第十二話 もう一人じゃない
レンと別れてから、トキはしばらく歩いていた。
さっきまで隣にいた人間の姿が、妙に頭から離れない。
自分の姿が見える。
自分の話を聞いてくれる。
しかも、動画まで見ていた。
思い返すたびに、口元が緩んでしまう。
「……へへ」
気づけば、ひとりで笑っていた。
誰かに見られていたら、間違いなく気持ち悪がられる顔だった。
「おかえりなさい」
家に戻ると、フリーがいた。
「おう。ただいま」
「……なんか、嬉しそうですね」
「そうか?」
「そうですよ」
フリーは少しだけ呆れたように言った。
「ちゃんと会えたんですか?」
「んー?」
トキは少し間を空ける。
そして、ニヤッと笑った。
「レンにちゃんと会えた」
「……」
フリーが黙った。
「おい、なんだよその顔」
「別に」
「絶対なんか思ってるだろ」
「別に何も」
「お前、最近ちょっと俺に対して辛辣じゃね?」
「気のせいです」
フリーはそう言って、ぷいっと顔を背けた。
トキは笑った。
「まあいいや。でさ、今度また会うことになったんだよ」
「……そうですか」
フリーは呆れたように深く息を吐いた。
「てことは、また僕は労働を強いられるわけですか」
「うん」
「……労働基準監督署に訴えましょうかね」
「労働……?なんて?」
「何でもないです」
その返事だけで、トキはまた嬉しそうに笑った。
フリーはそんなトキを見て、少しだけ目を細めた。
「……まぁ、よかったですね」
「おう!フリー、ありがとうな!」
短い言葉だった。
けれど、お互いそれで十分だった。
*
「あら」
聞き覚えのある声がした。
「ん?」
振り返る。
そこにいたのは、琴子だった。
「お! ぬらりひょんじゃん!」
「ヨリアキ、なんだか機嫌良さそうね」
「え、わかる?」
「それだけ締まりのない顔してたらねぇ」
「なんだよ、それ」
琴子はくすりと笑った。
「なんだか久しぶりね、ヨリアキ」
「そうでもないだろ」
「そうかしら?」
「たぶん」
「ふふ」
琴子の視線が、トキの手元へ向いた。
そこには、いつものスマホがあった。
「実はさ、最近面白いヤツに会ってよー」
「面白いヤツ?」
「オレが見える人間なんだけどさ、そいつオレの動画見てくれてたんだよ〜」
トキは嬉しそうにスマホを見せる。
「しかもオレの動画、面白いってさ〜」
「へぇ」
琴子の目が、スマホへ向く。
「変な人間も居たもんだねぇ」
「だろ〜!」
トキは笑う。
「でさ、今度また会う約束してるんだよね!」
「そう……」
ほんの一瞬。
画面が、淡く光った。
トキは気づかなかった。
けれど、琴子は気づいていた。
ほんの少しだけ、口元が緩む。
「だから色々準備しないとさー。ごめんだけど、また今度ゆっくり話すよ」
「ええ。そうしてちょうだい」
「じゃ!」
トキが歩き出す。
琴子はその背中を見送った。
そして、もう一度スマホを見る。
「……あなた、気に入ったのね」
「ん? 何が?」
トキが振り返る。
「別に、何でもないわ」
琴子は微笑んだ。
「ヨリアキ」
「ん?」
「あんまり無茶しちゃだめよ」
「おう!」
トキは軽く手を上げ、そのまま歩いていった。
琴子は、その姿が見えなくなるまで見送っていた。
トキは手の中のスマホを、ポケットに入れる。
ただその一瞬、画面が一度だけ明るくなった。
「……大事にするんだよ」
琴子は小さく呟いた。
*
その日の夜。
トキは、ひとりで考えていた。
レンのこと。
自分のこと。
そして、これからのこと。
今までなら、面倒なことは後回しにしていた。
わからないことがあれば、適当に笑って誤魔化していた。
けれど。
「……あいつには、ちゃんと見せてやるか」
ぽつりと呟いた。
見せても大丈夫なのか。
自分でも、まだよくわかっていなかった。
フリーの言葉を思い出した。
危なくないですか?
