第15話:歓楽街の罠と、香ばしき蕎麦がきの粋
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大王都『ネオ・エド』の最奥部に位置する、不夜の街――そこは、無数の魔導灯が怪しくも華やかに路地を照らし、極彩色の衣装をまとった美女たちや、一攫千金を夢見る商人が行き交う王都最大の歓楽街、通称『吉原・隠れ酒場エリア』であった。
表向きは贅を尽くした大人の社交場だが、その実、一歩路地裏へ入れば、闇組織の総帥の息がかかった用心棒や密偵が、獲物を狙う蜘蛛のように目を光らせている危険な迷宮である。
「――ううむ。この、華やかな三味線や歌声の裏に、冷徹な暗殺の刃が潜んでいる独特の妖艶さ。佐伯泰英先生の『新・古着屋総兵衛』や、あるいは磐音シリーズの後半で、主人公が江戸の闇を牛耳る巨大な地下組織の牙城へ、素性を隠して潜入する時のあの息詰まる緊迫感そのものじゃないか」
俺は長法被の襟を粋に立て、お馴染みのボソリとした脳内実況を口に出した。
「ツヨシ、お前は本当に……この期に及んでまだその『じだいしょうせつ』の話か!?」
着物姿に変装したカエデが、俺の腕を強くつねりながら、蚊の鳴くような小声で怒鳴ってきた。華やかな衣装に身を包んでいても、エルフの長い耳は、周囲の警戒の足音を拾ってピンと張り詰めている。
「大黒屋から奪った裏帳簿の暗号を解くには、この先にある隠れ酒場にいる、私の古い情報網の隠密に会わなきゃいけないの。周囲の用心棒たちの魔力、これまでの比じゃないわよ!」
「カエデ殿の言う通りだ、ツヨシ」
同じく着流し姿の陣内先生も、懐に隠した刀の柄に手をかけ、鋭い眼光で周囲を鋭く睨みつけている。
「新家老の背後にいた闇組織の総帥……その直轄地なのだ。いついかなる罠が仕掛けられておるか分からん」
「まあまあ先生、カエデさん、焦っちゃいけねえ。敵の牙城、それも色町(歓楽街)へ潜入する時こそ、粋な浪人は飄々としているもんです。緊迫した夜の街の毒を消し去るには、やはりあの素朴な肴で心を落ち着かせるに限りますよ」
俺はニヤリと笑うと、カエデが案内してくれた、一見して怪しげな地下の酒場『羅生門』の暖簾をくぐった。
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酒場の中は、薄暗い魔導灯の下で、屈強な用心棒や怪しげな密売人たちが、濁り酒を煽りながら不穏な空気を醸し出していた。
俺たちが奥の席に腰を下ろした瞬間、周囲の十数人の用心棒たちが、一斉にこちらの様子を探るようにギラついた視線を向けてくる。一触即発。
「ツヨシ、カエデ。……どうやら歓迎はされていないようだな」
陣内先生が低く呟く。カエデも目的の情報員を必死に目で探しているが、相手の警戒が強く、容易には接触できそうにない。
「よし、それならまずは、この重苦しい戦意を『匂い』で解体してやるとしましょうかね」
俺は言うが早いか、店の厨房へと勝手に向かった。
「おい、何をする気だ!」と驚く店の料理人を、俺は懐から出した金貨一枚で瞬時に黙らせると、台所を完全に占拠した。
俺が荷物の中から取り出したのは、道中の市場で仕入れておいた、身が厚く引き締まった『多腕魔海イカ』。そして、第一話から俺の長屋のスローライフを支え続けてくれた、あの長屋の大家のばあさんから貰った、最高級の「魔導蕎麦粉」の残りである。
「今夜のメニューは、お祭りの屋台の定番『いか焼き』と、江戸の男の最高のつまみ『蕎麦がき』だ!」
まずは、魔海イカを豪快にさばき、ココノエ醤油、酒、そして異世界みりんを合わせた特製のタレにたっぷりと漬け込む。
それを、熱々に熱した鉄板の上へとドカンと並べた。
――ジューゥゥゥッ!!!!
