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異世界に転生しちゃったので浪人になってみた  作者: 羽越世雌
第2章:激闘の旅立ち(ロードムービー)編
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6/20

第6話:旅の始まりは、爆裂米のおにぎりと峠の刺客

1

旅立ちの朝というものは、どうしてこうも胸が躍るのだろうか。


東の空が白み始めた頃、俺が数ヶ月暮らした下町の長屋の前には、驚くほどの黒山の人だかりができていた。三吉をはじめとする魚市場の面々、『つよし寿司』の屋台の常連だった町人たち、そして近所の獣人の子供たちが、名残惜しそうに俺を取り囲んでいる。


「ツヨシの旦那、本当に言っちまうのかい? 旦那の寿司が食えなくなるなんて、下町全体の損失だよ」

「そうだそうだ! 国元の悪い奴らなんて、旦那の剣でササッと片付けて、早く戻ってきておくれよ!」


口々に叫ぶ彼らの中心で、エルフの大家のばあさんがキセルをパチリと鳴らし、フイとぶっきらぼうに大きな袋を俺の足元に置いた。


「ふん、湿っぽいのは嫌いだねぇ。ほら、これはあんたの好物だった『魔導蕎麦粉』の残りと、日持ちのする乾物さ。餞別代わりに持っていきな。……死ぬんじゃないよ、浪人さん」


「――かたじけない、大家さん。皆の衆も、ありがとよ」


俺は袋を背負い、腰の魔導刀の位置を確かめた。


俺の脳内時代小説ライブラリーが、この光景に最高のリスペクトを捧げる。

「これだよ、これ。佐伯泰英先生の『居眠り磐音』でも、磐音が国元へと戻る旅立ちの際には、金兵衛長屋の人々が涙ながらに見送ってくれたものだ。この旅情、この粋な人情の交錯こそが、時代小説の真骨頂なんだよな!」


そんな俺の横で、「ふん、朝から騒々しい」と冷ややかに腕を組んでいる美しいエルフの娘がいた。前回の事件で俺の部屋にトゲウオを持ち込み、その後の夜襲でもちゃっかり天ぷらをガツガツと平らげていた、あの裏組織の元密偵――名前を「カエデ」という娘だ。

なぜか彼女は「お前たちの監視と、あの時の寿司と天ぷらの恩返しだ」と言い張り、この旅に同行することになっていた。


そしてもう一人、白髪交じりの髪をきっちりと結んだ堅物老侍、俺の剣の師である秋山陣内先生。


「ツヨシ、カエデ殿。時間は惜しい、出発するぞ」


こうして、冴えない浪人、堅物老侍、ツヨシの胃袋に胃袋を掴まれたツンデレ元密偵という、奇妙な三人連れの【激闘の旅立ち編】が幕を開けたのだった。


2

神平城京(ネオ・ヘイジョウ)の巨大な城門をくぐり抜け、自然豊かな街道を進むこと数刻。

見上げる空はどこまでも青く澄み渡り、街道の両脇には異世界の奇妙な木々が色鮮やかな葉を揺らしている。カラスの代わりに小型の翼竜が鳴く声すら、どこか旅情を誘うBGMのように聞こえてくるから不思議なものだ。


しかし、いくら体が軽くなる転生チート持ちとはいえ、険しい峠道をひたすら歩き続けるのは骨が折れる。


「ふう……。先生、カエデさん。そろそろあそこに見える峠の茶屋で、昼飯にしませんかね。歩き疲れて、腹の虫が『隠蔽捜査』の警察庁長官並みに厳しく自己主張を始めてます」

「お前の腹の虫の例えは相変わらず意味が分からんが……うむ、少し休むか」

陣内先生が額の汗を拭いながら頷いた。

「私は別に、まだ歩けるが……お前がそこまで言うなら、付き合ってやってもいい」

カエデもフイとそっぽを向きながら、耳をピクリと動かした。素直じゃないねぇ。


俺たちは街道の頂上付近にある、見晴らしのいい木造の茶屋へと滑り込んだ。

店を切り盛りしているのは、これまた時代小説お約束の、人の良さそうな中年の夫婦……の姿をした人間の男女だった。


「いらっしゃい! 旅のお侍さん方、お茶かい?」

「ああ、お茶を三人前。それと、席を貸してくんな。飯は自分たちで持ってきたのがあるんでね」


俺はそう言うと、荷物の中から竹の皮に包まれた大きめの塊を取り出した。

旅の道中食といえば、これをおいて他にない。日本人が数千年にわたり愛し続けた旅の最強相棒、「おにぎり」である。


もちろん、ただのおにぎりではない。今朝、長屋を出る直前に仕込んできた特製だ。

米には、炊き上げると一粒一粒がパチパチと弾けるように芳醇な香りを放つ異世界の最高級米「爆裂米」を使用。

そして具材には、第1部で大ヒットしたあのクラーケン・マグロの赤身を、ココノエ醤油と酒、生姜に似たピリッとする薬草でじっくりと水分が飛ぶまで煮詰めた「特製マグロ時雨煮」を、大家のばあさん特製のカブの塩漬けの刻みとともに、これでもかと混ぜ込んである。


