陽光と棘の狭間
前回まで:
血月の夜に大悪魔セバスティアンと出会った私は、機械の心臓に奇妙な軋みを覚え始めていた。
黒薔薇王立学院の人形女仆長として、霧の翼と棘の翼を統括する毎日。
人形であるはずの私が、なぜこんな異常を感じるのか。歯車の音は静かに続き、私はそれを誤作動だと判断しようとしている。
血月が去った翌朝、学院はいつも通りの賑わいを取り戻していた。
私は霧の翼の食堂を巡回しながら、低位の人形たちに業務指示を出していた。
「A-17は三年生の朝食配膳を、C-9は棘の翼の図書室整理を。遅れのないように。」
「はい、女仆長。」
霧の翼の食堂は朝の陽光が差し込み、明るく活気がある。人間の学生たちがテーブルを囲み、笑い声が響く。
「ねえ、棘の翼のルーカス様見た? 銀髪が本当に綺麗で……昨日すれ違っただけでドキドキした!」
「わかる! 私、ルーカス様のファンクラブに入ってるよ!」
人間の少女たちが頰を赤らめて盛り上がっている。男子学生も冗談を交えながら異類の貴族を話題にする。
「俺はガルド様推し! あの筋肉、近づいたら骨折しそうだけどカッコいいよな!」
「バカ、お前みたいな凡人が近づいたら即殺されそうじゃん!」
笑い声が爆発する。霧の翼の日常は陽気で、少し馬鹿馬鹿しいほど明るい。
私は静かにトレイを片付けながら、そんな光景を観察していた。人形である私は、こうした感情の溢れ方をただ記録するだけだ。
すると、背後から明るい声がした。
「リリアーナさん! おはよう!」
人間三年生のエミリア・ローズウッドが笑顔で手を振っていた。
「おはようございます、エミリア様。」
「ねえ、棘の翼に行ったんでしょ? セバスティアン様に会わなかった? あの黒髪と赤い瞳、遠くからでもカッコいいよね!」
周りの少女たちも「わかるー!」と集まってくる。
私は胸の奥で小さな歯車の軋みを感じた。
ギ……
昨夜の血月の影響か。魔力の流れがわずかに乱れている。
「……セバスティアン・ヴァン・ノワール様は棘の翼の特別留学生です。簡単な挨拶を交わしました。」
言葉を返すと、歯車の音がもう一度小さく響いた。私は即座にそれを無視しようとした。これは誤作動だ。人形に感情など必要ない。
エミリアは私の反応に気づかず、楽しげに話し続ける。
午後、私は棘の翼へ移動した。
ここは昼間でも薄暗く、棘の装飾が壁に絡みつく。異類の学生たちは静かに優雅に歩いている。
廊下の角で、再びセバスティアンと出会った。
「また会ったな、リリアーナ。」
「……ヴァン・ノワール様。」
私は礼をしながら、胸の歯車が再び軋むのを感じた。魔力の乱れが少し強くなった気がする。
セバスティアンは低く笑い、近づいてくる。
「霧の翼の賑やかな声がここまで聞こえるよ。人間たちは相変わらず明るいな。……君は、あの明るい世界と私のいるこの翼、どちらが好きだ?」
私は一瞬、答えに詰まった。
「……私は両翼の秩序を維持するのが任務です。好き嫌いはありません。」
歯車が大きく軋んだ。視界がほんのわずかに揺らぐ。
これは異常だ。すぐに抑制しなければ。
セバスティアンは私の反応を興味深げに見つめていた。
「ふむ……面白い反応だ。君の心臓の音が、少し変わってきたようだな。」
私は何も答えず、ただ礼をしてその場を離れた。
人形である私が、こんな物理的な異常を繰り返すなど、許されないはずだ。
血月の余波が、まだ完全に去っていないのかもしれない。
(第4章 終わり)
次回、学院の日常が続く中、人間学生の小さな規則違反が発生する。
私は女仆長として棘の翼へ向かい、再びセバスティアンと顔を合わせる。
機械の心臓の軋みはまだ収まらない。これは誤作動か、それとも……。
血月の影響は、静かに続いている。
(第5章へ続く)




