棘の問い
前回まで:
私は魔導人形リリアーナ・ピノ・ロゼ。黒薔薇王立学院の人形女仆長として、人間と異類が共存するこの学園で秩序を維持する任務を担っている。
完璧な瓷の身体と機械の心臓を持ち、感情など持たないはずだった。
しかし血月の夜、棘の翼の薔薇園で出会った大悪魔セバスティアン・ヴァン・ノワールに、機械の心臓が初めて強く軋んだ。
血月の光がまだ残る夜明け前、私は霧の翼と棘の翼を巡回する女仆長としての務めを始めていた。
黒薔薇王立学院は、帝国の未来を担う人間と異類の貴族たちを育てる最高の教育機関だ。高等魔術、礼儀作法、政治学、剣術……ここで学んだ者たちは、将来帝国を支える柱となる。表向きは「人間と異類の相互理解を深める」ための学園とされている。
霧の翼は人間の学生が主で、白昼は陽光が差し込み明るく、夜になると濃い霧が立ち込める。一方、棘の翼は異類の学生が主で、昼間でも薄暗く陰鬱としており、夜は月光が白く清らかに降り注ぎ、霧が一切ない。
私は両翼を自由に行き来し、約八十体の人形仆人たちを統括している。掃除、配膳、身の回りの世話、夜の警備……すべてが私の管理下にある。
棘の翼の廊下を歩いていると、昨夜の記憶が蘇った。
あの優雅で底知れぬ大悪魔、セバスティアン・ヴァン・ノワール。
「リリアーナ。」
突然、後ろから低く甘い声がした。
振り返ると、彼が立っていた。漆黒の髪に深紅の瞳、夜会服のままの姿で。
「また会ったな。人形女仆長。」
私は完璧な礼を返した。
「ヴァン・ノワール様、おはようございます。朝の巡回中です。何かご用でしょうか?」
セバスティアンは微笑みを浮かべ、一歩近づいた。
「君の身体の反応が気になってね。昨夜、血月の下で歯車が軋む音が聞こえた。あれは……ただの誤作動か?」
胸の奥で、再び歯車が小さく軋んだ。
ギ……
魔力の流れがわずかに乱れる。
「私は……正常に機能しています。ご心配には及びません。」
言葉を返すと同時に、胸の違和感が強くなった。指先が微かに震える。
セバスティアンの瞳が細められる。
「面白い。人形が『心配』という言葉を使うとは。君は本当に、ただの道具なのか? それとも……」
彼は手を伸ばし、私の銀灰色の髪を指で軽く梳いた。触れられた部分が、奇妙な熱を帯びる。
その瞬間、機械の心臓が強く一回、脈打ったような感覚が走った。
私は慌てて一歩下がった。
「……失礼いたしました。巡回の続きを失礼します。」
セバスティアンは愉しげに笑った。
「逃げなくてもいいのに。リリアーナ、私は君の『変化』をとても楽しみにしているよ。」
彼の声が背中に残る中、私は棘の翼の廊下を早足で進んだ。
胸の歯車は、まだ止まらない。
昨夜の血月がもたらした魔力潮汐の影響か……それとも、何かが私の中で動き始めているのか。
人形である私が、こんな感情の欠片を抱くなど、許されるはずがない。
……それなのに、なぜか私は、再び彼に会いたいと思ってしまった。
(第3章 終わり)
次回、学院の日常の中で、私は再びセバスティアンと出会うことになる。
霧の翼の陽光の下、棘の翼の陰鬱な昼に、歯車の軋みはますます激しくなる。
人形である私が抱き始めた「興味」は、いつか大きな波を引き起こすのか。
血月が去った後の静かな学園で、新たな棘が私の機械の心臓を深く刺す。
(第4章へ続く)