さらに海苔の代わりに、街道の市場で見つけた「香草の葉(乾燥させると海苔のようにパリパリになり、天然の塩気がある葉)」をぐるりと巻いていた。


「さあ、お二人とも。江戸のファストフードの粋、旅籠の弁当の王様を召し上がれ」


3

竹の皮を開いた瞬間、三畳一間の長屋で炊いた時と同じ、あの爆裂米の圧倒的に香ばしい香りが峠の爽やかな風に乗って広がった。


「これは……握り飯か? しかし、随分と良い匂いがするな」

陣内先生が興味深そうに特大のおにぎりを手に取った。カエデも、じーっと俺の手元を見つめている。


「旅の空の下で食うおにぎりほど、男の胃の腑を慰めるものはない――ってね。さあ、豪快にガブリといっちゃってください」


俺は自分のおにぎりを掴むと、大きく口を開けてかぶりついた。


――パリクゥッ、モグモグ……。


「っ……!!!!」

美味い! 思わず脳内で池波先生のエッセイの一節が完璧なフォントで再生される。

爆裂米の一粒一粒が口の中で心地よく弾け、噛むたびに米の甘みが広がる。そこへ、中に仕込んだマグロ時雨煮の濃厚な甘辛さと、カブの塩漬けのコリコリとした食感が最高のアクセントとなって押し寄せてくるのだ。外側に巻いた香草の葉のパリパリ感と程よい塩気が、全体の味を見事に引き締めている。


歩き疲れて塩分と糖分を欲していた体に、この美味さは五臓六腑へダイレクトに染み渡る衝撃だ。


「……むうっ!」

陣内先生が、一口食べた瞬間におにぎりを凝視して声を漏らした。

「何だこれは……! 握り飯の中に、これほど深い味わいが隠されているとは。米の美味さもさることながら、この中の魚の時雨煮のコク、そしてこの葉の塩気……。歩き疲れた体に、活力がみなぎるのが分かるぞ!」


堅物老侍が、まるで少年のように目を輝かせて二口、三口と猛烈な勢いで食べ進めていく。

一方のカエデはというと、最初は上品に小さく口を開けていたが、あまりの美味さにフリーズした。その後は「ん、んむ……!」と、やはり密偵のプライドをどこかへ放り投げた comical な様子で、両手でおにぎりを抱え込んでガツガツと頬張っている。口の周りに米粒をつけている姿は、元隠密とは思えないほど可愛らしいものだ。


「ははは、旅にはやっぱり美味いおにぎりだ。これさえあれば、どんな険しい山道だって越え――」


俺が地茶をズズッとすすろうとした、その時だった。


茶屋の主人が、お茶の載ったお盆を持ったまま、俺たちの数歩手前でピタリと動きを止めた。

その視線、その足の指先の緊張。

さらに、茶屋の周囲を取り囲む鬱蒼とした森の中から、木の葉が擦れ合う音とは明らかに違う、張り詰めた「殺気」が静かに満ちていく。


新家老が放った、待ち伏せの刺客たちだ。


4

「――おいおい、上田秀人先生の『奥右筆秘帳』の定番じゃないか」

俺は湯呑みを静かに置き、溜息をついた。

「旅の道中、逃げ場のない峠の茶屋、あるいは寂れた宿場で、敵の隠密部隊に完全包囲される緊迫のサスペンス空間。まさに教科書通りの展開だねぇ」


「動くな、脱藩浪人ども」

茶屋の主人が、それまでの人良さそうな声を一変させ、懐から青く光る暗殺用の短剣を抜き放った。

同時に、周囲の森から、漆黒の軽装鎧をまとった十人近くの「藩の隠密弓兵部隊」が姿を現し、一斉に俺たちへ向けて魔導の矢を番えた。


「秋山陣内、そしてツヨシ。家老職の命により、藩の秘密を知る貴様らをここで『隠蔽』処分にする。矢を放て!」


「おのれ、ここまで追手が……!」

陣内先生が即座に立ち上がり、刀を抜こうとした。


だが、俺は座ったまま、トボけた顔で茶屋の主人を見つめていた。

東野圭吾先生の『加賀恭一郎』のような、鋭く理知的な洞察力が、すでに相手の正体を完全に看破していたのだ。


「お前さん、茶屋の主人を装うなら、もう少し手のケアをしておくべきだったな。お茶を出すその親指と人差し指の付け根……それは四六時中、弓の引き弦を強く引き絞っている人間にしかできない『タコ』だ。おにぎりを一口食った時には、もうあんたらの配置は丸見えだったよ」


