第10話:潜入、真平城の闇と、夜食の焼きおにぎり茶漬け
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夜更け。城下町を照らす異世界の大きな月が、雲に隠れた瞬間を見計らい、俺たちは行動を開始した。
老隠密から譲り受けた『城内詳細構造図』の通り、下町の排水口から続く、今は誰も使っていない古い隠し通路。泥と苔にまみれた石壁に囲まれた狭い回廊を、俺、陣内先生、カエデの三人は、息を潜めて一歩一歩進んでいた。
カシャ、カシャ、と俺の腰にある魔導刀の金具が、微かに、本当に微かに鳴る。
「――ううむ。この、ひんやりとした石壁の冷たさと、いつどこから敵の隠密や最新の魔導トラップが飛び出してくるかも分からぬ緊迫感。上田秀人先生の『奥右筆秘帳』で、主人公の立花併馬が徳川幕府の最高機密が眠る江戸城の紅葉山御文庫へ、命がけで潜入する時のあのハラハラ感そのものじゃないか」
俺は興奮を抑えきれずに、ボソリと脳内実況を口に出した。
すると、すぐ前を歩いていたカエデが、猛烈な勢いで振り返り、俺の口を手で塞いできた。エルフ特有の、信じられないほど聴覚の発達した耳が、怒りでピクピクと激しく震えている。
「ツヨシ、お前は本当に……! 今は新家老の居城『真平城』のド真ん中に潜入しているのよ!? 小さな声でも響くって、あれほど言ったでしょう!」
「いやいやカエデさん、分かってないねぇ。こういう張り詰めたサスペンス空間に身を置くからこそ、時代小説マニアの血が騒ぐってなもんでさぁ。ねえ、先生?」
俺が助けを求めると、前方を油断なく警戒していた陣内先生が、ため息混じりに苦笑した。
「ツヨシの言うことも一理ある。これほどの緊張感の中では、少しでも気を緩めねば、逆に身体のキレが鈍る。……だが、口は慎め」
「へいへい」
俺たちはさらに奥へと進み、地下から城の中枢へと繋がる、かつての「物置小屋(隠し部屋)」へと滑り込んだ。
だが、そこで想定外の事態が俺たちを待ち受けていた。
新家老の奴め、やはり相当に警戒を強めているらしい。老隠密の地図にはなかった、最新の「魔導の結界(触れると城中に警報が鳴り響く、不気味な光の柵)」が、中枢へと続く回廊の手前にバチバチと音を立てて張り巡らされていたのだ。
「新家老の奴、配置を急に変更しやがったな……!」
陣内先生が刀の柄を握りしめ、焦りを見せる。明後日の夜には、あの街を丸ごと灰にするという『魔導大砲』の起動式が控えているのだ。ここで足止めを食らうわけにはいかない。
カエデが即座に結界の前にしゃがみ込み、魔導金属のツールを取り出して暗号の解析を始めた。
「静かにして! 敵の防衛コードの魔力配置が複雑に入り組んでいるわ。解除するまで、しばらくここで時間を稼ぐしかない!」
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物置小屋の中に、息詰まるような沈黙が流れる。
カエデは額に汗を浮かべながら必死に暗号を解き、陣内先生は入り口の隙間から外の見回りを警戒している。時間が経つごとに、焦燥感が二人を蝕んでいくのが分かった。
「おいおい、先生もカエデさんも、肩に力が入りすぎだ。上田先生の小説なら、焦って情報や暗号を無理に突破しようとした駒から、真っ先に敵の罠にハマって消されるのがオチですよ」
俺は物置小屋の隅に、手頃な大きさの、しかし歴史を感じさせる古い「火鉢」が転がっているのを発見した。
「それに、池波正太郎先生の『剣客商売』でも、秋山小兵衛先生は夜襲や潜入の前には、必ずじっくりと腹を据えて、美味いものを喰って待ったもんです。カエデさんが暗号を解く間、ちょっと夜食と洒落込みましょうや」
「ツヨシ、お前はこんなお城の地下で、一体何を始める気だ!?」
カエデが呆れ果てた声を出すが、俺はもう止まらない。物置小屋の炭箱から、煙の出ない高級な「魔導炭」を見つけ出し、火打ち石を使ってひっそりと火を熾し始めた。
俺が荷物の中から取り出したのは、下町の長屋から持参してきた「爆裂米の残り」で作った、少し表面が固くなったおにぎりだ。
「江戸のお城の地下組織や、夜勤の隠密たちが過酷な任務の中で隠れて食したという、最高の夜食。これこそが、男の夜食の粋ってやつよ」
俺は火鉢の上に小さな網を敷き、おにぎりを並べた。そして、ハケを使ってココノエ醤油と異世界みりんを合わせた特製のタレを、表面に薄く、丁寧に塗っていく。
――チリチリ、ジワジワ……。
