59話 紙巻タバコ
休憩所として設置された簡易テントの中で、伸一郎は冷たい汗にまみれていた。
心臓が胸の奥で激しく脈打っている。
手足の先は痺れたように冷たく、自分の身体なのに感覚が遠かった。
ただ、目の前の現実へ必死にしがみつくことしかできない。
耳の奥で、かすかな音がしていた。
アスファルトを剥がす音だ。
ガ、ガガガががが。
ガリッガリガガギぃいガガがががが…。
遠くから響いているはずなのに、それが何かを引き裂く音と重なって、頭から離れない。
「……っ」
再び吐き気が込み上げた。
伸一郎は背中を丸める。
冷たいものが身体の内側を這い回るような感覚とともに、堪えきれず地面へ吐き出した。
しばらくして、ぼやけた視界の端に光が差し込んだ。
ヘッドライトだった。
近づいてくる。
タイヤが止まる音。
車のドアが開く音。
薄暗い視界の中に、人影が浮かび上がる。
「……伸一郎」
聞き慣れた声だった。
尾口先輩だった。
背広姿のまま、肩で息をしている。
急いで来たのか、額には汗が滲んでいた。
尾口先輩は何も言わない。
ただ、片手に菓子折りを抱えたまま、じっと伸一郎の顔を見ていた。
何か考えているようにも見えた。
やがて無言のまま近づいてくると、太い腕で伸一郎を支え、そのまま車へ向かう。
抵抗する力なんてなかった。
気づけば後部座席へ押し込まれていた。
ぽす、と膝の上へ何かが落ちる。
スポーツドリンクだった。
「……飲めよ」
尾口先輩は前を向いたまま、それだけ言った。
伸一郎はしばらくボトルを見つめていたが、震える手で蓋を開ける。
無理やり喉へ流し込む。
冷たい液体が身体の奥へ落ちていき、少しだけ頭の靄が薄れた気がした。
尾口先輩は何も言わないまま、車を走らせる。
車内には今時珍しい紙タバコの匂いが漂っていた。
その煙の匂いだけが、異様な静けさの中で、まだ自分が現実にいることを教えてくれていた。




