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異世界に転生しちゃったので浪人になってみた  作者: 羽越世雌
第2章:激闘の旅立ち(ロードムービー)編
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第11話:懐刀の裏切り? 湯気の中に揺れる湯豆腐

1

潜入した隠密の見回り組から剥ぎ取った黒装束は、意外なほど俺の身体に馴染んでいた。


『城内詳細構造図』を頼りに、薄暗い真平城の長い回廊を、影に溶け込むようにして進む。カエデが先頭で微かな魔力の罠を察知し、俺と陣内先生が左右を警戒する。目指すは城の中枢、最高幹部たちの居住エリア。その最も奥まった一画にある、大きな屋敷の前に俺たちはたどり着いた。


「――ううむ。この、水を打ったように静まり返った書院造りの佇まい。上田秀人先生の『奥右筆秘帳』を読んできたこの俺には、ここが今夜最大の修羅場になることがハッキリと分かるぞ」


俺は笠の縁を指で軽く押し上げ、ボソリと脳内実況を呟いた。

「ツヨシ、またお前の時代小説オタクの独り言が始まったか。今度は一体どこの誰の真似をしているのだ?」

カエデがフードの隙間から、すっかりお馴染みとなったジト目を向けてくる。

「カエデさん、ここは新家老の右腕にして、藩の兵権を握る次席家老、大河内弾正(おおこうちだんじょう)の私室だ。上田先生の作品ならね、こういう敵のナンバー2、いわゆる『懐刀』を調略して味方に引き入れるか、それともここで斬り捨てるかで、藩の運命がガラリと変わる歴史的大一番なんだよ」


「調略、か……」

陣内先生が、苦渋に満ちた表情で呟いた。

「大河内弾正。奴はかつて、私とともに先代の藩主に仕えた男だ。規律を重んじ、寸分の妥協も許さぬ堅物。もし奴が今も新家老の不条理な犬に成り下がっているのなら……私は、かつての友であってもこの手で斬らねばならん」


「まあまあ先生、一触即発の緊迫感もいいですがね。張り詰めた組織の闇を『隠蔽』し、頑固な官僚の心をほどくには、やはりあのシンプルな鍋で座を和ませるに限りますよ」


俺は不敵にニヤリと笑うと、大河内弾正の部屋の襖を、音もなく静かに押し開けた。


2

部屋の奥、灯明の微かな光の中で、一人の男が静かに机に向かい、古い書類を検分していた。


寸分の乱れもない衣服、彫刻のように深く刻まれた眉間の皺。彼が顔を上げた瞬間、部屋の空気が一瞬で凍りついたような錯覚を覚えた。今野敏先生の警察小説に登場する、規律と正義を冷徹に体現したキャリア官僚そのものの佇まい。彼が大河内弾正だった。


弾正は、黒装束の俺たち三人が音もなく現れたというのに、眉一つ動かさなかった。静かに机の上の刀を引き寄せ、立ち上がる。


「……秋山陣内か。脱藩の大罪人が、わざわざ城の奥深くまで首を洗って戻ってきたか」

「弾正。お前ほどの男が、新家老の悪行を知りながら、まだあの男の犬をやっているのか。領民に重税を課し、街を焼き払う魔導大砲などを買い付けて、この藩をどこへ導く気だ!」


陣内先生が刀の鯉口を切り、鋭い殺気を放つ。弾正もまた、冷徹な眼光で陣内先生を見据え、刀を抜こうとした。まさに一触即発。今野先生の作品にある、プロ同士の、一歩も引けない正義の衝突がそこにあった。


しかし、弾正はフッと、信じられないほど寂しげに自嘲の笑みを浮かべたのだ。

「犬、か。……そう見えるのも無理はないな、陣内。私は組織の人間だ。組織の規律を守り、藩のシステムを維持することが私の正義であった。……だが、新家老の奴が、中央の闇組織と結託してあの忌まわしき大砲を起動させようとしているのを見て、私の心も激しく揺らいでいる。あれは、藩を守るための力ではない。ただの、狂気の私物化だ」


