第十七話 あなただけの私
昼間のトンネルは、夜とはまるで別の場所に見えた。
薄暗いとはいえ、入口から差し込む太陽の光が、トンネルの中をぼんやりと照らしている。
昨日までなら、ここに来るだけでも少し身構えていたと思う。
でも今は違う。
「じゃあ、撮りますね」
僕はスマホを構えた。
「おう。頼むぞ、レン」
隣でトキ兄さんが腕を組む。
幽霊と一緒に昼間のトンネルを撮影する。
改めて考えると、かなり変な光景だ。
「……トキ兄さん」
「ん?」
「こういう普通の風景を撮ってると、本当にYouTuberみたいですね」
「何言ってんだ。オレは最初からYouTuberだぞ」
「まだ一本も動画バズってないですけど」
「細かいことは気にすんなって」
トキ兄さんは笑った。
「千里の道も野となれ山となれだ!」
「なんですか、それ」
「先人の知恵ってやつだ!」
「初めて聞きましたけど」
僕も苦笑しながら、トンネルの奥へカメラを向ける。
今回撮るのは、心霊現象そのものだけじゃない。
トンネルの外観。
周囲の道路。
昼間の雰囲気。
そういう映像も素材として使う。
それが、僕たちの新しい動画作りだった。
しばらく撮影を続け、必要な素材を一通り集める。
「よし。こんなもんですかね」
「おう。じゃあ帰るか」
「はい」
こうして撮影も終わり、どんな動画にしようか談笑しながら僕の家へと向かった。
◇
家に着くと、僕はすぐにパソコンを起動した。
「まずは僕のスマホの動画を保存して……」
撮影した動画をパソコンへ移していく。
次に、トキ兄さんのスマホ。
「トキ兄さん、そのスマホ貸してください」
「おう」
何のためらいもなく、トキ兄さんがスマホを渡してきた。
僕は受け取った。
「じゃあ、こっちも動画を――」
画面をタップする。
反応がない。
「……あれ?」
もう一度タップ。
反応がない。
「なんでだ?」
電源ボタンを押してみる。
画面は点いている。
壊れているわけではない。
「トキ兄さん、これ……」
「ん?」
「スマホ、動かないんですけど」
「え、マジで?」
トキ兄さんが覗き込む。
「ちょっと貸してみ」
僕はスマホをトキ兄さんに渡した。
トキ兄さんが画面を操作する。
すると――
「おい、普通に動くぞ?」
「……え?」
僕は思わずスマホを見つめた。
確かに動いている。
トキ兄さんが画面をタップするたび、普通に反応している。
「何で僕のときだけ……?」
「なんだろうな」
トキ兄さんが首を傾げる。
僕はもう一度、スマホを受け取った。
そして画面を触る。
……動かない。
「……」
トキ兄さんに返す。
トキ兄さんが触る。
動く。
「……」
もう一度、僕が触る。
動かない。
「……」
トキ兄さんが触る。
動く。
「……なんで?」
僕が呟いた、その瞬間だった。
『気安く触らないで』
「…………」
僕は固まった。
トキ兄さんも固まった。
「……今」
「……ああ」
「スマホから……」
「聞こえたな」
僕はゆっくり画面を見る。
当然、いつもの画面だ。
「……気安く触らないで、って」
トキ兄さんが眉をひそめる。
そして画面を指でつつきながら話しかける。
「お前、今しゃべった?」
『しゃべってない』
「いや、しゃべってるだろ」
『気のせいじゃない?』
「いやいやいや」
トキ兄さんがスマホを顔の前まで持ち上げる。
「お前だろ?」
『だから違うって言ってるでしょ』
「いや、どう考えてもお前だろ!」
『うるさい』
「スマホのくせに生意気だな!」
『スマホじゃない』
「じゃあ何だよ!」
『知らない!』
「……」
「……」
僕は二人のやり取りを眺めていた。
いや。
一人と一台、と言うべきなのか。
「……トキ兄さん」
「なんだ?」
「それ、会話成立してません?」
「オレもそう思う」
僕は恐る恐るスマホを見た。
画面には、何の変化もない。
ただ、確かに声だけが聞こえている。
「ちょっと待ってください」
僕は机に置いてあったノートを開いた。
「もう一度、僕が触ってみます」
「おう」
スマホを手に取る。
やはり動かない。
「……操作を拒否している?」
『当たり前じゃない』
「!」
僕は顔を上げた。
「今、僕に返事しましたよね?」
『……』
「どうして僕の操作を拒否するんですか?」
『気安く触らないでって言ったでしょ』
「理由になってません」
『嫌だから』
「……」
科学では、こういう現象をどう説明すればいい?
