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第四話 そこにいるんだ


 幽霊が見える。


 それは、レンにとって特別なことではなかった。


 少なくとも、本人にとっては。


 大学の講義が終わった夕方。


 レンはキャンパスの端にあるベンチに座り、一人でノートを開いていた。


 周囲には学生たちの話し声がある。


 友達同士で笑う声。

 次の授業について話す声。

 これからどこへ行くか相談する声。


 その中で、レンだけが一人だった。


 別に、それを寂しいとは思っていない。


 ……思わないようにしている。


 レンはノートに視線を落とした。


 そこには、数式や物理学のメモに混じって、妙な記録が並んでいた。


『午後4時12分。旧校舎裏に人影』


『身長推定170cm前後』


『こちらを見ていた』


『接近すると消失』


 その文字を見つめながら、レンは小さく息を吐いた。


「……まただ」


 顔を上げる。


 少し離れた木の下に、女の人が立っていた。


 長い髪。


 白っぽい服。


 じっとこちらを見ている。


 レンはしばらくその姿を観察してから、ノートに書き込んだ。


『午後4時18分。再確認』


 女は動かない。


 レンも動かない。


 やがて、通りかかった学生がレンの前を横切った。


「……?」


 その瞬間。


 女の姿が消えた。


 レンは立ち上がった。


「……やっぱり」


 周囲を見回す。


 誰もいない。


 さっきまで女が立っていた場所には、何もなかった。


 ただ、風に揺れる木の葉だけがある。


「……僕には見える」


 レンは呟いた。


「でも、他の人には見えてない」


 その言葉を口にするたび、胸の奥に昔の記憶が蘇る。


     *


 幼い頃。


 レンは母親と一緒に公園を歩いていた。


「ねえ、お母さん」


「ん?」


「あそこにいるおじさん、僕をずっと見てる」


 レンが指差した先には、ベンチに座った男がいた。


 母親は目を細める。


「……誰もいないよ?」


「いるよ」


「どこ?」


「あそこ」


 何度指を差しても、母親には見えなかった。


 その男は、レンを見てネチャっと笑った。


 レンは怖くなって、母親の手を握った。


「お母さん、もう帰ろう」


「うん。どうしたの?」


「……なんでもない」


 それからだった。


 レンは、自分にしか見えないものについて話さなくなった。


 学校でも同じだった。


「昨日、廊下に白い女の人いたよね」


 そう言った翌日。


「またレンが変なこと言ってる」


「なにそれ、怖い話?」


「レンってそういうの好きなの?」


 笑われた。


 先生にも聞かれた。


「本当に見えたのか?」


「……はい」


「夢でも見たんじゃないか?」


「……違います」


「そうか、まぁたまにはゆっくり休むのも良いと思うぞ」


 優しい言い方だった。


 だからこそ、レンには分かった。


 誰も信じていない。


 自分だけが、おかしいと思われている。


 だったら。


 証明するしかない。


     *


 それが、レンと科学の出会いだった。


 幽霊を信じたから科学を嫌いになった。


 そんな単純な話ではない。


 むしろ逆だった。


 科学なら。


 観察できる。


 記録できる。


 測定できる。


 条件を揃えれば、同じ結果を再現できる。


 もし幽霊が本当に存在するのなら。


 そこには何かしらの法則があるはずだ。


「……絶対に、何かあるはずなんだ」


 大学の研究室。


 レンは一人、パソコンの画面を睨んでいた。


 画面には、過去数年間に記録した「幽霊」のデータが並んでいる。


 出現時間。


 気温。


 湿度。


 場所。


 周囲の人間の数。


 音。


 光。


 電磁波。


 可能な限り、記録してきた。


 もちろん、他人に見せれば変人扱いされる。


 だから見せない。


 自分で調べる。


 自分で確かめる。


 そしていつか。


 証明する。


「幽霊は……必ず、存在する」


 レンは呟いた。


 そのときだった。


 パソコンの横に置いていたスマートフォンが震えた。


「ん?」


 通知。


 動画サイトのおすすめだった。


 レンは何気なく画面を開いた。


 そこには、一本の動画が表示されていた。


『【心霊】夜の○○で幽霊を探してみた』


「……またこういうのか」


 レンはため息をついた。


 心霊動画。


 レンにとっては、あまり好きなジャンルではない。


 怖いからではない。


 むしろ逆だ。


 初めは確認の為に片っ端から動画を見ていった。


 だが、そのほとんどが期待とは程遠いものばかりだった。


 適当な編集。


 過剰な演出。


 根拠のない「これはヤバい」。


 科学的に見れば、突っ込みどころしかない。


 そのせいで、こんな関連動画をしこたま紹介してくるようになった。


 …それでも。


 レンは動画を再生した。


「……ん?」


 数分後。


 レンの表情が変わった。


 動画の中。


 撮影者が何かを指差している。


「この辺り、なんかいるんですよね」


 レンは画面を凝視した。


「……待って」


 再生を止める。


 巻き戻す。


 もう一度。


 再生。


 画面の端。


 ほんの一瞬だけ。


 人影が映っていた。


「……これ」


 レンは立ち上がった。


 その映像自体は、決定的な証拠とは言えない。


 ノイズかもしれない。


 光の反射かもしれない。


 編集かもしれない。


 でも。


 レンが反応したのは、そこではなかった。


「この人……」


 動画の中の男。


 妙に楽しそうに喋っている。


 心霊スポットで、幽霊を怖がるどころか。


「いたいた!」


 などと言いながら、まるで知り合いでも見つけたように笑っている。


「……見えてる?」


 レンは呟いた。


 動画を最初から見直す。


 男が幽霊について話している。


 自分に見えているものと、妙に一致している。


 レンはノートを開いた。


 そして、動画内の情報を記録し始めた。


「場所……一致」


「出現時間……近い」


「特徴……一致」


 偶然。


 そう考えることもできる。


 けれど。


 レンの胸の奥で、何かが動いていた。


「この人は……」


 動画のタイトルをもう一度確認する。


 投稿者名。


 トキヨリアキ。


「……トキ、ヨリアキ」


 その名前を口にする。


 レンは動画を再生したまま、しばらく黙っていた。


 やがて。


 小さく息を吐く。


「……この人に聞けば、分かるかもしれない」


 自分がなぜ幽霊を見られるのか。


 幽霊とは何なのか。


 そして。


 あの動画に映っているものは、本当に自分が見ているものと同じなのか。


 レンはスマートフォンを手に取った。


 画面に映る、トキヨリアキの姿。


「……直接、確認するしかない」


 レンは立ち上がった。


 ノートを閉じる。


 鞄を肩に掛ける。


 そして、もう一度だけ動画を見た。


「トキヨリアキ……」


 その名前を覚えるように呟いて。


 レンは研究室を出た。


 まだ本人は知らない。


 自分がこれから会いに行こうとしている相手が。


 レンの世界を、「明日」へ導く存在だということを。

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