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第十九話 視線の先には


 編集を終えた頃には、すでに夕方になっていた。


「よし! 行くぞ、レン!」


 トキ兄さんが、待ってましたとばかりに声を上げる。


「……どこにですか?」


「決まってるだろ。涙橋!」


「今から?」


「今から!」


 即答だった。


 僕は思わずため息をつく。


 どうやら、予定を立てるという発想は持ち合わせていないらしい。


「なんでそんなに急ぐんですか?」


「……」


 トキ兄さんの動きが止まった。


「……早くしないと怒られる」


「……怒られる?」


「フリーに怒られるんだよぉ!」


「あー、代わりの方ですか」


「そう!だから今!行くんだよ!」


 結局、トキ兄さんの押しに負ける形で僕たちは夕方の涙橋へ向かうことになった。


 涙橋に着いた頃には、空はすっかり夕暮れ色に染まっていた。


 橋の周囲は思ったより静かだった。


 車の音。

 遠くから聞こえる人の声。

 風に揺れる木々。


 少なくとも、僕には幽霊らしきものは見えない。


「意外と街中にあるんですね」


「そうだなー」


「……というか、いないですね」


「うーん……」


 トキ兄さんは橋の周囲を見回している。


「まあ、見えないだけかもしれないけどな」


「じゃあ、何か感じるんですか?」


「感じる」


 即答だった。


「ここ、かなり残ってるぞ」


「何が?」


「思念だよ」


 トキ兄さんは、橋の向こうを眺めながら言った。


「ここには、いろんな人間の想いが残ってる。量が多い。かなりな」


 僕には何も見えない。


 でも、トキ兄さんがそこまで言うのなら、何かあるのだろう。


「だったら、何か撮影できそうですね」


「だろ?」


 トキ兄さんの顔が、一気に明るくなる。


「ここなら絶対、何か撮れる!」


「……でも、今日は撮影しませんよ」


「え?」


「僕、バイトです」


「…………」


 トキ兄さんが固まった。


「あと少しだけ」


「無理です」


「十分」


「無理です」


「五分!」


「トキ兄さん」


「……三分」


「今日は帰りますよ」


「…………はい」


 渋々といった様子でトキ兄さんが肩を落とした。


「アイちゃんからも何か言ってやってよ」


 僕がスマホに向かって言うと、画面から声が返ってくる。


『別にレンに言われたからじゃないけど。今日は大人しく帰りなさい』


「えー、アイちゃんまで……」


『当たり前でしょ』


 トキ兄さんは、しばらく涙橋を名残惜しそうに眺めていた。


 そして小さく、


「……絶対、何かいるんだけどなぁ」


 と呟いた。


   ♦︎


 翌日。


 大学の空き時間。


 僕は涙橋について調べていた。


 昨日、トキ兄さんが言っていた「残っている想い」というものが、どういうものなのか気になったからだ。


 ネットで調べるだけではなく、大学の資料や民俗学関係の本にも目を通してみる。


 こういう場所には、土地の記憶や人々の語りが積み重なっている。


 それが、いわゆる怪談や伝承として残っている可能性もある。


「……なるほど」


 資料を眺めていると、不意に声をかけられた。


「何か調べものですか?」


「え?」


 顔を上げると、見覚えのない男性が立っていた。


 首からプレートを下げているところを見ると、どうやらうちの大学の講師らしい。


「涙橋について調べているのですか?」


「……はい」


「どうしてまた涙橋を?」


「少し興味があって」


 男性は資料に目を落とした。


「この辺りは、調べてみると面白いですよ」


「そうなんですか?」


「ええ」


 穏やかな口調だった。


 けれど、なぜか僕は少しだけ警戒した。


 髪はボサボサで、くたびれたメガネ。


 服もシワだらけで、少し小汚い感じ。


 そういった格好も相まってか。


 ただ……なんとなく、胡散臭い。


「私は民俗学が専門なので、何か知りたいことがあったら声をかけてください」


「……あ、はい。分かりました。ありがとうございます」


 僕は軽く頭を下げ、さっさとその場を離れた。


 名前を聞くことはなかった。


 なんとなく、背中に視線を感じながら。


 でも、その人の言葉だけは妙に頭に残った。


   ♦︎


 同じ頃。


 トキは守護霊としての仕事に追われていた。


 ようやく一通りの仕事を終えると、トキは大きく伸びをする。