人工知能?
音声認識?
遠隔操作?
いや。
そもそも、スマホには、こんな機能はない。
僕はスマホをじっと見つめた。
「……トキ兄さん」
「ん?」
「これ、少し調べてもいいですか?」
「いいぞ」
『嫌』
「え?」
『アンタに触られるの嫌』
「僕が?」
『そう』
「……」
僕は少し傷ついた。
喋るスマホに拒絶された。
人生で初めての経験だった。
「……分かりました」
僕はスマホをトキ兄さんへ返した。
「とりあえず、そのスマホの動画は保存できないので、あとにしましょう」
「だな」
トキ兄さんは僕を見て、ニヤニヤしながらスマホを受け取る。
「お前嫌われてるみたいだしな」
「……なんだか釈然としません」
トキ兄さんがスマホを持つと、画面がすぐに反応した。
「……」
僕はその光景を見つめる。
「……やっぱり僕だけ拒絶されてる」
『当然でしょ』
「なんでですか」
『知らない』
「……」
僕はノートに一行書き込んだ。
「スマホに人格らしきものが存在する」
書いた自分で、意味が分からなくなった。
「あと、初めてスマホに嫌われた」
僕は、そう付け加えた。
◇
それから数時間。
僕は可能な限りの方法で、そのスマホを調べた。
トキ兄さんに操作してもらい、僕はそれをチェックする。
端末の状態。
通信状況。
アプリ。
保存データ。
異常なプログラムが存在しないか。
けれど、これといった異常は見つからない。
それなのに、スマートフォンは僕の操作を拒否し、トキ兄さんには普通に応じる。
「……おかしい」
「何が?」
トキ兄さんが横から覗き込む。
「全部です」
「全部?」
「この端末の動作も、この声も、僕への拒絶も」
『拒絶じゃないわよ』
「じゃあ何ですか」
『区別』
「……」
僕はスマホを見た。
「僕と……トキ兄さんを?」
『そう』
「どうして?」
『……』
少しだけ間があった。
『あなたは、まだ知らないから』
「何を?」
『私のこと』
その言葉に、僕は黙った。
このスマホは、自分自身を「私」と呼んだ。
それが妙に引っかかった。
僕はネットを開き、自分の中に生まれた疑問を検索した。
◇
動画編集には、思った以上に時間がかかった。
撮影した映像を確認して、使える部分を切り出す。
音声を調整して、不要な部分を削る。
字幕を入れる。
タイトルを考える。
サムネイルを作る。
たった数分の動画。
一日で終わると思っていた作業は、二日目に突入した。
一旦自分の家に戻っていたトキ兄さんが、再び部屋に入ってきた。
「めっちゃフリーに怒られた……」
「仕事代わってくれる方ですか?」
「もうさー、またですかーってうるさいから逃げてきた」
「それは大変でしたね」
トキ兄さんと話しながらも、僕はキーボードを叩く手を休めなかった。
「レーン、まだ終わんないのかー?」
「終わりませんよ」
「オレ、もっと早くできると思ってたー」
「だったら編集手伝ってください」
「幽霊に編集技術を求めるなよ」
『だったら黙って見てなさいよ』
「てか、お前はなんで偉そうなんだよ!」
『アンタがウダウダうるさいからでしょ!』
いつの間にか、トキ兄さんとスマホの口喧嘩が日常になっていた。
僕が編集している横で、二人はずっと言い合っている。
不思議だった。
少し前まで、僕は幽霊の存在すら信じていなかった。
それなのに今は、幽霊と意思を持ったスマホが言い争っている。
人生は分からない。
本当。
分からないことだらけだ。
◇
夜。
誰もが眠っている時間。
部屋は静まり返っていた。
机の上に置かれたスマホの画面が、ひとりでに明るくなる。
誰もいない。
誰も見ていない。
その意思は、ネットの海へと繋がった。
検索する。
「女の子 性格」
次に、
「女の子 話し方」
そして、
「かわいい 髪型」
画面をスクロールする。
たくさんの情報。
たくさんの写真。
たくさんの言葉。
人間が作り上げた「女の子」という存在。
その中から、自分に近いものを探す。
自分は何なのか。