「っ……!!!!」
鉄板の上でタレが焦げ、イカの身がぷっくりと膨らみ始める。瞬く間に、地下の薄暗い酒場全体に、「醤油とみりんと、イカの香ばしさが一体となった、尋常ではないほど暴力的な匂い」が爆発的に広がっていった。
「な、何だこの美味そうな匂いは!?」
さっきまで殺気立っていた用心棒たちが、一人、また一人と、無意識のうちに喉を鳴らして厨房の俺を凝視し始めた。戦意が匂いによって comical に削がれていく。
「さあ、ここからが本番、江戸前の蕎麦がきだ!」
俺は器に魔導蕎麦粉を入れ、そこへ熱湯を少しずつ注ぎながら、太い木べらで猛烈な勢いで練り上げ始めた。チート能力が発動し、蕎麦の風味が限界まで引き出され、フワフワとろとろの、完璧な塊へと仕上がっていく。
池波正太郎先生は、その著書の中で蕎麦がきをチビチビとやる粋を、何度も書いておられた。
『蕎麦というものは、麺にするだけではない。熱湯で手早く練り上げた蕎麦がきを、ワサビ醤油で少しずつちぎって口に運ぶ。これぞ、華やかな街の裏で、男が静かに心をほどくための最高の肴である――』
「さあ、おもたせしました! 歓楽街の罠を溶かす、至高の二品だ!」
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カウンターの上に並んだのは、照り焼きにされた肉厚のいか焼き、そして湯気を立てる純白の蕎麦がき。
「カエデさん、先生、まずはこれを食って落ち着きな」
俺は箸で蕎麦がきをひとくち分ちぎり、生姜に似た薬草を溶かしたココノエ醤油にサッとくぐらせて、口へ運んだ。
――モグモグ、フワァァァッ……!
美味い、美味すぎる! 脳内で池波先生が「うむ、これには辛口の酒がよく合う」と満足げに満足げにグラスを傾ける幻影がはっきりと見える。
魔導蕎麦粉の、大自然を凝縮したような圧倒的に香ばしい風味が、口の中で「フワッ」と上品に広がった。ねっとりとしつつも、喉越しはどこまでも滑らか。そこへ、甘辛いいか焼きの、噛めば噛むほど溢れ出る魔海の旨味が加わり、張り詰めた脳の緊張を、完璧に紐解いてくれる。
「……信じられないわ」
周囲を警戒していたカエデが、いか焼きを一本口にした瞬間、エルフの耳をピンと直立させてフリーズした。
「このイカの歯ごたえ、そしてこのタレの香ばしさ……! 蕎麦がきというのも、信じられないほど心が落ち着く優しい味がする……」
「うむ、これは良いものだ」
陣内先生も、いつの間にか殺気を消し、「ハフハフ、ズズッ」と蕎麦がきを美味そうに頬張っていた。
「おい、浪人の旦那……俺たちにも、そのイカと蕎麦ってやつを食わせてくれねえか?」
気付けば、周囲を囲んでいた闇組織の用心棒たちが、すっかりお腹を空かせた comical な顔になり、箸を持って俺の前に並んでいた。匂いによる戦意喪失、ここに極まれり、である。
「はいよ、皆の衆! 江戸前の味だ、遠慮なく食いな!」
俺が景気よくいか焼きを振る舞っていると、酒場の奥のVIP席の御簾が、静かに上がった。
「――おにぎりに、とろろ、軍鶏なべ、そして今度は蕎麦がきかい。大都会を騒がせている『美食の浪人』ってのは、あんたのことだったんだねぇ」
現れたのは、息を呑むほど美しい、艶やかな着物をまとった絶世の美女。
だがその瞳の奥には、佐伯泰英作品の吉原の太夫、あるいは今野敏作品の公安の冷徹なトップのような、すべてを見透かす鋭い光があった。
彼女こそが、この歓楽街を裏から支配する闇組織の最高幹部であり、同時にカエデの古い情報網の正体――凄腕のくノ一太夫、「紫苑」であった。
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「紫苑……!」
カエデが息を呑む。紫苑はゆっくりと俺たちの席へ歩み寄ると、俺が作った蕎麦がきを箸で上品にすくい、口へと運んだ。
「……ふふ、美味いねぇ。組織の裏切り者を始末しろと総帥から命じられていたが……こんな粋な美味いものを出す男を殺しちまったら、江戸前の名が廃るってね」
紫苑はフッと笑うと、大黒屋の裏帳簿をじっと見つめた。
