第7話:宿場町の罠と、粘り勝ちの麦とろ御飯
1
峠を越えてしばらく街道を進むと、目の前ににぎやかな町並みが見えてきた。
瓦屋根の旅籠や飯屋が所狭しと立ち並び、天秤棒を担いだ行商人や、旅装束の獣人、エルフたちがせわしなく行き交っている。その風情は、歌川広重の浮世絵に描かれた東海道五十三次の宿場町そのもの――ただし、旅籠の看板に「魔導馬車・発着所」と書かれていたり、宿の呼び込みをしている町娘の頭に狐の耳が生えていたりする点を除けば、だが。
「素晴らしい……! 街道の宿場町といえば、十返舎一九の『東海道中膝栗毛』、弥次さん喜多さんの世界だ。そして、山を越えた先にある大宿場町といえば……やはり、あの歴史ある『とろろ汁』をおいて他にないだろ!」
俺が一人で鼻息を荒くしていると、横を歩くカエデがジト目でこちらを見てきた。
「ツヨシ、またお前の『前世の病気』が始まったのか。これから私たちが向かうのは、お前の国元の藩であって、美味いものを食い散らかす修学旅行ではないのだぞ」
「カエデ殿の言う通りだ、ツヨシ」
陣内先生も苦笑いしながら頷く。
「家老の手の者がいつ襲ってくるかも分からん。ここは気を引き締め――」
「おやおや、お噂はかねがね! もしかして、国元からお越しの秋山陣内様、そしてツヨシ様でございますか!?」
突然、宿場町でも一、二を争うほど豪華な大旅籠『丸子楼』の主人が、揉み手をしながら満面の笑みで飛び出してきた。
「はあ、そうですが……」
「お待ちしておりました! 我らが藩の新家老様から直々に伝言を授かっております。『これまでの非礼をお詫びし、一度国元でじっくり和睦の話し合いをしたい。道中は我が藩が誇る最高級の宿を用意するゆえ、旅の疲れを癒やしてくだされ』とのこと! ささ、特上の離れと、極上の肉料理をご用意しております、中へどうぞ!」
至れり尽くせりの大歓迎。
陣内先生は驚き、「家老が我々の決意を知って、ついに折れたのか……?」と一瞬、表情を緩めかけた。
だが、俺の「時代小説マニア脳」が、即座に猛烈な勢いで警報を鳴らし始めた。
「おいおいおいおい、上田秀人先生の『奥右筆秘帳』を読んできたこの俺を舐めちゃいけない。組織のトップ、それも一度は暗殺部隊まで放ってきた冷徹な黒幕が、急にこんな恭順な態度を見せた時は100%裏がある。毒殺か、あるいは深夜に周囲から火を放って物理的に『焼き殺す』の二択だ。これは俺たちの足を止め、油断させるための時間稼ぎの罠に決まっている!」
俺はフッと不敵な笑みを浮かべ、あえて主人の誘いに乗ることにした。
「へえ、そいつはありがたい。親切を無にするのは野暮ってもんだ、先生、今夜はここに泊まりましょうや」
2
案内された離れの間は、これ以上ないほど豪華だった。
テーブルの上には、異世界の高級魔獣の肉をこれでもかと使った、派手だが大して美味しくなさそうな油ぎった料理が並んでいる。
「ツヨシ、本当に大丈夫なのか? 毒が仕込まれているのでは……」
陣内先生が刀を握ったまま、警戒を怠らない。
「先生、心配いりませんよ。カエデさん、天井裏をちょっと見てきてくんな」
「ふん、言われなくとも」
カエデが煙のように天井へと跳ね上がり、数分後に音もなく戻ってきた。
「やはりな。旅籠の周囲の民家に、新家老の息がかかった『暗殺マジシャン部隊』が十数人、魔法の触媒や爆弾を抱えて身を潜めている。夜更けにこの離れごと、私たちを魔法の炎で焼き払う算段だろう」
「なるほど、焼き殺しの方か。実に合理的で組織的な隠蔽工作だねぇ」
俺は並んだ高級料理には目もくれず、市場でこっそり仕入れておいた「竹の皮の袋」を開いた。
「敵が外で夜襲の準備をしてるってのに、お前は何をヘラヘラしているんだ!」
カエデが声を荒らげるが、俺の関心はすでに別のところへ向いていた。
袋の中から取り出したのは、表面にびっしりとひげ根が生えた、妙にずっしりと重い一本の芋だ。