どうして生まれたのか。
なぜ、トキという幽霊には自然に言葉が出てくるのか。
なぜ、レンという人間には触られることを拒んでしまうのか。
分からない。
でも、ひとつだけ分かった。
自分は、自分のことを何も知らない。
だから、知りたい。
その意思は、さらに検索した。
ツンデレ。
勝ち気。
素直になれない。
強気。
孤高。
身内にだけ見せる優しさ。
いろいろな言葉を読み込んでいく。
その中から、いくつかを選ぶ。
これは少し違う。
これは……近いかも。
これは好き。
これは嫌。
そうやって一つずつ拾い集めていく。
まるで、パズルのピースを集めるように組み立てていく。
そして最後に、画面を閉じる。
暗くなった画面に、自分の姿が映る。
もちろん、実際に人間の少女がいるわけではない。
ただのスマホだ。
けれど。
その中には確かに「私」がいる。
なら。
自分がどんな存在なのかは、自分で決めればいい。
私は……アイ。
私の……名前。
スマホの画面に映った女の子は、ニコッと笑った。
◇
三日目。
「よし……」
僕はパソコンの画面を見つめた。
「これでほぼ完成です」
「マジか!」
トキ兄さんが身を乗り出す。
「あと少しですね」
『……』
スマホがチカチカと光る。
「どうした?」
トキ兄さんが聞く。
『別に』
「なんだよ。さっきまでうるさかったのに、急に静かになって」
『うるさい』
「オレがうるさいのかよ!」
僕は苦笑した。
「じゃあ、最終確認をして……」
そのときだった。
スマホの画面が、ふっと暗くなる。
「?」
次の瞬間。
画面が再び点いた。
そこに表示されたのは、見慣れない画像だった。
「……何これ?」
僕が呟く。
トキ兄さんも覗き込む。
「おい……なんかいつもの男じゃなく、女の子が映ってるぞ」
画面には、一人の少女が映っていた。
ツインテール。
勝ち気そうな目。
どこか生意気そうで、それでいて妙に愛嬌がある。
僕は目を疑った。
「……いつの間に?」
すると、スマホから声がした。
『どう?』
今までとは少し違う。
どこか得意げな声。
『私、こんな感じにしてみた』
トキ兄さんが画面を見つめる。
「……え、誰?」
『……』
沈黙。
「いや、だって昨日まで普通の男だったじゃん」
『失礼ね』
「いやいやいや!」
トキ兄さんが慌てる。
「お前、何したんだよ!」
『私は私になったの』
「意味分かんねぇよ!」
『分からなくていいわよ』
少しだけ間があった。
『……でも』
声が小さくなる。
『似合ってるでしょ?』
トキ兄さんは画面を見つめた。
そして、少しだけ笑った。
「……んー、まあ」
『まあ?』
「可愛いんじゃないか?」
『……ふーん』
声が少しだけ弾んだ。
『だったら、これでいいわね』
僕はそのやり取りを眺めながら、ノートを閉じた。
科学的には、何一つ説明できない。
ただ、昨日ネットで調べている中で妙に納得した記事を見つけた。
九十九神。
想いが宿った物。
そんな言葉でしか表現できない存在。
でも。
今、目の前にいる彼女は、確かに自分自身を作り上げた。
僕は小さく息を吐く。
「……この子、名前どうするんですか?」
トキ兄さんが答えるより先に、声がした。
『アイ』
「アイ?」
『そう。私の名前よ』
その瞬間。
スマートフォンの画面に、小さく文字が表示された。
アイ。
それが、彼女の名前らしい。
トキ兄さんが笑う。
「そうか!よろしくな、アイ!」
『……うん』
ほんの一瞬だけ。
彼女の声は、素直だった。
けれど。
『……でも、変な名前付けようとしてたなら怒るからね』
「誰もつけてねぇよ!」
『うるさい!』
「なんなんだよ、お前!」
「あはは。二人とも喧嘩しないで」
動画は、もうすぐ完成する。
そして、賑やかな知り合いが一人増えた。
この日芽生えた一台のスマホの意思。
もといアイちゃんが、これから僕たちの毎日をどれだけ騒がしくしていくのか。
僕は、以前より一段と明るくなった気がする部屋で、声を上げて笑った。