「弾正、お前……」

陣内先生が目を見開く。

組織の重圧と、個人の正義の狭間で、この堅物なナンバー2もまた、人知れず深く葛藤していたのだ。


「なるほどねぇ。組織の論理に縛られた男の本音か。よし、お侍さん方、お互いその物騒な鉄屑を一度納めて、まずはこれでも突きながら腹を割りましょうや」


俺は黒装束の懐から、市場でこっそり仕入れておいた「竹の皮の包み」を取り出し、大河内弾正の部屋の真ん中にある立派な火鉢の前へと陣取った。


3

「おい、ツヨシ! この期に及んで、また何か料理を始める気か!?」

カエデが小声で絶叫するが、俺はもう炭火をパチパチと煽り始めていた。

「カエデさん、大一番の調略の前にはね、これしかないんだよ。今夜のメニューは『湯豆腐』だ」


池波正太郎先生は、その著書や『鬼平犯科帳』の中で、何度も湯豆腐の魅力を熱く語っておられた。

『湯豆腐というやつは、実にもって簡単な料理だが、それゆえに誤魔化しが利かない。グラグラと煮立たせては、豆腐に鬆(す)が入ってスカスカになり、風味が台無しになってしまう。昆布を敷いたお湯の中で、豆腐の表面がわずかに、プルプルと微かに震えるくらいの弱火で温める。これが一番の食い頃なのだ――』


俺が取り出したのは、下町の市場で見つけた「魔導豆腐」。すくうと赤ちゃんの肌のようにプルプルと震え、濃厚な大豆の香りを放つ異世界の絶品豆腐だ。


弾正の部屋の高級な鉄鍋を勝手に借り、お湯を沸かす。そこへ、昆布に酷似した異世界の魔海草を敷き、四角く切った魔導豆腐を静かに滑り込ませた。

火力を絶妙に調整し、グラグラと煮立たせないよう、じっくりと温める。


しばらくすると、部屋の中に、大豆の優しい香りと昆布の滋味深い香りが混ざり合った、なんとも心が安らぐ湯気が立ち上り始めた。


「さあ、まずは熱いところをどうぞ」

ココノエ醤油に、第一話の火炎鳥の干し肉を細かく削った「削り節」、そして刻んだネギ風の薬草をたっぷりと載せ、大河内弾正の前にお椀を差し出した。


弾正は呆然としながらも、俺のあまりに堂々とした態度に気圧され、箸を取った。プルプルと震える豆腐をすくい、口へと運ぶ。


フーフーと息を吹きかけ、パクリとやった瞬間。

堅物家老の眉間の皺が、見る見るうちに解けていくのが分かった。


「――っ!!!!」

弾正が、お椀を凝視して小さく声を漏らした。

「……美味いな。舌の上でつるりと解けるこの滑らかさ。そして、噛むほどに広がる大豆の濃厚な甘みと、出汁の旨味。……組織の重圧と、新家老への不信感で冷え切っていた私の胃腑に、この温かさは……じわじわと、芯まで染み渡るようだ」

「でしょう? 政治の調略なんてね、お互い腹が減ってちゃ上手くいかないんですよ。さあ、先生もカエデさんもどうぞ」


陣内先生も、かつての友と鍋を囲める喜びに目を細め、「ズズッ、ハフハフ」と湯豆腐を美味そうに頬張る。カエデにいたっては、「豆腐なんて、ただの固めた豆の汁でしょうに……」と文句を言いつつも、一口食べた瞬間にエルフの耳をピンと直立させ、「んむ、んむ……美味しいわ……!」と、 comical にハフハフと夢中で貪っていた。


「ふう、この素朴さが、張り詰めた密室の緊張をほどいてくれるねぇ……」

俺が地茶をグイッとやった、まさにその時だった。


4

――バリィィィン!!!!


大河内弾正の部屋の襖が、激しい音を立てて叩き破られた。

室内に躍り込んできたのは、全身を漆黒の魔導甲冑で固めた、目つきの悪い五人の戦士たち。新家老が弾正の裏切りを警戒して密かに張り付かせていた、「家老直属・監視暗殺部隊」だった。


