。
「お前は、冒険者になって初めての狩りだからな」
ーーしばらくこれだな。
カインは不服そうな視線を向けるエルに言い聞かせるように言う。
「ゴブリンってなんであんなに臭いのかしら」
「前に見たことあるのか?」
「まださっきのを根に持っているのね」
カインの問いには答えずにエルが言う。
無表情、だがジト目でカインの頭部を見る。
カインは頭にできた”たんこぶ”をさすった。
「違う。いつも言っているだろ、強敵に挑むやつから死んでいく」
「分かってるわよ、ただ………」
言葉を切る。
ーー臭いのよ
旧街道ーー
”黒の森”に隣接するかつての交易路。
今では魔物で溢れ常人では立ち入ることさえ叶わない。
しかし、その脅威は周辺にも影響を及ぼしている。
カインとエルは、黒の森から少し離れた場所を歩く。
「相変わらず不気味」
「近づくなよ」
「分かってるわよ」
入れば最後。
それが黒の森。
しばらくして。
茂みが揺れた。
次の瞬間、低い唸り声と共に小柄な影が飛び出した。
「――ゴブリンだ」
醜い顔面、でっぷりと飛び出た腹。どこで拾ったのか、錆びた短剣。
そして、
「不愉快よ……」
鼻が曲がりそうになる、獣臭。
ゴブリンは笑う。まるで捕食者のように。
カインは静かに剣を抜く。
僅かな金属音が鳴る。
「エル、油断するな」
カインの言葉に、同じく剣を抜く事で返事をした。
何度も教えられた事を脳内でイメージする。
エルは剣を正眼に構えるが、ぎこちない。
膝を落とし、切っ先を僅かに下げる。飛びかかってくるゴブリンに合わせるために。
だが、力が入り肩は震え、剣を握る指先は強く握りすぎて白くなっていた。
「大丈夫よ……」
浅い呼吸を繰り返しながら自分に言い聞かせるように呟く。
――それでも
ゴブリンを見る視線は鋭い。
相手の一挙手一投足を見逃すまいと。
……来る。
ゴブリンが切りかかってきた瞬間、エルは半歩横にずれた。
「はぁぁっ!」
恐怖に震える体を抑え、体制を崩してゴブリンに剣を振り下ろす。
鈍い感触が腕に伝わる。
ゴブリンはそのまま地に伏せ二度と立ち上がることはなかった。
瞬間、張り詰めていた糸が切れたように、膝から崩れ落ちる。
「……っ…」
握っていた剣が鈍い金属音を立て、て地面に転がった。
自分の手を見る。
震えていた。
手が言う事をきかない。震えが止まらなかった。
呼吸も荒い。
叫び声が耳の奥でこだまする。
ギラつく眼、肉を先、剣が骨を打つ感触、ゴブリンの咆哮。
全てが、生々しく、おぞましかった。
「エル」
低い声に肩が跳ね、淡い色の髪が揺れる。
気づけば目の前にカインが立っていた。
「怪我は」
短い問い。
だが、答えられない。
小さく唇が震えるだけだった。
「……こわ……かった…」
かすれた声は弱々しかった。
その様子を見たカインは自分の外套を小さな肩に掛ける。
カインの温もりに触れた瞬間、何かが堰を切ったように涙が溢れた。
しばらくして、エルは落ち着きを取り戻した。
――もう、大丈夫か。
カインは剝ぎ取り用のナイフをエルに手渡す。
顔が歪む。
討伐証明の耳を剝ぎ取る必要がある。
エルはまだ温もりが残る頭部を抑え、耳元にナイフを刺し入れた。
「不愉快よ……」
「慣れろ」
「………」
流れる沈黙。
「…用も済んだし帰るか」
「そうね」
カインが背を向けた瞬間、茂みが背後で揺れた。
陽が傾き初めていた。
茂みの奥から黄色い目が浮かんだ。
「うそ……」
ゴブリン。
しかも一匹ではない。
獣みたいな笑みを浮かべながら姿を現したのは”三匹”。
先ほどとは比べられない程の恐怖がエルを襲った。