炭火の熱によって、おにぎりの表面の醤油が焦げ、パチパチと音を立て始める。瞬く間に、物置小屋の中に「焦げ醤油の、これ以上ないほど香ばしく切ない匂い」が立ち込めた。
さらに俺は、水筒に入れておいた、第一話で大活躍したあの「火炎鳥の干し肉」からとった黄金の濃厚出汁を、火鉢の脇で熱々に温め直す。
「さあ、お立ち会い! 緊迫のサスペンスを乗り切る、至高の『焼き握り飯の出汁茶漬け(焼きおにぎり茶漬け)』の完成だ!」
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こんがりと美しい狐色に焼き上がったおにぎりを器に入れ、その上から、熱々の黄金出汁を惜しげもなくトトトトッと注ぎ込んだ。
仕上げに、ネギに似た薬草の刻みをハラリと散らす。
出汁を吸った焦げ醤油の衣が「ジュワァァァ」と小気味よい音を立て、物置小屋の中に極上の湯気が舞い上がった。
「池波先生は常々、夜の冷気には、熱い出汁茶漬けが一番の毒消しであると書いておられた。緊迫した城内で喰うこの一膳こそが、縮こまった度胸をカチッと据えてくれるのさ」
俺は箸を取り、まずは一杯、豪快にズズッと音を立ててかき込んだ。
「――っ!!!!」
美味い、美味すぎる! 脳内で池波先生が「うむ、夜食はこれに限るな」と深く満足げに頷く幻影がはっきりと見える。
炭火でじっくり炙られた焼きおにぎりの、焦げ醤油の香ばしさと微かな苦味が、火炎鳥の濃厚な出汁の旨味と渾然一体となって押し寄せてくる。ふやけたおにぎりの芯を噛めば、爆裂米の弾力が心地よく弾け、出汁のコクが胃袋の底へとストレートに滑り込んでいく。
「……何という匂いだ。ツヨシ、私にも一膳くれ」
入り口で見張りをしていた陣内先生が、あまりの香ばしい匂いに辛抱たまらんといった様子で、刀を置いてにじり寄ってきた。
お椀を手渡し、先生がズズズッと出汁茶漬けを流し込む。
「――ううむ……っ! 香ばしい、香ばしすぎるぞツヨシ! 焼き飯の苦味が、この濃厚な鳥出汁によって完璧な滋味へと変わっておる。城内潜入の緊張で凍りついていた身体が、芯から一気に温まっていくのが分かる!」
堅物老侍が、お椀を抱えて嬉しそうに目を細めている。
暗号の解析で脳をフル回転させていたカエデも、お腹を「きゅ~」と鳴らしながら、恨めしそうな目でこちらを見ていた。
「……私にも、それを出しなさい。暗号を解くには、糖分と水分が必要不可欠なのだからね!」
「はいよ、カエデさん。挽きたての盾のお礼だ、特大のやつをどうぞ」
カエデがお椀を受け取り、フーフーと言いながら口へ運ぶ。
「――っ!? この、お焦げのサクサク感が少し残っているのが最高に美味しいわ……。出汁の旨味が、疲れた頭に染み渡っていく……」
元隠密のプライドを完全に忘れた comical な様子で、ズズズ、ハフハフと、夢中で焼きおにぎり茶漬けを胃袋へ収めていく二人。
「ははは、お腹の座りもバッチリだ。さて、カエデさん、暗号の具合は――」
俺がそう言った、まさにその瞬間。
物置小屋の木扉の向こうから、ガシャリ、と重厚な鎧の擦れ合う音が響いた。
「――おい、今、この物置小屋の奥から、妙に美味そうな、醤油の焦げた匂いがしてこなかったか?」
「気のせいだろう、こんな地下室に人がいるはずが……いや、待て。微かに湯気が漏れているぞ!」
城内の不審な匂いを察知した、新家老直属の「城内見回り組(精鋭の魔導隠密たち)」の三人だ。
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「曲者かッ! 構わん、ここで――」
扉がガラッ!と勢いよく開くと同時に、黒装束をまとった三人の魔導隠密が、青く光る短剣を構えて室内に躍り込んできた。彼らの指先が怪しく光り、即座に警報の魔法を唱えようとする。
上田秀人先生の作品なら、ここで警報が鳴れば一巻の終わり。城中の数千人の兵力が押し寄せ、完全に袋のネズミとなる絶体絶命のサスペンス空間だ。
だが、俺の「時代小説マニア脳」と、東野圭吾先生の『加賀恭一郎』のような冷徹な観察眼は、彼らの配置と状態を瞬時に見抜いていた。
「お前さんたち、夜中の見回り、ご苦労さん。お互い、静かにやろうや。夜勤特有の疲労で、ちょっと視界が霞んでるだろ?」
「何を抜かすか!」
先頭の隠密が突進してくるが、俺は抜刀すらしない。
手元にあった、火鉢の脇の熱々の「火炎鳥の出汁(の残り)」が入った土瓶を掴むと、相手の顔面に向けて、サッと豪快に一吹きぶちまけた。
――ビシャァァァッ!!!!
