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第十一話 おかしな人

第十一話 おかしな人


 それは大学の講義中だった。


 教授の声を聞きながら、レンはノートに淡々と文字を書き込んでいた。


 前のスクリーンには難しい数式が並んでいる。


 周囲では、キーボードを叩く音や、シャーペンを走らせる音が小さく響いていた。


 いつもと変わらない講義。


 いつもと変わらない時間。


 そんな時だった。


「ねえ、昨日これ見た?」


 ふと後ろの席から、女子学生の声が聞こえた。


「なに?」


「ほら、これ。心霊スポット行ってる人の動画」


「またそういうの?あんたも本当好きだよねー」


「そーゆーんじゃないって」


「んじゃ何よ」


「これ、他の動画とちょっと違うんだけど結構面白いよ。このさぁ…」


 レンの手が止まった。


 別に、心霊という言葉に反応したわけではない。


 その次に聞こえた名前に反応した。


「トキヨリアキって人」


 レンはゆっくり顔を上げた。


「……」


 トキヨリアキ。


 聞き間違えるはずがなかった。


 スマートフォンに映っていた、あの男。


 幽霊。


 そして、自分が確かに会った存在。


「この人、心霊スポット行ってるのに、めっちゃ楽しそうに喋るね」


「うん。別に何も映ってないのにさー」


「そこが逆に大げさで面白いんじゃない?」


「でも、この人ちょっと変じゃない?」


「何が?」


「なんかさぁ、少し透けてない?」


「そう?何か画像粗いし、たまたまじゃない」


「そうかなぁ……」


 レンは何も言わず、再びノートへ視線を落とした。


 だが、もう講義の内容は頭に入ってこなかった。


 トキヨリアキ。


 あの動画。


 そして。


 何も映っていない。


 その言葉が、頭の中に引っかかった。


 講義が終わると、レンは後ろの席の二人に近付いた。


「ごめん。ちょっと、いい?」


 急に声をかけられて二人は少し驚いた様子だったが、構わず話を続けた。


「さっきさ、怖い動画の話してたよね」


「え、……そう、だけど」


「その動画ってさ、まだ見られる?」


「え?うん。これだけど」


 差し出されたスマートフォンの画面を見る。


 そこには、見覚えのある顔が映っていた。


『どうもー! トキヨリアキでーす!』


 画面の中のトキ兄さんは、いつもの調子で喋っている。


 レンは黙って動画を見た。


 そして、二人に尋ねた。


「あのさ。この人以外に、何か見えた?」


「え?」


「この動画で。何か変なものが映っていたとか」


「んー。……いや、別に?」


「そういうのないよー。普通にこの人が喋ってるだけ」


「……そう」


 レンはスマートフォンから目を離した。


 胸の奥に、妙な感覚が残る。


 自分には見えていた。


 あの場所にいた、女の幽霊も。


 それ以外の存在も。


 けれど、この人たちには見えていない。


 なのに。


「トキ兄さんは、見えている……」


 レンは小さく呟いた。


 これまで、レンは単純に考えていた。


 自分が幽霊を見ることができる。


 だから、トキ兄さんを見ることができる。


 そういうものだと思っていた。


 だが、それなら説明がつかない。


 普通の人間にも、トキ兄さんは見えている。


 しかし、他の幽霊は見えていない。


 ならば。


 トキ兄さんだけに何か違いがある。


「動画見せてくれて、ありがとう」


「あ、……いえ」


 彼女達へ軽く礼を言って、すぐに教室を出た。


 その足で、レンは大学の図書館へ向かった。


 机に資料を広げる。


 これまで調べてきた幽霊についての記録。


 心霊現象。


 目撃証言。


 映像。


 古い文献。


 どれも決定的な答えにはならない。


 そもそも、幽霊そのものを科学的に証明できているわけではない。


 それでもレンは調べ続けてきた。


 見える。


 見えない。


 感じる。


 感じない。


 その違いには、何か条件があるはずだ。


「……波長とか?」


 ふと、以前考えたことが頭をよぎった。


 人間が発するもの。


 幽霊が発するもの。


 それぞれに違いがあるのだとしたら。


 自分が幽霊を見られる理由も。


 トキ兄さんが他の人間にも見えている理由も。


 どこかに共通するものがあるのかもしれない。


 ただ、それだけではまだ足りない。


 トキ兄さんには、何かがある。


 あのスマートフォンにも。


 あの場所にも。


 レンは記憶を辿った。


 だが、決定的な事は思い出せない。


 それでも、何かが引っかかる。


 もし、トキ兄さんに何か秘密があるのなら。


 それとも、トキ兄さん自身が特殊なのではなく、他にも何か関係している可能性もある。


 レンは動画をもう一度再生した。


 トキ兄さんが喋っている。


 無駄に元気だ。


 心霊スポットに来ているというのに、まるで観光にでも来たようなテンションだった。


「……この人」


 レンは画面を見つめた。


「本当に、何も考えていないのかな」


 そう呟いてから、少し考える。


 いや。


 そんなはずはない。


 トキ兄さんは軽く見える。


 実際、かなり軽い。


 けれど、あの時。


 自分に向けた言葉。


 自分を待っていたこと。


 あれを思い出すと、単純に何も考えていない人には思えなかった。


 むしろ。


 自分とは違う方法で、何かを考えている……かもしれない。


「……」


 レンは動画の再生数を見た。


「これなら……」


 少しだけ考える。


 トキ兄さんの動画は、比較的短くまとまっている。


 内容自体は悪くない。


 ただ、編集がほとんどされていない。


 タイトルも安直なものばかり。


 心霊動画として見るなら、もっと見せ方を工夫した方がいい。


 例えば、最初に短い説明を入れる。


 音楽を入れる。


 重要な場面を切り取る。


 サムネイルも変えた方がいい。


「……僕なら」


 そこまで考えて、レンは手を止めた。


 なぜ自分は、そこまで考えているのだろう。


 動画を伸ばしたいのは、トキ兄さんだ。


 自分ではない。


「……」


 レンはしばらく黙っていた。


 そして、スマートフォンの画面を閉じた。


 考えても分からないことだらけだ。


 だったら。


 調べればいい。


 それでも分からないなら。


 本人に聞けばいい。


 レンは立ち上がった。


「……直接聞くのが早い、か」


 独り言のように呟く。


 今度は、自分から。


 トキ兄さんが幽霊だからではない。


 自分が幽霊を見えるからでもない。


 ただ、知りたい。


 なぜトキ兄さんだけが、普通の人間にも見えるのか。


 その理由は何なのか。


 そして。


 トキヨリアキという男は、一体何なのか。


 答えはきっと、トキ兄さんが知っている。


 レンは鞄を肩に掛け、図書館を出た。


 遠くなっていくその背中を。


 少し離れた場所から、見つめる視線があった。


 ただ、レンは気づかない。


 振り返ることもなく、そのまま歩いていった。


 その想いも。


 まだ名前のない、小さな興味も。


 人知れず、その場所に残っていた。

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