初めての村
男に案内されてたどり着いたのは、木の柵に囲まれた小さな村だった。柵の向こうには石と木で造られた家が並び、中央には井戸がある。村人たちは見慣れない俺の姿を見て、ちらちらと視線を向けていた。
「ここがベルン村だ。あんた、いったいどこから来たんだ?」
「……遠くからです。少し旅を」
嘘ではない。少なくとも、俺が知っている場所からは途方もなく遠いはずだ。
改めて自分の格好を見下ろす。動きやすい長袖のシャツに丈夫なズボン、歩きやすい靴。背中には、調査道具を入れたリュック。黄泉比良坂を訪れるために用意した、民俗学の調査用の格好だ。
「そういえば、さっきのうさぎみたいな動物なんですけど…」
「ホーンラビットのことか?あれは角で突いてくる魔物だ。肉は食えるが、油断すると怪我じゃ済まないこともある」
「へえ…角の形状からして、突進するための構造なのかな。それとも縄張り争いにも使うんだろうか…」
「……変わったやつだな」
男の呆れた声で、俺は我に返った。知らない生き物を見ると、つい考え込んでしまう。
その後、男に連れられて村長の家を訪ねた。村長は俺の話を聞き、身元について多少の質問をしたものの、ひとまず今夜は村に泊めてくれることになった。
「この辺りのことを知らないなら、勝手に出歩かないほうがいい。特に夜はな。森には魔物が出る」
「わかりました」
俺には戦う力も、この世界についての知識もない。知らない場所を歩き回るのは危険だ。頭ではわかっている。それでも、外の世界が気になって仕方がなかった。
村長が用意してくれた部屋に入ると、俺はポケットからスマートフォンを取り出した。画面には、相変わらず圏外の文字。
家族や大学のことが頭をよぎる。突然いなくなった俺を、みんなは心配しているだろうか。
「……じいちゃん」
子供の頃、妖怪の話を聞かせてくれた声を思い出す。もっと話が聞きたかった。もっといろんなことを教えてもらっておけばよかった。そんな後悔が今でも時々胸に浮かぶ。
けれど、教えてもらった話はすべて覚えている。俺が知りたいと思ったことも、まだまだたくさんある。
不安はある。元の世界に戻れるのかもわからない。それでも、この世界には俺の知らない生き物がいて、知らない文化があって、知らない歴史がある。それを知りたいという気持ちは、どうしても抑えられなかった。
翌朝。
村の中が、いつもと違うざわめきに包まれていた。
「まだ戻ってないのか?」「夜の見回りにでたきりだ。森の中で何かあったのかもしれん。」
昨夜から見回りに出ていた村人が帰ってきていないらしい。その人物の名前を聞いて、俺は思わず顔を上げた。昨日、ホーンラビットから俺を助けてくれた男だった。
「森でゴブリンが目撃されたって話もある。早く探しに行かないと」
村人たちが集まり、捜索の準備を始めていた。
剣や槍を手にした男たちが六人。森に入り、行方不明の男を探すらしい。
助けてもらった恩がある。このまま何もせず、村で待っているだけというのも気が引けた。
「……俺も行きます」
「お前も?森は危険だぞ」
「ガレスさんが帰ってきてないんですよね。俺にも、何かできることがあるかもしれないので」
村人たちは少し迷ったあと、俺に使い古しの短い剣を渡してくれた。刃には細かな傷があり、柄もずいぶん擦り減っている。
「まともに扱えないだろうが、ないよりはマシだ。無理はするなよ」
「ありがとうございます」
剣を受け取り、腰に差してみる。ずっしりとした重みがあった。これで何かと戦えるかと言われれば、自信はまったくない。それでも、丸腰で森に入るよりはマシだろう。
こうして俺は、六人の村人たちとともに森へ向かうことになった。助けてもらった恩を返したい。それが、このとき俺にできるせいいっぱいの理由だった。
ヤマトを助けた男が行方不明に。
無事救出できるのか…