「グアッ!? 熱っ!? 目が、出汁で目がぁぁぁ!」
旨味たっぷりの熱い出汁を目に浴びた先頭の隠密が、 comical に悶絶して視界を奪われる。
「そら、二人目!」
俺はステップ一歩で、動揺した二人目の隠密の懐へと滑り込んだ。
今野敏先生の作品に出てくる、一切の無駄を削ぎ落としたプロの特殊部隊の格闘術。刀を抜けば壁に当たって音が鳴る。ならば、鞘のまま戦うのが合理的だ。
俺は左手に持った魔導刀の「鞘」の先端(尻鞘)を使い、二人目の隠密の頸椎のツボを、無音で正確にトントンッ!と二度突いた。
「あ、が……」
一人目が白目を剥いて、音もなく畳の上に崩れ落ちる。
「な、呪術師ツヨシか!」
残る三人目の隠密が、恐怖に顔を歪めながら警報の魔導具を鳴らそうとするが、俺の『居眠り磐音』の無形の体術は、その動きよりも遥かに速かった。
ふっと眠るような脱力のまま相手の腕を掴み、その力を利用してねじ上げる。そして、刀の「柄頭」で、男の顎の下を正確にゴンッ!と一突き。
「ぶふっ!?」
三人目も脳震盪を起こし、崩れ落ちた。
最後に、出汁が目に染みて泣いていた一人目の首筋を、鞘で軽くポンと叩いて眠らせる。
わずか数秒。
物置小屋の狭い空間の中で、音を一切立てることなく、城内の精鋭隠密三人を見事に無力化したのだ。警報が鳴る隙すら与えない、完璧なる無音の制圧劇である。
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「……はぁ。お前、本当にお城のプロの隠密よりも、潜入と暗殺(気絶)のセンスが上なんじゃないの?」
カエデが、お椀を持ったまま、呆れ果てた顔で俺を見ていた。
「いやいやカエデさん、これが江戸前の『夜食の底力』ってやつですよ。さあ、暗号の方は?」
「フン、焼きおにぎりパワーで完璧に解明したわよ。ほら」
カエデが魔導ツールを操作すると、回廊を塞いでいた光の結界が、フゥン……と静かに霧散していった。
「素晴らしい。これでお城の中枢への道が開けたな。先生、カエデさん、この気絶した隠密たちの衣服と見回り用の『身分証(魔導の木札)』を拝借していきましょうや」
「うむ、お前といると、本当に不条理なほど物事が滑らかに進むな」
陣内先生が感心したように頷き、気絶した隠密たちの服を剥ぎ取り始めた。
俺たちは見回り組の黒装束を身にまとい、カエデが解除した結界を平然とすり抜けて、城の中枢である最高幹部たちの「居住エリア(武家屋敷街)」へと足を踏み入れた。
長い回廊の奥には、新家老の寝所、そしてあの『魔導大砲』の管理室へと続く重厚な扉が見えている。
「ふう。焼きおにぎり茶漬けのおかげで、お腹の座りも度胸の据わりもバッチリだ」
俺は腰の魔導刀を軽く叩き、ニヤリと不敵に笑った。
「さあ、お家騒動の最終決戦まで、あと一歩。新家老の寝所はすぐそこだ。明日の夜の起動式を前に、まずは奴の懐刀(幹部たち)を美味いもので釣るか、それともこの魔導刀で一刀両断にするか……。俺たちの comical で粋な城内大活劇は、いよいよ最高潮の舞台へと突入するぜ!」
月明かりが差し込む暗い回廊の奥を見つめる、黒装束に身を包んだ三人の影。
俺たちの目は、焼きおにぎりの焦げ醤油の匂いとともに、かつてないほど鋭く、そして粋に輝いていたのだった。




