第十四話 ここにいます
その女は、ずっと待っていた。
薄暗いトンネルの中。
車の音が響くたびに、女は顔を上げる。
「……来た?」
けれど、通り過ぎていくのは見知らぬ車ばかりだった。
女は小さく息を吐き、また手元を見る。
そこには、一つの指輪があった。
男からもらった、大切な指輪。
女はそれを指にはめることなく、手のひらの上で何度も眺めていた。
男には妻がいた。
そして、子供もいた。
それでも二人は愛し合っていた。
『妻とは話をつける』
『だから、待っていてくれ』
男はそう言った。
二人は、このトンネルで落ち合う約束をした。
ここから二人で逃げる。
そんな約束だった。
女は信じた。
だから、待った。
けれど、男は来なかった。
「……どうして?」
女は指輪を握りしめた。
「どうして、来てくれないの……?」
どれだけ待っても、男は来ない。
そして、その日。
ふとした拍子に、女は指輪を落とした。
「あ……」
小さな金属音を立てて、指輪が道路へ転がっていく。
「待って!」
女は慌てて追いかけた。
その先から、トラックが走ってきた。
――そして。
女の意識は、そこで途切れた。
* * *
「……それで、今もここにいるってわけか」
トキは、目の前の女を見ながら言った。
「その人をずっと、待ってるの……」
「ずっと……今まで、ですか?」
レンが小さな声で呟く。
「はい」
「その指輪、くれた人か」
女は黙って頷いた。
レンは、手の中の古びた指輪を見つめた。
「これが……」
「たぶん、それ当たりだな」
トキが指輪を見つめる。
「でも、どうするんです?」
「どうするって?」
「この人、ずっと待ってるんですよね」
「そうだなぁ」
「……だったら、待ってる人に何か伝えられないですかね」
トキは少し考えた。
そして、スマホを見る。
「……動画」
「動画?」
「そうだよ。動画なら、もしかしたら見てもらえるかもしれないぞ」
「いや、相手が誰なのかも分からないじゃないですか」
「そこは……まぁ、何とかなるだろ」
「何とかって……」
レンが呆れた顔をする。
相変わらず、この人は勢いだけで話を進める。
「なあ」
トキは女に向き直った。
「オレたち、動画を撮ってるんだ」
女は首を傾げる。
「もしよかったらさ。あんたの言葉を撮らせてくれないか?」
「……私の?」
「そう」
女はしばらく黙っていた。
やがて、レンの手のひらにある指輪を見つめる。
「……この人に、届くでしょうか」
「分からない」
トキは即答した。
「でも、やってみる価値はあるだろ」
そう言って、トキはニコッと笑顔を見せた。
「アンタの、大事な想いなんだろ」
女は少しだけ笑った。
「……お願いします」
「よっしゃ」
トキが頷く。
「じゃあ、まずそれ」
「え?」
「指輪」
女が指輪を見る。
「大事なんだろ?」
「はい」
「じゃあ、ちゃんと持ってな」
そう言われて、女は指輪に手を伸ばした。
けれど――。
指輪は、彼女の指をすり抜けた。
「あ……」
女が悲しそうな顔をする。
レンも、指輪を持ちながら黙り込んだ。
「あ、……そうか」
トキは、腰に差した筆を取り出した。
「ちょっとだけ手、貸してみな」
筆の穂先が淡く揺れる。
トキが女の手に筆を向け、サラサラッと渦巻き模様を描いた。
すると、ぼんやりとしか見えなかった彼女の指先が、少しずつ形を持ちはじめた。
「……触れる」
女が驚いたように呟く。
「今ならな」
トキはレンの持ってる指輪を受け取った。
そして女の手のひらに乗せる。
女は今度こそ、それを受け取った。
しばらく指輪を見つめる。
その表情は、どこか寂しそうだった。
「……そうじゃないだろ」
「え?」
トキは女の手をそっと取った。
そして、その指に指輪をはめる。
「指輪は眺めるもんじゃねえ」
女が目を見開く。
「こうして、指にはめてやるもんだろ」
指輪が、女の指で小さく光った。
「……きれい」
女は自分の指を眺めた。
そして、少しだけ笑った。
* * *
「じゃあ、撮りますね」
レンがスマホを構える。
「あー、緊張するなぁ」
「幽霊なのに緊張するんですか?」
「オレだってYouTuberだぞ」
「その肩書き、まだ誰にも認められてないですよ」
「細かいこと言うなよ」
レンがため息をつく。
女はカメラの前に立った。
少しだけ戸惑ったあと、ゆっくりと口を開いた。
「……あなたへ」
声が震えている。
「私は、ずっと待っています」
女は自分の指を見る。
「あなたからもらった、この指輪を持って……」
そして、微笑んだ。
「だから……もし、これを見ているのなら」
少し間を置く。
「……どうか、気付いて」
レンは何も言わなかった。
トキ兄さんも、黙って見ていた。
「私は、ここにいます」
最後にそう言って、女は微笑んだ。
「……終わりました」
レンがスマホを下ろす。
「どうも、ありがとうな」
トキ兄さんが言う。
女は自分の指輪を見つめた。
そして、満足そうに笑った。
「……ありがとう」
その姿が、ゆっくりと薄くなっていく。
「あ……」
レンが一歩前に出る。
女はゆっくりと消えていった。
指輪も一緒に、その場から居なくなった。
「……成仏、したんですかね」
レンは女のいた場所を見つめて呟いた。
「それは違うな」
「え?」
トキも、女がいた場所を見つめたまま言った。
「ま、成仏なんてさ……」
少しだけ笑う。
「好きな時にしたら良いんじゃねーの」
レンは、何も言えなかった。
「それよりちょっと動画見てみようぜ」
「あ、はい」
二人でスマホの画面を覗き込む。
再生する。
そこには――女が映っていた。
姿も、表情も、声も。
驚くほどはっきりと。
「……」
「……」
レンがしばらく黙ったあと、口を開いた。
「これ……」
「ん?」
「はっきり映りすぎじゃないですか?」
「んーそうか?」
「そうですよ。むしろ……」
レンは眉をひそめる。
「ヤラセっぽいです」
「……マジ?」
「幽霊がこんなに綺麗に映ってるほうが、普通は怪しいですよ」
「いやいや、でも本物だろ!」
「まぁ、僕は知ってますから」
レンは画面を見つめる。
そこには、あの女がいた。
確かに、そこにいる。
「……これ、投稿します?」
レンが聞く。
トキは少しだけ考えた。
「する」
「いいんですか?」
「アイツの大事な想いだし、な」
トキは、スマホを手に取った。
「届くかどうかなんて、投稿してみなきゃ分からないだろ」
レンは黙って頷いた。
そして――。
「……あの」
「ん?」
レンが何かを思いついたような顔をした。
「僕、一つ提案があるんですけど」
「提案?」
「はい」
レンは、スマホの画面を見ながら言った。
「この動画――」
そこで、言葉を止めた。
「……いや、これなら……」
レンの表情が変わる。
トキは首を傾げた。
「何だよ?」
レンは答えた。
「もう一つ、別で動画を撮りませんか?」
トキは目を丸くした。
「……もう一つ?」
レンは頷いた。
「はい。今度はその動画で――」




