第4話:串打ち三年、焼きは一生、陰謀は一刀両断
1
「――いいかい、浪人さん。冗談を言ってる場合じゃないんだよ」
三畳一間の天井に開いた穴(夕べの隠密エルフ部隊の突撃跡)を、大工から借りてきた板でトントンと塞いでいると、下から大家のエルフのばあさんが、いつも以上に尖った耳をせわしなく震わせて怒鳴り散らしてきた。
「城内の最高権力者、あの『魔導公爵』の軍勢が、いよいよこの下町を丸ごと焼き払う準備を始めたのさ! あいつら、自分たちが過去に仕組んだお家騒動の証拠、この長屋の地下に眠る古い最高機密の『記録文書』を、下町の町人もろとも灰にする気だよ!」
「下町を、丸ごと焼き払う……?」
俺は金槌を打つ手を止め、天井裏から顔を覗かせた。
上田秀人先生の作品を読んできた俺には、その冷徹な組織論が痛いほどよく分かる。
巨大な権力組織にとって、一個人の命や、下町の数千人の人生など、組織の保身という大義の前には「誤差」に過ぎない。不都合な真実が露見するくらいなら、組織そのものの力で物理的に消滅させる。これぞ、上田作品の宿敵たちが平然と行う、最も合理的で最も残虐な国家の闇だ。
「おいおいおい、冗談じゃねえぞ。下町を焼き払撃されたら、俺がコツコツ築き上げた『つよし寿司』の屋台も、大家さんの長屋も、すべて灰になっちまう。だが……何より許せねえのはだ」
俺は天井からひらりと畳の上に飛び降りると、腰の魔導刀をきつく握りしめた。
「魚市場の親分から聞いたんだ。市場の裏にある『魔の沼』には、大蛇の形をした、見た目は最高に不気味だが、泥を吐かせれば極上の脂を蓄えているという黒い沼魔獣――通称『沼オオウナギ』が生息しているってな。下町を滅ぼされたら、それも全滅だろ! 俺はまだ、この異世界で『うなぎの蒲焼き』を食ってないんだ!」
「……は?」
大家のばあさんが、キセルを落としそうなほど呆然と口を開けた。
「国家の陰謀だかお家騒動だか知らんが、俺の胃袋とスローライフの邪魔をする奴は、誰であれ許さん。池波正太郎先生の、あの鰻に対する凄まじいまでの執念を、異世界の悪党どもにたっぷりと教えてやる!」
俺はよれよれの羽織を翻し、三畳一間を飛び出した。目指すは市場の裏、魔の沼である。
2
不気味な紫色の霧が立ち込める「魔の沼」は、静まり返っていた。
俺が沼のほとりに立つと、水面が大きく波打ち、ぬるり、と巨大な影が現れた。
体長は優に三メートルを超える、漆黒の巨大な沼魔獣(沼オオウナギ)。その皮膚は粘液でテカテカと光り、バチバチと青い電撃の火花を散らしている。
「ギシャアアア!」と口を裂いて威嚇してくる姿は、前世のうなぎとは似ても似つかない、紛れもない化け物だ。
「ふむ、見た目は禍々しいが、胴体のこの丸まるとした太り方……。間違いなく、皮の下には絶品の脂が詰まっている」
オオウナギが水を爆ぜさせ、電撃をまといながら猛スピードで突進してきた。
普通なら魔法の盾でも張らねば即死の威力だろう。だが、俺の脳内時代小説ライブラリーが、即座に『剣客商売』の老練な剣聖、秋山小兵衛のイメージを弾き出す。
(「小兵衛は、向かってくる敵の荒々しい呼吸を見切り、あえて刀を抜かぬまま、その突進の軌道をわずかに逸らした――」)
「そこだっ」
俺は刀を抜かず、鞘に収まったままの状態で半歩踏み込んだ。
突進してくるウナギの頭部を、魔導刀の鞘の先端で「ぬるり」と斜めに受け流す。ウナギは自分の推進力で地面に激突し、激しくのたうち回った。
その一瞬の隙を見逃さず、俺は刀を抜き放つと、刃ではなく「峰(背の部分)」を使って、ウナギの脳頭部を正確に強く叩いた。さらに、落ちていた頑丈な鉄の太い杭を拾い上げ、ウナギの首根っこへ一気に突き刺し、地面に縫い付けた。
「ふう、これぞ江戸前の基本。まずは『目打ち』だな」
巨獣はピクピクと痙攣し、完全に気絶した。
俺はウナギを担ぎ上げ、意気揚々と長屋の土間へと持ち帰った。
「さあて、ここからが職人の意地だ。串打ち三年、割き五年、焼きは一生……。異世界の魔獣とて、日本の伝統には敵うまい」
江戸前の鰻の基本は「背開き」だ。武士の街である江戸では「腹切り(切腹)」を嫌って、必ず背中から包丁を入れる。俺はチート能力でウナギの魔力線を避けながら、見事な手際で背を開き、長大な骨を綺麗に抜き去った。
さらに、池波正太郎先生のエッセイにある鰻へのこだわりが脳内を駆け巡る。
『鰻というやつは、ただ焼けばいいというものではない。一度、素焼き(白焼き)にしてから、じっくりと蒸し器で蒸し上げ、余分な脂を落としつつ、身を極限まで柔らかくする。これがあって初めて、口の中でとろける蒲焼きになるのだ』
俺は即席の巨大な蒸し器を作り、ウナギの身をじっくりと蒸し始めた。
その間に、秘伝のタレを仕込む。火炎鳥の骨を炙ってコクを出し、ココノエ醤油、そして甘味果実の果汁を極限まで煮詰めた、ドロリとした黄金色のタレだ。
「よし、仕込みは完了。ここからは、悪党どもを誘い出す時間だ」
3
長屋の前の広場に、俺は炭火をたっぷりと起こした。
蒸し上がった肉厚のウナギの身に、竹串(を巨大化させた鉄串)を打ち、炭火の上へと乗せる。
まずはサッと白焼きにし、そして、用意した究極の秘伝のタレに、どっぷりと浸す。
――ジューゥゥゥゥゥッッ!!!!