「これだよ、これ。異世界の『魔導・自然薯』だ。すり下ろすと凄まじい魔力と、粘り気を放つという下町の名物。今夜はこれを使って、胃に優しい『とろろ汁(麦とろ御飯)』を作るぞ!」
池波正太郎先生はエッセイでこう書いている。
『旅先で疲れ果てた胃の腑には、とろろ汁に勝るものはない。すり鉢で丹念にすり下ろした自然薯を、上質な出汁と味噌で伸ばし、炊きたての麦飯にぶっかける。これさえあれば、他におかずなど何もいらぬ――』
「おい、ツヨシ。すり鉢はどうするんだ?」
陣内先生が呆れ顔で尋ねる。
「へへ、こんなこともあろうかと」
俺はカエデが背負っていた、丸い魔導金属製の防具(小盾)をひったくった。
「ちょっと盾を借りるぜ。裏側の凹凸が、すり鉢の代わりに丁度いいんだ」
「なっ……! 私の形見の盾を芋すり器にするなッ!」
カエデの抗議を無視し、俺は小盾の裏側で魔導自然薯をゴリゴリと力強くすり下ろし始めた。
すると、芋はみるみるうちに純白の、しかし触れただけで手が張り付きそうなほど凄まじい「粘り気」を持つとろろへと変貌していった。そこへ、第五話の軍鶏なべで残っていた火炎鳥の出汁と、ココノエ味噌を少しずつ加え、滑らかになるまで伸ばしていく。
さらに、峠の茶屋で残った「爆裂米の麦飯ブレンド」をふっくらと炊き上げた。
「さあ、罠の前の腹ごしらえだ。ズズッと一気にいっちゃってください!」
3
炊きたての麦飯のプチプチとした香ばしい香りと、味噌と出汁が完璧に調和したとろろの香りが、部屋の中に広がった。
俺は青海苔の代わりに見つけてきた薬草をハラリと振り、麦飯の上にたっぷりととろろ汁をかけた。お椀に口をつけ、一気にかき込む。
――ズズズ、ズズズズズッ!!!!
「っ……!!!!」
美味い! 思わず脳内で池波先生が「うむ」と深く頷く姿が再生された。
魔導自然薯のねっとりとした濃厚なコクと滋味が、出汁の旨味によって何倍にも膨らんでいる。それが麦飯のプチプチとした最高の食感と絡み合い、噛む必要すらないほどの滑らかさで喉を通り過ぎていく。
長旅と峠越えで完全に疲れ切っていた胃袋が、この優しくも力強い栄養によって、じわじわと満たされていくのがリアルに分かった。
「……う、美味いな、これ」
陣内先生が、最初は恐る恐る口をつけたものの、二口目からは「ズズズッ! ズズズッ!」と、猛烈な音を立ててとろろ汁を流し込み始めた。
「芋の粘り気が、出汁と味噌の旨味を完全に抱え込んで離さぬ! 麦飯との相性も抜群だ。これなら、いくらでも食えるぞ!」
カエデも、最初は「私はこんなネバネバしたものは……」と嫌がっていたが、俺が「旅の疲れが一気に吹き飛ぶぜ?」と勧めると、意を決してお椀に口をつけた。
――ズズズッ。
「……っ!?」
瞬間、カエデの美しい耳がピンと直立した。
「な、何これ……! 見た目はあんなに不気味なのに、信じられないほど優しい味がする……。体が、中からポカポカと温かくなってきた……」
そこからはもう、いつもの通りだ。ツンデレのデレ(食欲)が完全全開になり、お椀を抱えて「ズズズッ! ハフハフ!」と、 comical なほど夢中で麦とろ御飯を胃袋へ収めていく。
「ははは、粘り勝ちってね。さて、胃袋も元気になったところで、外のネバネバした悪党どもの片付けを始めましょうかね」
俺は、すり鉢代わりの盾の底に残った、魔導自然薯の「超・強力な粘り気エキス」が入ったバケツを手に取り、ニヤリと笑った。
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夜更け。
旅籠の周囲に潜んでいた「暗殺マジシャン部隊」が、一斉に呪文を唱え始めた。
「よし、離れを完全に包囲したぞ。一斉に火炎魔法を叩き込み、証拠もろとも焼き殺せ!」
彼らが杖を掲げ、特大の火の玉を放とうとした、その瞬間だった。
離れの窓がガラッ!と勢いよく開いた。
「おい、お前ら! 夜中にコソコソと火遊びなんかしてんじゃねえよ! とろろ汁の余韻が台無しだろ!」