ただ、レンには知ってほしかった。
自分が何なのか。
なぜここにいるのか。
そして――
自分が、何をしたいのか。
全部じゃなくても、いずれ……。
「……まあ、考えてもわかんねーや」
トキは立ち上がった。
「ま、行ってみるか」
*
トンネルに着いた。
薄暗い。
相変わらず嫌な空気が漂っている。
「……誰もいねぇか」
トキが辺りを見回した。
そのとき。
「トキさん?」
「ん?」
聞き覚えのある声。
振り返る。
「レン?」
そこにレンが立っていた。
「……こんばんは」
「おう」
二人とも、少しだけ黙った。
約束をしたわけじゃない。
待ち合わせたわけでもない。
それなのに、同じ場所に来ていた。
「お前も来てたんだな」
「トキ兄さんも」
「まあな」
トキは笑った。
レンは少しだけ迷ってから、口を開いた。
「トキ兄さん」
「ん?」
「少し、聞きたいことがあります」
「なんだ?」
「トキ兄さんは……何なんですか?」
トキは黙った。
少し考える。
「幽霊……だな」
「それは見ればわかります」
「そりゃそうか」
「じゃあ、どうして普通の人間にも見えるんですか?」
レンは、自分のスマホでオレの動画を見せてきた。
「うーん……」
トキは頭を掻いた。
「そこはオレも、よくわかんねぇ」
「……」
「でも」
トキはレンを見る。
「オレが何なのか知りたいなら――」
おもむろに、腰に差していた筆を取り出した。
「見せたほうが早い」
「……?」
トキは筆を手に持つ。
そして、自分の手のひらへ筆を走らせた。
描いたのは、渦を巻くような線だった。
ぐるり。
ぐるり。
一本の線が、中心へ向かって収束していく。
「何を……?」
「まあ、見てろって」
最後の線を描き終えた。
その瞬間。
空気が変わった。
何かが強くなったわけではない。
大きな音がしたわけでもない。
ただ。
そこにいるトキの存在が、ほんの少しだけ濃くなった。
レンは思わず息を止めた。
「……トキ兄さん」
「ん?」
「これって、もしかして……」
レンはスマホを操作して、カメラを起動する。
トンネルの中を映す。
そこには。
トキがいた。
「……映ってる」
「お?」
トキが画面を覗き込む。
「おお!」
自分の姿が、画面の中に映っている。
トキは目を輝かせた。
「やっぱ映ってんじゃん!」
「……はい」
「お前のスマホでもさ!」
「……はい」
「よし!」
トキは拳を握った。
「撮ろうぜ!」
「は?」
「動画!」
「今からですか?」
「今だろ!」
「いや、ちょっと待ってください」
「何を?」
「今、僕はトキ兄さんのことを聞いてたんですけど」
「だから見せたじゃん」
「そういう意味じゃ……」
「細かいことはいいって!」
トキはレンの肩を掴んだ。
「ほら! 女の幽霊探そうぜ!」
「話が早すぎます!」
「だって映るようになったんだぞ!」
「いや、そうですけど!」
「じゃ、行こうぜ!」
「ちょっと!」
トキはそのままトンネルの奥へ歩いていく。
レンは慌てて後を追った。
「トキ兄さん!」
「なんだ?」
「……さっきのは何だったんですか?」
「ん?」
「手に描いたやつです」
「ああ」
トキは自分の手を見る。
「先輩に教えてもらった」
「先輩?」
「そうそう」
「先輩って、誰ですか?」
「んー……」
トキは少し考えてから笑った。
「オレに生き方を教えてくれたヤツ、かな」
「……」
「ま、死に方の方が正しいかな?」
トキは笑いながら辺りを見回す。
ただ、レンは納得していない顔をした。
「それより、幽霊探しだ!」
「……はい」
少し呆れた様子でレンも後を追う。
二人は並んで歩き始める。
暗いトンネルの奥へ。
トンネルに出る女の幽霊を探して。
そしてトキは、いつものように楽しそうに笑っていた。
「どこだー! 出てこーい!」
「そんな呼び方で出てくるんですか?」
「知らん!」
「知らないんですか……」
「いるかどうかなんて、呼んでみなきゃわかんねーだろ!」
「そういうものなんですかね……」
大声と小声。
二人の声が、トンネルの奥へ響いていく。
その少し前。
誰にも気づかれないところで。
トキの持つスマートフォンの画面が、一度だけ明るく光った。
まるで。
楽しそうなトキを、そっと見ているように。