「何だと……!?」

主人が目を見開いた瞬間、周囲の森から一斉に魔導の矢がヒュヒュヒュヒュン!と放たれた。


「先生、カエデさん、下がってな!」


俺は立ち上がりざま、腰の魔導刀を――鞘に入ったままの状態で引き抜いた。


(「磐音は、眠るが如き無形の構えから、風車のように鞘を振り回した。襲い来る矢の軌道は、男の目にはすべてスローモーションの如く映っていた――」)


脳内の磐音モードとチート能力が完全にシンクロする。

――パパパパパパァンッッッ!!!!


激しい打撃音が峠に響き渡り、放たれた十数本の魔導の矢は、俺が振り回した一本の「鞘」によって、すべて正確に叩き落とされ、地面に転がった。誰一人、かすり傷一つ負っていない。


「ば、馬鹿な!? 魔導の斉射を、鞘だけで全て叩き落としただと!?」

弓兵たちが戦慄し、次弾を番えようと動揺する。


「おにぎりを包んでいたこの竹の皮……異世界の植物だからか、妙に頑丈でしなるんだよな」


俺は手元に残っていた、先ほどのおにぎりの「竹の皮」を右手で掴むと、それを鞭のように激しくしならせて前方に振り抜いた。

――ビシィィィンッ!!!!


風を切る鋭い音が響き、竹の皮は一番近くにいた茶屋の主人の手首に巻き付き、その短剣を鮮やかに巻き取って弾き飛ばした。

さらに俺は、今野敏先生の警察小説に出てくる無駄のないプロの制圧術のように、最短の足運びで弓兵たちの懐へと滑り込んだ。


「そら、お侍の真似事をした隠密さん、おねんねの時間だ!」


刀を抜くことすらしない。魔導刀の鞘の先端(尻鞘)で、一人の弓兵の鳩尾を正確にドンッ!と突く。さらに、振り返りざまにもう一人の顎の下を柄頭でゴンッ!と一突き。

陣内先生も俺の動きに呼応し、流れるような見事な峰打ちで、残る弓兵たちの武器を次々と叩き落としていく。カエデも目つぶしの煙幕をサッと撒き、敵の連携を完全に遮断した。


わずか一分足らず。

峠の茶屋を包囲していた藩の隠密部隊は、一人も血を流すことなく、全員が地面に転がって悶絶するか気絶するかしていた。合理的かつ完璧な制圧劇である。


5

「わ、我ら藩の精鋭隠密が……おにぎりを食っていた浪人に、こうも簡単に……っ!」


縛り上げられ、茶屋の柱に一列に並べられた刺客のリーダーが、屈辱に震えながら俺を睨みつけていた。


「言っただろ、ただの食い意地の張った浪人だよ。お前たちの新家老とやらに伝えておきな。真実を『隠蔽』しようと必死になるのは勝手だが、俺たちの旅路の邪魔をするなら、次は本当に蕎麦の具にしちまうぞってな」


俺がトボけた顔で笑うと、刺客たちは恐怖に顔を歪めて黙り込んだ。


彼らの身柄を近くの宿場の保安所に引き渡す手配を済ませ、俺たちは再び、遥かなる国元へと続く街道へと歩みを進めた。峠の向こうには、異世界の広大な山々と、次なる宿場町の景色が美しく広がっている。


「ふう。やっぱり旅にはおにぎりと、ちょっとした修羅場がよく似合うな。磐音の旅路もこれくらい賑やかだった」

俺がぽりぽりと頭をかきながら歩いていると、横を歩くカエデが、まだ口の端に小さな米粒をつけたまま、ツンとした声で言った。

「……ツヨシ。次の宿場町に着いたら、また何か珍しいものを料理するのだろうな?」

「おや、カエデさん、俺の料理がすっかりお気に召したようで」

「ち、違う! 私はただ、お前が旅の途中で飢え死にしないか監視しているだけだ!」


赤面して早足になるカエデを見て、後ろを歩く陣内先生が「ははは」と豪快に笑った。

堅物だった先生も、俺の美味い飯と底知れぬ剣技のおかげで、随分と表情が柔らかくなっている。組織の重圧から解放された個人の正義が、そこにはあった。


「よし、先生、カエデさん。この峠を下りた先にある宿場町には、川魚の美味い店があるって市場の親分が言ってた。新章の旅路はまだまだ始まったばかりだ。美味いもののために、国元の悪党どもをきっちり一刀両断にしにいきましょうかね!」


澄み渡る異世界の秋空の下、俺たちの賑やかで comical な、そしてちょっと粋な国元救出の旅路は、確かな歩調とともにどこまでも続いていくのだった。

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