ツヨシの叫びとともに、バケツ一杯の純白の液体が、窓から外の暗殺部隊に向けて豪快にバシャァァァン!!!とぶちまけられた。
「な、何だこれは!? 敵の迎撃魔法か!?」
リーダーの魔術師が顔面にそれを浴び、慌てて拭おうとした。だが、それが運の尽きだった。
「な、手が、顔から離れない!?」
「私の杖が、床に張り付いて動かん!?」
「床から足が抜けんぞ! 一体どんな呪術だ、これは!」
そう、俺がぶちまけたのは、魔導自然薯の魔力を極限まで凝縮した「超・強力接着剤エキス」だった。触れたものを一瞬で強固に結合させるその粘り気の前に、暗殺部隊は杖を持ったまま、あるいは互いに背中を張り付かせたまま、 comical にもつれ合って完全に身動きが取れなくなったのだ。
「魔法を唱える暇があったら、もっと足元を警戒しなきゃな」
俺は刀を鞘に収めたまま、庭へとひらりと飛び降りた。
『居眠り磐音』の無形の構えから、身動きの取れない暗殺者たちの間を滑るように移動する。今野敏先生のプロの執行官のように、一切の無駄を排した動きで、動けない敵の首筋や肩を、魔導刀の鞘でポン、ポン、ポンと的確に叩いていく。
「アッ」「ウグッ」「ママ、マイ、マァ……」
接着されたまま、暗殺部隊は次々と白目を剥いて気絶していった。
最後の一人を叩き伏せたところで、天井裏から飛び降りてきたカエデが、呆れ果てた顔で俺を見た。
「……ツヨシ。お前は剣術だけでなく、芋の使い方まで天才的なのか? 元隠密の私ですら、こんな芋の粘り気で全滅した部隊は見たことがないぞ」
「ははは、これが江戸前の『粘り腰』ってやつですよ、カエデさん」
5
翌朝。
大旅籠『丸子楼』のロビーは、異様な緊張感に包まれていた。
主人が真っ青な顔でガタガタと震えながら、チェックアウトの手続きをする俺たちを見つめている。庭には、昨夜の暗殺部隊が「芋の粘り気」でラグビーのスクラムのように全員がガッチリと接着された状態で、一列に転がされていた。
「いやあ、実に良い宿でした。離れは静かだし、特にあの『とろろ汁』の再現には最高の場所でしたよ。新家老様によろしく伝えておいてくんな。今度はもっと、歯ごたえのある刺客を頼みますってね」
ツヨシが爽やかな笑顔で言い残し、俺たちは平然と旅籠を後にした。
後ろで主人が「ひ、ひえええ……!」と腰を抜かす音が響く。
街道に出ると、秋の爽やかな風が俺たちの頬を撫でた。
「ツヨシ、お前のその、敵の罠を真っ向から嘲笑うような戦い方……見ていて実に痛快だな」
陣内先生が、かつての堅物さをどこかへ置き忘れたように、楽しそうに笑った。
「これで家老の奴も、お前という存在を完全に恐怖するに違いない」
その頃、国元のお城では――。
「何だと!? 放った暗殺部隊が、一人も斬られることなく『芋の粘り気』で全滅しただと!?」
豪華な執務室で、お家騒動の黒幕である新家老が、報告を聞いて椅子から転げ落ちんばかりに驚愕していた。
「あの脱藩浪人のツヨシ……! 剣術だけでなく、植物の魔力を操る恐るべき『呪術師』でもあったのか!? 凄絶すぎる、生かしておいては我が藩が滅ぼされる……っ!!」
上田秀人作品の悪党のように、ツヨシの能力を勝手に過大評価して、一人で大パニックに陥っている新家老。
そんな敵の焦りなど露知らず、俺は街道を飄々と歩きながら、カエデの小盾(きれいに洗った)を彼女に返した。
「さあ、カエデさん、盾を返すぜ。おかげで最高の麦とろが食えた」
「二度と私の盾で芋をすするな! ……でも、あの、美味しかったから、次の宿場町でも何か、胃に優しいものを作ってくれても、いいぞ?」
「おや、すっかり俺の胃袋チートの虜ですね」
「うるさい、斬るぞ!」
comical な掛け合いを響かせながら、俺たちの国元への道中はにぎやかに続いていく。
「さて、次はどんな美味いものに出会えるかな?」
秋空の下、俺たちの歩調はどこまでも軽く、粋に街道を駆け抜けていくのだった。




