第476部分
「……さて、折角だからちょっとこれまでの成果を見てみましょうか」
とはいえ、暫しの間は無事に目下の目的を果たせた事への安堵が上回っていたものの、それに伴った溜め息を数度吐く度に自身の身体とそれが触れる感触が強くなった事もあり、やがて今回のものを含めたこれまでの成功を実感しそれらへの喜びが再度湧いて来たアイシスはそう誰にともなく呟くと、首から下げた虫籠を自身の顔の前へと持ち上げてその中を覗き込む。
しかし、シラユキの魔法のお陰かその中に大人しく鎮座している昆虫達は確かに当人の成功の証ではあったものの、同時に捕獲を試みたにもかかわらず今そこに居ない者達の存在がそのまま捕獲の失敗を意味しており、かつその数は成功のそれを明確に上回っていた為、その行為によりその胸中に生じたのは良い感情ばかりではなかったが、今は過去の失敗を気にしても仕方が無いと割り切る事にしたアイシスはそちらについては見て見ぬふりを決め込み、自身の手中にある小さな世界の住民達の様子を細かに観察し始める。
尤も、やはり捕獲までに要した苦労の度合いの違いか、或いは単純に直近の出来事の方が印象に残っているだけなのか、はたまた当人のイメージに於ける昆虫としての格の違いの為か、そうは言ってもやはりその視線が主に向けられていたのはたった今捕まえたばかりのクワガタの方である事は否めなかったが、それでも引き立て役と言うと言葉は悪いが、最初に捕まえたバッタの存在も当人の喜びをより増幅させる事には十分な役目を果たしていた。
「うーん。でも私が昆虫採集をしに来ただけならこれでも十分過ぎる成果だけど、修行の課題としてあのシラユキ先生に見せるとなると、この小さなクワガタじゃちょっとインパクトに欠ける……かしら?」
しかし、暫しの間は素直にその喜びに浸っていられたアイシスであったが、何かを手にしても直ぐに次はそれ以上を欲する人間の欲深さ故に、という訳では少なくともそれだけではないものの、状況を良く考えればその虫籠の中身には物足りなさを感じ始めると、例によってその旨を半ば無意識に口に出して自らに問い掛ける。
とはいえ、新たに生じたその欲望は決して無謀なものという訳ではない、という事は言葉にはしないまでも何となく感じていたアイシスからすれば、その問いへの答えは既に定まっていた様なものであった為、そうは言いながらも既にその視線は森林のより奥深くの方へと向けられていた。
則ち、既に実際にこうしてクワガタの姿を、或いはその餌場となる樹液の漏れ出た樹木の存在を確認した以上、他のクワガタ等も既に活動を開始している可能性は十分に考えられる為、この森林内を更に探索する価値は高いとアイシスは判断した訳であったが、それでもあくまで安全を優先しようという意思は変わっておらず、それを表す様にその視線も先ずは周囲の安全性を確かめる様に動き始める。
「……今の所は大丈夫そうだけど、あんまり奥深くに行くのはやめて置いた方が賢明よね」
そして、一先ず周囲には脅威になり得そうな存在は、未だ樹液に夢中になっている件のスズメバチを除けば見当たらないと判断したアイシスは、それを確かめる様に例によって誰にともなくそう呟くが、その判断自体が自身の観察力を考えれば絶対的に正しいとは言えない事を措いても、よりシラユキに見せるに相応しい昆虫を捕獲しようという次なる目標の為とはいえ、あまり森林の奥深くにまで行く事は賢明ではないであろうという考えも口にする。
というのも、たとえ自身の洞察が正しく現時点では周囲一帯に脅威が存在しなかったとしても、相手が自然、或いは生物である限りは当然ながら移動や変化が起こる可能性は少なくはない為、帰り道に於いても同様である保証は何処にも無い事を考えれば、その際の移動距離が長くなる、つまり森林の奥へと進んだ分だけそのリスクが高くなる為、それを理解していたアイシスもそれはなるべく避けるべきだと考えたのである。
尤も、流石に周囲の状況に生物の移動も含めて全く何の変化も起きないという事はあり得ないにせよ、当然ながら脅威となる存在が丁度帰り道に現れる、という可能性は無い訳ではないものの高いという訳でもない上、少なくともシラユキに見せるものとしては現状の成果に物足りなさを感じた事も確かである事も考えれば、多少のリスクを冒す価値は十分にあるというか、その必要性を感じない事は無い事もまた確かであった。
「……そうね。周囲の様子に気を配りつつ出口……というか端っこまでの距離があまり遠くならない様に、他にこういう……そう、樹液が出てる木が無いか探していく感じでいきましょう」
という訳で、少考の末に次なる成果と安全の両面に配慮した行動の方針を定めたアイシスは、例によって、ではなく今回は自身に言い聞かせる為に意図的にそれを口に出してそう言うと、早速その方針通りに森林の奥の方ではなく、そちらを前に見た時に右になる方向へと歩き出すのであった。