「大河内弾正! やはり脱藩浪人どもと内通していたか! 家老職の命により、ここで全員粛清、隠蔽処分とする!」


リーダー格の甲冑戦士が、不気味に赤く発光する魔導剣を抜き放ち、一斉に俺たちへ襲いかかってきた。狭い部屋だ、魔導剣から放たれる熱波で、部屋の温度が急上昇する。


「おのれ、私の不徳の致すところだ! 陣内、ここは私が防ぐ!」

弾正が湯豆腐のお椀を置き、激怒して抜刀しようとした。


「おいおいお前ら、せっかくの良い湯加減だ。野暮な血臭さで、俺の最高の湯豆腐を汚さないでくれよ」


俺は、大河内弾正の前にひらりと躍り出た。

右手はすでに、腰の魔導刀の柄にかけられている。


(「居眠り磐音は、迫り来る漆黒の魔刃に対し、眠るが如き無形の構えのまま、静かに息を抜いた。相手の剣の『魔力の流れ』が、完全に交錯するその刹那まで――」)


「――いくぞっ!」

甲冑戦士たちが一斉に突きを放ってきた。その刃の先から、激しい炎の魔力が噴き出す。


――キィィィィィンッッッ!!!!


夜の静寂を切り裂く、神速の居合い一閃。

俺は彼らの身体を斬ったのではない。チート能力によって視界に見えていた、彼らの魔導剣の柄へと繋がる「魔力供給コード(細い管)」だけを、一瞬のうちに五本とも正確に斬り裂いたのだ。


「な、何っ!? 我らの魔導剣の炎が、消えた……!?」

魔力を失い、ただの冷たい鉄屑となった武器を前に、甲冑戦士たちが驚愕して動きを止める。


「そら、おねんねの時間だ!」


俺は返す刀の「峰(背の部分)」と「鞘」を同時に使い、今野敏先生の作品に登場する特殊部隊の格闘術のように、最短の合理的足運びで彼らの懐へと滑り込んだ。


一人の顎の下を柄頭でゴンッ!と突き上げ、振り返りざまにもう一人の手首を鞘でパシィン!と強く叩く。さらに、動揺して下がろうとした二人の膝の裏を、刀の峰で小気味よく強打した。


「ぶふっ!?」「ウグッ!」「手が、痺れて……!」


わずか数秒。

狭い部屋の中で、新家老自慢の暗殺部隊五人は、ツヨシの洗練された峰打ちによって、一人も血を流すことなく全員が地面に転がり、気絶するか悶絶するかしていた。完璧なる無音の制圧劇、ここに極まれり、である。


5

「……これが、城内の公爵を倒したという浪人の剣か。凄絶……いや、凄絶という言葉すら生ぬるいな」


次席家老の大河内弾正が、刀を握ったまま、呆然と俺を見つめていた。

陣内先生も、誇らしげに髭をいじりながら頷いている。

カエデにいたっては、「もう驚かないわよ。この男は、豆腐を温めている時が一番強いんだからね」と、お椀に残ったお豆腐を最後のひとかけらまで綺麗に平らげていた。


弾正は静かに刀を収めると、俺の前に進み出て、深く頭を下げた。

「見事な器量だ、ツヨシ殿。……いや、私の負けだ。お前の言う通り、真実を隠蔽し、領民を脅かす組織など、もはや藩ではない。私が間違っていた。明晩の『魔導大砲の起動式』、これを阻止するため、私の知る限りの機密をすべてお前に託そう」


弾正が懐から取り出したのは、新家老が明晩どこに陣取るのか、そしてあの巨大な魔導大砲を強制的に緊急停止させるための「最高機密の解除暗号(コード)」が記された、一枚の紙片だった。


「素晴らしい。上田先生の小説なら、ここでついに敵のナンバー2の調略に成功し、勝利への決定的なカード(暗号)が揃う瞬間だねぇ」

俺は暗号を受け取り、ニヤリと不敵に笑った。


「ふう。湯豆腐のおかげで、組織のナンバー2もしっかり調略できた。先生、カエデさん、そして弾正の旦那。情報(カード)はすべて揃ったな」


俺は火鉢の上の鉄鍋を見つめ、ぷはぁと満足げに息を吐いた。


「明晩はいよいよ本陣、新家老の喉元へ突撃だ。あの忌まわしい大砲ごと、奴らの陰謀をこの魔導刀で一刀両断にしてやりましょうかね!」


湯豆腐の優しい湯気の向こうで、固い同盟を結んだ四人の影。

俺たちの目は、お家騒動の最終決戦を前に、かつてないほど鋭く、そして粋に輝いていたのだった。

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