タレが炭火の上に滴り落ちた瞬間、爆発的な、そして地球上で最も凶悪に食欲をそそる煙が、下町中に解き放たれた。
甘辛く、香ばしく、どこか切ない、あの「鰻の蒲焼き」の匂いだ。
俺はうちわを手に持ち、パタパタと、その煙をわざと風上へと煽り立てた。
この匂いの破壊力は凄まじかった。
長屋の住人たちはもちろん、通りすがりの獣人たちも、まるで狐につままれたかのように、よだれを垂らしながらゾロゾロと広場に集まってくる。夕べの密偵だったエルフの娘も、物陰から目を血走らせてこちらを見つめていた。
だが、その煙は、下町を包囲しようと進軍していた、魔導公爵直属の近衛騎士団(悪党たち)の鼻腔にも容赦なく突き刺さった。
「な、なんだこの香ばしい匂いは……!?」
「くっ、精神攻撃魔法か!? 胃袋が激しく痙攣して、戦意が削がれる……っ!」
重厚な鎧に身を包んだ騎士たちが、匂いのあまりの暴力性に隊列を乱し、武器を持つ手を震わせている。
「ふははは、江戸の味の前に、貴様らの冷徹な組織論など通用するかよ!」
俺がニヤリと笑いながら団扇を煽り続けると、ついに、その匂いの源を断つべく、一隊の馬車が激しく土煙を上げて長屋の広場に乗り込んできた。
馬車の扉が開き、ゆっくりと姿を現したのは、端正な顔立ちに氷のような瞳を持つお侍――この国の最高権力者にして、全ての陰謀の黒幕である「魔導公爵」その人だった。
「貴様が、我が計画を次々と阻んできた謎の浪人か……」
公爵は腰に差した、触れたものを即座に消滅させるという禁忌の漆黒魔導刀を引き抜き、冷徹に俺を睨みつけた。
「貴様のような一介の虫ケラのために、我がゴルドル商会の利権も、下町一掃計画も狂わされた。ここでその首を刎ね、下町もろとも灰にしてくれる」
周囲の住人たちが恐怖で悲鳴を上げる。
上田秀人作品のクライマックスさながらの、張り詰めた、一触即急の緊迫感が広場を支配した。
だが、俺の頭の中にあったのは、別の深刻な危機だった。
「おいおいおい、最高権力者がわざわざ直々に出張ってくるとはな。だがな、公爵の旦那。あんた、今一番やっちゃいけない野暮を働いてるんだよ」
俺は団扇を置き、ゆっくりと腰の魔導刀の柄に手をかけた。
「うなぎの蒲焼きはな、焼き上がりの一瞬が命なんだ。あんたのつまらんお家騒動の世間話に付き合っている間に、タレが焦げすぎちまったらどうするんだ! 俺の最高の晩飯の邪魔をする奴は、国家の長だろうが神だろうが、一刀両断にしてやる!」
4
「身の程を知れ、無位無冠の浪人がッ!」
魔導公爵が地を蹴った。そのスピードは神速。漆黒の魔導刀が、黒い軌跡を描きながら俺の首筋へと容赦なく襲いかかる。
一手先、二手先を読み合う、張り詰めた精神戦。公爵の剣は、まさに国家の闇そのもののように隙がなく、冷酷だった。
だが、俺の脳内には『居眠り磐音』の、あの眠るが如き脱力構えが完全に完成していた。
(「磐音は、迫り来る漆黒の刃に対し、ただ静かに刀を抜き放った。その刃先は、月光を吸って白く輝いている――」)
「――ふっ!」
俺は一歩も引かず、公爵の魔導刀が俺の衣服を切り裂くその刹那、魔導刀をスラリと斜め下から振り抜いた。
――ガキィィィィィンッッッ!!!!
