61話 伸一郎は寝ているよ
「……どこに、行くんですか?」
低い声が、静かな車内へ落ちた。
尾口先輩は煙草を咥えたまま、バックミラーをちらりと見る。
返事はしない。
白い煙だけが、ゆっくりと車内へ流れていく。
後部座席で、伸一郎は手のひらを顔へ当てていた。
昔からの癖だった。
考え事をする時、不安な時、落ち着こうとするみたいに顔を撫でる。
けれど――何かがおかしい。
指先が妙にゆっくり動いていた。
頬の輪郭をなぞるように。
まるで初めて触れるものを確かめるみたいに。
尾口は眉をひそめる。
その時だった。
「向かってるところは……そうだな」
伸一郎が、ぽつりと呟いた。
「オレがバイトしてる場所の……下にあるところ、か?」
尾口の目が見開かれる。
次の瞬間。
キィッ――!!
タイヤが悲鳴を上げた。
尾口は反射的にブレーキを踏み込んだ。前の車が原因じゃない。自分でも理由は分からなかった。ただ、バックミラー越しの伸一郎の顔に、ぞっとしたのだ。
「……お前」
喉が動いた。
「なんで、それを知ってる」
バックミラー越しに、目が合う。
顔色が異様なほど白かった。
さっきまでの青ざめ方とは違う。血の気が引いたというより、何か別のものが皮膚の下に潜んでいるような白さだった。
それに答えるように、伸一郎がゆっくりと背もたれに身体を預けた。伸一郎の口元が、ゆっくりと歪む。
「……カマをかけたつもりだったんだが」
人間はみんな馬鹿正直だ、と楽しそうに笑う。
「その反応は、当たりみたいだなァ」
尾口の背中を冷たいものが走った。
「知ってるよ」
さっきまでの弱々しい声じゃない。
軽い。
楽しんでいる。
「お前が善人ぶってることも」
「車間をあけた車の何台かに、お前と同じ臭いがする奴らがいることも……全部」
尾口の指先が汗ばむ。
何かがおかしい。
違う。
こいつは、伸一郎じゃない。
「……伸一郎」
尾口の呼びかけに対してバックミラーの向こうで、そいつはゆっくり首を傾けた。
「伸一郎は寝てる」
笑う。
「オレは――ケイだ」
静かな声だった。
なのに、妙に耳へ張り付く。
「そうだな……お前らの言葉で言えば……」
笑みが深くなる。
「怪人、ってやつだ」




