58話 生々しい現実感
——その瞬間だった。
頭の奥で、何かが弾けた。
忘れていたはずの記憶が、濁流みたいに押し寄せてくる。
赤く染まった手。鉄の臭い。崩れ落ちる男の身体。
「……オレは、あれを……人を殺した……のか?」
その言葉が頭に張りついたまま、伸一郎は息をすることすら忘れていた。
夏の昼下がりだった。
ジリジリと太陽が照りつけ、地面から立ち上る熱気が景色を揺らしている。
なのに、身体だけが妙に寒かった。
頭の奥で、さっきの光景が繰り返される。
赤く濡れた手。
鉄の臭い。
崩れ落ちる男の身体。
なぜ——どうして今まで忘れていた?
あんなに生々しい感触を。
胃がひっくり返る。
喉の奥が焼けるように熱い。
口の中へ、酸っぱいものがせり上がってきた。
「おい、にいちゃん?」
不意に声をかけられる。
振り向くと、交代の警備員が眉をひそめていた。
「大丈夫か?アンタ、顔、真っ青じゃねえか。熱中症か?ほら、塩飴でも舐めて……」
血が全部、どこかへ逃げていったみたいだった。
その時だった。
背後から工事の音が響いた。
ガッガガガ。
ガガガがガガガがガガガが。
アスファルトを剥がす音。
なのに伸一郎には、それが別の音に聞こえた。
頭の中で不気味に広がる自分の声であって自分でないものもの笑い声である。
――バシャッ。
赤い飛沫が視界いっぱいに広がる。
「……ッ!」
耐えきれなかった。
伸一郎はその場へ膝をつき、胃の中のものを吐き出した。
「お、おい!? にいちゃん!」
「大丈夫か!?」
「誰か来てくれ!」
男たちの声が遠い。
何を言っているのか、もう分からなかった。
世界がぐらりと傾く。
暑い。
息が苦しい。
それなのに、胸の奥だけが氷を押し込まれたみたいに冷たかった。
オレは――人を、殺した。