「……よーっし。今日の分、終わり!」


 ご主人が寝静まったのを確認した後、庭先の縁台に座った。


「はぁ疲れたぁ……」


『幽霊なのに疲れるの?』


「気分の問題だよ」


『便利ね、その言い訳』


 そんなやり取りをしながら、トキはスマホを眺めた。


「なあ、アイちゃーん」


『何?』


「このカメラってさー、もっと撮影しやすくならないかな」


『撮影?』


「ほら。今って何故かインカメしか使えないじゃん」


『……そうね』


「これだとオレばっかり映るんだよ」


『……』


「どうした?」


『……べ、別に』


「ん?」


『今まで私が…アンタを見てただけよ』


「……」


 トキは黙った。


「……あー、そういうことだったのかぁ」


『……ごめん』


「……別にいいって」


『……どうしても、使えなきゃダメ?』


 アイちゃんの声が、ほんの少しだけ低くなった。


「いや、でもさ。アイちゃんのカメラってほら、性能いいじゃん?」


『そんなの当たり前でしょ』


「すげぇよなぁ」


『……まあね』


「画質もいいし」


『……』


「処理も速いし」


『……』


「アイちゃんって本当に完璧だよな」


『…………』


「しかも可愛いし!」


『…………』


「最高のスマホだよ!」


『……べ、別に。それくらい普通だから』


 その直後。


 画面が一瞬、暗くなった。


 そして――


 カメラが切り替わった。


「……お?」


 アウトカメラ。


「おおおっ! 直った!」


『……ふん』


「アイちゃん、すげぇ!」


『うるさい』


「ありがとう!」


『……別に、アンタのためじゃないんだからね!』


「よし!」


 トキは満足そうにスマホを掲げた。


 どうやら、カメラの問題は解決したらしい。


 そして同時に、トキは一つ学んだ。


 アイちゃんは褒めると機嫌が良くなる。


「なるほどなー……」


『何よ』


「いや別に、なんでもないでーす」


 トキはニヤリと笑った。


 その後、トキは通りかかったフリーを見つけた。


「あ、フリー」


「はい?」


「今日さ、仕事代わってくれない?」


「……またですか」


「うん」


 フリーは少しだけ黙った。


 そして、ため息をつく。


「はいはい。分かりましたよ」


「マジで!?」


「どうせ涙橋に行くんでしょう?」


「よく分かったな!」


「そりゃあ帰ってくるなり、大声で次は涙橋だって騒いでりゃ誰でも分かりますよ……」


 フリーは半ば諦めたように笑った。


「今回だけですよ」


「おう!」


「……って言っても、また頼むんでしょうけど」


「…………」


「図星ですか?」


「えー、いやー、その……」


「まあ、いいです」


 フリーは肩をすくめた。


「行ってきてください」


「ありがとう、フリー!」


 トキは勢いよく飛び出していった。


「……本当、元気な人だなぁ」


 フリーはその背中を見送りながら、呟いた。


「やりたい事があるって……羨ましいです……」


   ♦︎


 一方その頃。


 僕は自宅で動画を見ていた。


 最近投稿した動画。


 以前よりも、再生数が増えている。


「……ちゃんと増えてる」


 思わず、顔が緩んだ。


 まだ大した数字じゃない。


 それでも、僕たちが作った動画を見てくれる人がいる。


 それが、なんとなく嬉しかった。


 その時だった。


 スマホが鳴った。


「……あれ、トキ兄さん?」


 画面に表示された名前を見て、僕は電話に出る。


『レン!』


「はい」


『今晩、撮影行くぞ!』


「……また急ですね」


『涙橋!今夜だ!』


「昨日行ったばかりじゃないですか」


『昨日は下見で、今日は本番!』


「……」


 相変わらず、この人の行動力にはついていけない。


「分かりました」


『よっしゃ! じゃあ現地集合な!』


 電話が切れた。


「……本当に元気だな」


 僕は小さく息を吐いた。


 そして、カメラと必要なものをバッグに詰め始める。


 今夜。


 涙橋で何かが撮れるのだろうか。


 昨日は何も見つからなかった。


 けれど、トキ兄さんは言っていた。


 あそこには、たくさんの「想い」が残っていると。


「……何か、撮れると良いな」


 そう呟きながら、僕は家を出た。

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