激しい金属音が響き渡り、火花が夜空に散った。
力任せに押し切ろうとする公爵に対し、俺は刀の重みと相手の踏み込みの勢いを完全に利用し、円を描くようにしてその力を上空へと受け流した。
「な、にぃ!?」
公爵の体勢が大きく崩れ、漆黒の魔導刀が手元から弾き飛ばされて、地面に突き刺さる。
「天下の最高権力者が、下町の美味い煙に釣られて直々に出張ってくるとは、野暮の極みだ!」
ツヨシの一喝とともに、俺は刀を翻し、その「峰(背の部分)」を、公爵の脳天めがけて正確に振り下ろした。
――ゴンッ!!!
見事な峰打ちの一撃が炸裂した。
「ぶふっ!?」と変な声を上げ、この国の最高権力者である魔導公爵は、白目を剥いてその場にドスンとひっくり返り、完全に昏倒した。
「こ、公爵様が、一撃で……!?」
後ろに控えていた近衛騎士団の面々は、ボスが刃すら使われずに一瞬で気絶させられたのを見て、完全に戦意を喪失した。恐怖のあまり、ガタガタと鎧を鳴らしている。
「おい、お前たち。その動けないボスを回収して、さっさと城へ帰りな。それから、下町焼き払い計画とやらは中止だ。もしまた邪魔しに来るなら、次は峰打ちじゃ済まさないよ」
俺がトボけた顔で刀をカチャリと鞘に収めると、騎士たちは「ヒィィィ!」と悲鳴を上げ、気絶した公爵を大急ぎで馬車に放り込むと、一目散に城へと逃げ帰っていった。
こうして、国を揺るがす巨大な陰謀は、下町の美味い鰻の煙によって、あっけなく粉砕されたのだった。
5
「さあて、お立ち会い! 最高の瞬間だぞ!」
すべての脅威が去り、日常が戻った長屋の広場で、俺は炊きたてのホカホカの麦飯の上に、ふっくらと焼き上がった肉厚の「沼オオウナギの蒲焼き」をドカンと乗せた。
タレがご飯にしみ込み、えも言われぬ黄金色の輝きを放っている。
これぞ、江戸の4大グルメの最高峰、「うな丼」の大団円だ。
長屋の住人たちや、なぜかちゃっかり列に並んでいた密偵のエルフの娘にも、特大のうな丼を振る舞ってやる。
俺は箸を入れ、大きく一口分のうなぎとご飯を掴んだ。
蒸し上げられたウナギの身は、驚くほど柔らかく、箸がすんなりと通る。そのまま豪快に口の中へ放り込んだ。
「――――――っっっ!!!!」
美味い。美味すぎる!!!
口に入れた瞬間、ふっくらとした身が、極上の脂とともに「ホロリ」ととろけた。泥臭さは微塵もない。火炎鳥の出汁を加えた秘伝のタレの香ばしさと、ウナギの濃厚な旨味が、ホカホカの麦飯と完璧に絡み合い、脳髄を直接揺さぶってくる。
「これだ……! 池波先生が愛し、江戸の町人が熱狂した、これぞ日本の夏の、浪人の最高のご褒美だ!」
山椒の代わりに見つけてきた、ピリッと辛い異世界の薬草粉をパラリと振りかけると、味がキリリと引き締まり、さらに箸が止まらなくなる。
異世界の地酒をグイッと煽ると、喉を焼く熱さとウナギのコクが混ざり合い、最高の幸福感が全身を満たした。
周りを見れば、長屋の住人たちも「んむ! んむ!」と言葉にならない声を上げ、顔中をタレだらけにしながら猛烈な勢いでうな丼をかき込んでいる。エルフの娘も、上品な仮面を完全にかなぐり捨てて、お椀に顔をうずめるようにしてガツガツと食べていた。
「蕎麦、寿司、天ぷら、そして鰻……。江戸の4大グルメを、この異世界で見事に制覇したな」
俺は空になったお椀をポンと置き、満足げに夜空を見上げた。
天井の穴から差し込む月光は、下町の平和と、俺たちの満ち足りた胃袋を静かに照らしている。
巨大な組織の闇を相手に大立ち回りを演じたが、俺はただの浪人。明日からも、この下町で、美味いものを探して飄々と生きるだけだ。
「さて……次は、どんな美味いものを食おうか。俺の異世界浪人スローライフは、まだまだこれからだ!」
俺の豪快な笑い声が、下町の夜風に乗って、どこまでも響き渡っていった。
(第1章・完。新章へ続く)