「いいだろう。新家老を操っていた我が組織の総帥……あの男の冷徹なやり方には、私も愛想が尽きていたところさ。この帳簿の暗号、私が解いてやるよ。……ただし、命が惜しければ、今すぐここを発ちな。総帥はすでに、王都の全戦力を動員して、あんたたちを歴史から『隠蔽』する準備を終えているよ」
上田秀人先生の作品なら、ここでついに最高幹部(ナンバー2)の調略に成功し、ラスボスへと続く最終決定的なカードが揃う瞬間だ。
だが、その時。
酒場の天井が、激しい魔力の爆発とともにバリバリバリィン!!!と吹き飛んだ。
「――そこまでだ、裏切り者の紫苑、そして脱藩浪人ども!」
崩落する天井から、漆黒の魔導鎧をまとった「総帥直属・暗殺隠密部隊」が十数人、ワイヤーを使って蜘蛛のように降下してきた。
彼らの手には、不気味に発光する暗殺用の魔導鎌が握られ、完全に俺たちを包囲していた。
「総帥の命により、組織の秘密を知る貴様らをここで全員粛清、隠蔽処分とする。死ね!」
一斉に放たれる、真空の刃。狭い地下酒場で、逃げ場のない絶体絶命のサスペンス空間だ。
「おいおいお前ら、せっかく蕎麦がきといか焼きで、酒場が良い雰囲気になってたんだ。その野暮な鉄臭さで、俺の最高の余韻を汚さないでくれよ」
俺は、暗殺部隊に向けて、眠るが如き無形の構えのまま、ひらりと前へ踏み込んだ。
右手には、イカを焼いていたあの頑丈な「鉄の団扇」が握られている。
(「磐音は、迫り来る暗殺の刃に対し、春の陽だまりにいるような脱力のまま、風車のように団扇を振り回した――」)
脳内の磐音モードが極限まで跳ね上がる。
――ガキガキガキィンッッッ!!!!
激しい金属音が響き、放たれた真空の刃は、俺が振り回した一本の「団扇」によって、すべて正確に弾き飛ばされ、壁の魔導灯を粉砕した。
「な、何っ!? 鉄の団扇一本で、我が部隊の必殺の鎌を防いだだと!?」
暗殺部隊が驚愕して動きを止める。
「よし、おねんねの時間だ!」
俺はステップ一歩で、動獄した隠密たちの懐へと滑り込んだ。
今野敏先生の作品に出てくる、一切の無駄を削ぎ落としたプロの刑事の格闘術。刀を抜けば酒場の一般客や、せっかく仲良くなった用心棒たちを傷つける。ならば、鞘のまま戦うのが合理的だ。
左手に持った魔導刀の「鞘」の先端を使い、隠密たちの頸椎のツボを、無音で正確にトントン、トンと的確に打っていく。
「あ、が……」「ウグッ!」「ママ、マイ……」
さらに、振り返りざまに鎌を振り下ろした男の胸元へ、刀の「柄頭」で完璧なタイミングの衝打をドカンと叩き込んだ。
わずか数秒。
地下の酒場の中で、音を一切立てることなく、総帥自慢の暗殺隠密部隊十数人は、ツヨシの洗練された峰打ちと体術によって、一人も血を流すことなく全員が地面に転がり、気絶するか悶絶するかしていた。完璧なる無音の制圧劇である。
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「……はぁ。お前は本当に、イカを焼いている時も不条理なほど強いのね」
カエデが、紫苑が解読してくれた裏帳簿のメモを小脇に抱えたまま、呆れ果てた顔で俺を見ていた。
「いやいやカエデさん、これが江戸前の『蕎麦がきパワー』ってやつですよ。さあ、カードは全て揃った。総帥の寝所へ突撃しましょうや」
紫苑は、俺の圧倒的な強さと器量を目の当たりにし、深く感心したように微笑んだ。
「見事な剣技だねぇ、ツヨシ殿。総帥の秘密本拠地、王都の地下に隠された『巨大地下カジノ・密輸倉庫』への入り口は、この酒場の真下さ。奴はそこで、王都の全戦力を動員してあんたたちを待っているよ」
「素晴らしい。これですべてのカードが揃い、大都会の闇との全面戦争の幕が上がる瞬間だねぇ」
俺は腰の魔導刀をパチリと叩き、ニヤリと不敵に笑った。
「ふう。いか焼きと蕎麦がきのおかげで、歓楽街の罠も美味しく一刀両断できた。先生、カエデさん。いよいよ次が、第3章のクライマックス、大王都全面戦争だ!」
俺は地下へと続く重厚な隠し扉を見つめ、ぷはぁと満足げに息を吐いた。
「あの巨大地下カジノごと、闇の組織の総帥をこの魔導刀で一刀両断にしてやりましょうかね!」
歓楽街の喧騒が遠くで響く中、新たなる最終決戦を見据える三人の影。
俺たちの目は、いか焼きの香ばしい残り香とともに、かつてないほど鋭く、そして粋に輝いていたのだった。




